Translations

批判の文化の抄訳

Praeger版1998年の序文

 

本書はユダヤ教を進化論的視点から見た第三巻で最終巻である。

第一巻A People That Shall Dwell Alone:Judaism as a Group Evolutionary Strategy(MacDonald 1994;以下PTSDA)では進化論の枠組の中でユダヤ教を論じ、

第二巻Separation and Its Discontents:Toward an Evolutionary Theory of Anti-Semitism(MacDonald 1998a;以下SAID)ではセム主義批判を進化論の中で論じた。

 

民族紛争は二冊を通じて繰り返し扱ったテーマであり、本書も同様である。

しかし、前作では広い歴史の幅でユダヤ人と非ユダヤ人の流血を伴うダイナミクスとして民族紛争を論じるのが中心だったが、本書ではより狭い範囲、20世紀に焦点を絞る。

強いユダヤ人のアイデンティティを持つ人々がユダヤ人の利益を考えて主導した、幾つかの非常に影響力の強い知的政治的運動に着目した。

ボアズ人類学派、精神分析学、左翼の政治イデオロギーと行動、社会学のフランクフルト学派、ニューヨーク知識人達。

加えて、特に北西ヨーロッパ出身の非ユダヤ人の利益を損なうアメリカの移民政策を形成したユダヤ人の努力についても論ずる。

 

重要なテーゼとして、これら全ての運動は、西洋社会を公然と或いは分からないように変革して、セム主義批判を絶えさせてユダヤ人集団の存続に資するようにする方法だと見なされる可能性がある。

理論レベルでは、これらの運動はユダヤ人と非ユダヤ人では文化の構築や公共政策に異なる関心を持つという事実の結果に見える。

 

このプロジェクトは明らかに非常に広範囲であり、私は進化生物学、心理学、歴史学の分野から、

ハイラム・カトン、ポール・ゴットフリード、ジョン・ハルトゥング、ラルフ・ライコ、J.フィリップ・ラッシュトン、フランク・ソルター、グレイド・ホイットニー、デイヴィッド・スローン・ウィルソンらから多大なる手助けを得た。

この他にも大勢の方から手助けを得たが、残念ながらここには載せきれなかった。

また、このシリーズの編集者シーモア・W・イツコフには、初期原稿への助言と出版への役割に対して特に感謝したい。

最後に、この非常に困難なプロジェクトに最後まで付き合って頂いたグリーンウッド出版の学術研究開発担当ディレクターのジェームズ・サビンに感謝する。

 

ペーパーバック初版の序文

 

中略

 

変化と持続:欧州出身のアメリカ人の民族意識の弱体化とユダヤ人の自民族中心主義の持続から抜粋

 

その根底にあったのは、ヨーロッパの人々の民族意識の希薄化である。1920年代の移民論争と50年代60年代の移民論争を比べると興味深い。

20年代の移民制限論者は、ヨーロッパ出身の民族が征服して植民した土地に対して、恥じることなくその独占権を主張していた。

ある国への所有権は、植民地化してその国の政治的・経済的文化を樹立した民族に帰属するという、民族的利益追求を訴える議論が堂々と多数存在した。

道徳的自負を持ったこの種の移民拒否(今日ではその言葉自体が病的な意味を付与されている)は、CofCの270ページの引用にあるコロラドの議員で著名な移民制限論者ウィリアム・N.ヴェイルの発言に確認できる。

 

1940年代を経由し、そして間違いなく、60年代を経由した後には、そのような主張をすれば人種差別主義者であると見なされるだけでなく、知的にはネアンデルタール人と見なされるようになった。

実際、ベンダースキー(2000)は、そのようなレトリックが1930年代にはますます困難になっていったことを示している。

この変化は、「The Rising Tide of Color Against White World-Supremacy(白人の世界的優越に対して台頭する有色人種の波)」やコリアーズ、フォーラム、サタデーイブニングポストその他の大衆向けメディアへの多数の著作で知られる人種理論家ロスロップ・ストッダードのキャリアに見て取ることができる。

ストッダードはユダヤ人を、非常に知性が高くヨーロッパ人と人種的に異なる存在として考えていた。また、ユダヤ人の存在がボルシェビズムの成功に不可欠であったと考えていた。

しかし、彼は1930年代後半には陸軍大学校での講義でユダヤ人について言及することを完全にやめた。

ボアズ人類学派は学界の論争で完全勝利をおさめ、人間の行動を説明するために人種に言及する理論は異端に追いやられた。

ルーズベルト政権がアメリカを国家社会主義ドイツとの戦争に向かわせる中で、ストッダード自身も、人気がある影響力のある作家の地位から安全保障上のリスクの地位へと追いやられた。

 

ユダヤ人に対する考え方の変化を示すもう一つのものとして、WW2前夜のアイオワ州デモインでのチャールズ・リンドバーグの発言への反応がある。

リンドバーグの戦争不介入の訴えは、現代戦の破壊力が欧州文化の自殺になる恐怖と同時に、第二次欧州大戦が白色人種の自殺になるという彼の信念からだった。

WW2勃発直後の1939年、彼は大衆メディア向けの記事でWW2について”支配的な人々の間の力を求める戦争であり、盲目的で果てしない自殺行為になる。

西洋諸国はWW1と同様に過去のどの戦争よりも力を使い果たす可能性が高く、どんな結果であれ白色人種は必ず敗者であり、他の人種が利益を得る戦争である。

白色人種が生き残れたとしても我々の文明を更に暗黒時代に導くものになる”(Lindburgh 1939,65)と述べた。

リンドバーグは、他の人種に対する白色人種の支配を維持するために白人が団結して長期的な真の脅威である無数の非白人の群れを防ぐ必要があると考えた。

彼はノルディシストではなく、長期的にはロシアが東の中国人に対する白い防波堤になると構想していた。

彼は”チンギスハンや劣等人種の侵入を食い止められる人種と武器の西の城壁;英国の艦隊とドイツの空軍、フランスの陸軍、そしてアメリカ”(p.66)の人種同盟を提唱した。

 

しかし、共産主義下のソ連は忌まわしかった。

”残酷で無慈悲で野蛮なソ連よりは、英国や欠点だらけのドイツとの同盟の方が百倍も望ましい。

アメリカのソ連との同盟は、全てのアメリカ人、全てのクリスチャン、全ての人道主義者によって反対されるべきだ。”(in Berg 1999,422)

リンドバーグは、ソ連の残虐行為がナチスドイツのより酷いと明確に認識していた。

 

リンドバーグは1941年9月11日の有名な演説で、ユダヤ人がルーズベルト政権と英国に並んでアメリカを戦争に連れて行く主要な勢力だと訴えた。

彼は、ナチスドイツに対するユダヤ人の反応は”いかなる民族にも激しい敵を作るような”迫害を考えれば理解できると述べた。

一方彼は、ユダヤ人が持つ”この国に対する最大の脅威は、映画、報道、ラジオ、政府に対するユダヤ人の大きな所有権と影響力にある”とも述べた。

そして最も物議をかもしたのは、

”英国とユダヤ民族の指導者たちは、彼らの視点からは理解できるが我々の視点から望ましくない理由で、つまり不介入主義に反する形で我々を戦争に巻き込もうとしている”との発言であった。

 

リンドバーグの演説は、アメリカの歴史上で有名人に対しては他に類を見ない罵倒と憎悪の嵐で迎えられた。

一夜にして彼は文化的な英雄から道徳的な面での最下層民にされた。

メディアや政府に対するユダヤ人の影響力は、昔も今も測定は難しいが、相当なものであり、当時の反ユダヤ主義の感情の共通の関心であったことは確かである。

1936年に発行された小冊子の中でフォーチューン誌の編集者は、メディアに対するユダヤ人の影響力の主な源泉は、二大ラジオ局の支配とハリウッドの支配にあると結論付けた。(Editors of Fortune 1936)

彼らは、”アメリカ国内での意見形成と嗜好を操作する道具の半分はユダヤ人の手の内にある(p.62)”と指摘した。

これは、ユダヤ人が人口の2~3%に過ぎず、そのほとんどが移民一世や二世であることを考慮すると驚異的である。

この時期の主要メディアのユダヤ人による支配のリストを簡単に挙げると、

 

ニューヨークタイムス(スルツバーガー家の最有力紙)

ニューヨークポスト(ジョージ・バッカー)

ワシントンポスト(ユージーン・マイヤー)

フィラデルフィアインクワイアラー(M.L.アネンバーグ)

フィラデルフィアレコードとカムデンクーリエポスト(J.デービッド・スターン)

ニューアークスターレッジャー(SIニューハウス)

ピッツバーグポストガゼット(ポール・ブロック)

CBS(ウィリアム・パーレイの主要なラジオネットワーク)

NBC(デービッド・サーノフ)

主要なハリウッドの映画スタジオ全部

ランダムハウス(ベネット・サーフの最も重要な出版社)

 

大衆音楽で圧倒的地位にあり、数千万のリスナーを持ちラジオ番組でボブ・ホープと並び視聴率王であったウォルター・ウィンチェルは、介入への反対について

”非良心的であり、一種の反逆になる”(Gabler 1995,294)と話した。

この”介入主義の旗手”ウィンチェルはユダヤ人であった。

彼はこの時期ADLと緊密な関係にあり、ADLから非介入主義者やナチス同調者の活動の情報を入手し、それを放送や新聞のコラムに使っていた。(Gabler 1995,294-298)

 

映画業界が実際にナチスに反対し、介入を支持するプロパガンダを行ったのは疑いの余地が無い。

1940年5月、ワーナーブラザーズスタジオは、ルーズベルトに次のように語った。

”個人的に、映画業界としてはトーキングスクリ-ンを活かして、途方もない犠牲を払っているヨーロッパの自由な人々の大義の価値をアメリカ人に伝えることに全力を尽くしたい。”(in Gabler 1988,343)

1940年後半に、ジョセフ・ケネディはハリウッドのエリート達に対して、戦争促進と反ナチス映画の製作をやめなければセム主義批判が台頭するリスクがあると説教した。

リンドバーグのデモイン演説の直前、ジェラルド・ナイ上院議員は、ハリウッドの外国生まれのオーナー達が

”海外の特定の原因に対する暴力的な敵意”(Gabler 1988,344-345)を抱いていると訴えた。

映画業界の代表者達は、自分達がルーズベルト政権に支援されているのを自覚して、”アメリカに国家的危機を意識させる”ことを熱心に正当化した。

 

ハ-バード大学の歴史家ウィリアム・ランガーはアメリカ陸軍大学校での講義で、アメリカでのナチスドイツに対する嫌悪感の高まりが、メディアにおける”ユダヤ人の影響力”によるものだと発言した。

 

もし私がユダヤ人であるならば、ほとんどのユダヤ人が感じるのと同じようにナチスドイツについて感じるだろうし、ニュースがそのようなユダヤ人の嫌悪の色合いを帯びるのは、アメリカの最も重要な新聞の幾つかがユダヤ人の支配下にあるから当然であろう。

例えばニューヨークタイムズを読むと明らかに、ドイツでちょっとしたトラブル(なにしろ人口7000万人を抱えるドイツでは当然である)があるたびに、それが大げさに取り上げられている。

そしてそれ以外のニュースは控えめに取り上げられるか、軽蔑と共に後回しになる。

そのため、あなたがそこから得る情報はドイツ人を理解する上で何の役にも立たないであろう。(Bendersky 2000,273)

 

また、シカゴ・トリビューンの非ユダヤ人のオーナーであるロバート・マコーミックが、個人的にはアメリカの反ドイツ政策の背後でユダヤ人が重要な役割を果たしていると懸念を持っているにも関わらず、”ユダヤ人の扱いに慎重”であったことも興味深い。(Bendersky 2000,284)

このことは、ユダヤ人のパワーに対する懸念、つまり広告収入への悪影響の懸念がマコーミックにのしかかっていたことを示す。

結局のところ、当時メディアにおけるユダヤ人のパワーが大きかったというリンドバーグの意見に同意するのは合理的だと思われる。

勿論これは、当時のメディアをユダヤ人が支配していたとか、他の影響が重要ではなかったということを意味するものでは無い。

 

また、ルーズベルトがユダヤ人顧問サミュエル・L.ローゼンマン、フェリックス・フランクフルター、ヘンリー・モーゲンソー・ジュニアから反ドイツ人の影響を受けていることをたびたび米軍将校達が懸念していたことにも注意したい。

彼らは、ユダヤ人の利益追求と英国の影響によって、アメリカがドイツとの戦争に突き落とされるのではないかと心配していた。

フランクフルターとモーゲンソー・ジュニアは二人とも強いユダヤ人アイデンティティを持っており、ユダヤ人グループの利益を巧みに擁護していた。モーゲンソーはシオニズムとユダヤ人難民への福祉を熱心に推進した。

二人ともアメリカの対独戦争参戦を支持し、モーゲンソーはWW2の期間中とその後のドイツ人達への過酷な待遇の擁護者として良く知られるようになった。

 

さらにこの時期、ユダヤ人が特定の問題に対して大きな影響力を持つようになっていったことは疑いの余地は無い。

例えば、シオニスト組織は政府に対して強く圧力をかけた。(e.g.,Bendersky 2000,325)

WW2の間に彼らは、”大声での外交”を行い、何千もの集会、有名人(同情的な非ユダヤ人の著名な役割を含め)の講演による晩餐会、手紙によるキャンペーン、会議、ロビー活動、好ましくない記事を掲載した新聞への脅迫、

新聞にニュース記事としてのプロパガンダの挿入、政治家やウィル・ロジャースのような非ユダヤ人の有名人に支援の見返りの金銭を支払う等々のことを行った。

1944年までに、”何千もの非ユダヤ人の組織がシオニズムに有利な声明を出すようになるだろう。”

1944年には、国務省と陸軍省のユダヤ人国家建設への強い反対にもかかわらず、共和党と民主党の双方の政策にシオニスト寄りの強い内容が盛り込まれた。

 

中略

 

共産主義へのユダヤ人の関与 から抜粋抜粋

 

”赤の戦士たちよ、奴らを打ち負かせ!力の限り奴らを攻撃しろ!今すぐ!今この時に!今!…

赤軍の兵士たちよ、奴らを虐殺し、奴らの腐敗して悪臭を放つ棺桶の蓋が持ち上がるのをもっと強く踏みつけろ!”

(イサク・ババル、シンシア・オジクによればボルシェビキ革命のプロパガンダを請け負う”鋭敏な意識を持つユダヤ人”)

 

CofCで問題提起したものに関連する別の最近の進展として、The Black Book of Communism Crimes,Terror,Repression(共産主義下の犯罪、恐怖、弾圧に関わった危険人物リスト)(Curtois et al.1999)の出版がある。

この本は、私がCofCの第三章で展開した考えを拡張させた。

私は、ソビエト政権の真に恐ろしい本質と、共産主義の台頭と維持にユダヤ人が果たした役割の両方について充分に強調できていなかった。

 

中略

 

Culture of CritiqueからCulture of Holocaustへ から抜粋

 

CofCではユダヤ人の知的・政治的活動が支配する”Critiqueの文化”について論じているが、一世紀前に支配的であったもの、ヨーロッパの伝統的文化形態に代わる新しい文化の決定的な要素については十分に注意を払っていなかった。

この新しい文化の中心には”The Holocaust”と称される、西欧社会における極めて重要な歴史的・文化的イコン(聖遺物)の高みに押し上げられた、WW2時のユダヤ人の苦難の体験がある。

CofCの出版以降、現代の生活におけるThe Holocaustの政治的・文化的機能について二冊の本が登場した。

ピーター・ノヴィックの「アメリカ人の生活におけるThe Holocaust」と、ノーマン・フィンケルシュタイン「The Holocaust Industry(ホロコースト産業/業界)」である。

ノヴィックの本は二つの内ではより学術的なもので、The Holocaustが民族紛争の帰結を象徴するものとして卓越した地位を占めていることを指摘している。

The Holocaustの重要性は自然発生的ではなく、主要メディアに干渉できる個人のユダヤ人達とユダヤ人組織による高度に集中した資金力豊富な努力によって発生した、と彼は主張した。

 

私達はただの”啓典の民”ではなく、ハリウッド映画やテレビのミニシリーズ、雑誌記事、新聞のコラム、コミック、学術シンポジウムの民でもある。

The Holocaustに対する高い関心がアメリカのユダヤ人の間で広まった時、ユダヤ人がアメリカのメディアや世間の意見を形成するエリート達の間で占める重要な役割を考えれば、それが文化全体に広まるのは当然で、避けられないことであった。(Novick 1999,12)

 

The Holocaustは当初、1967年と1973年のアラブ・イスラエル戦争の後に。イスラエルへの支持を集めようとして宣伝されたものであった。

”ユダヤ人組織は、(描かれている)イスラエルの困難は、世界がThe Holocaustを忘れてしまったせいで生じていると主張した。

The Holocaustの枠組みは、イスラエルを批判する正当な根拠を見当違いなものとして受け流し、その善悪が複雑であるという可能性を人々に考えさせることさえ阻止することを可能にした。”(Novick 1999,155)

イスラエルに対する脅威が鎮静化すると、The Holocaustはユダヤ人アイデンティティの主要な源泉として、またユダヤ人に対する同化と人種間婚姻の要求をはねつけるために用いられるようになった。

この期間中には、The Holocaustはセム主義批判への対抗手段として非ユダヤ人達に対しても促進された。

近年では、ユダヤ人組織が主導し、数千人のThe Holocaustのプロフェッショナルが動員された大規模な教育活動(いくつかの州では公立学校の必修科目にも)が行われ、”寛容と多様性は善であり、憎しみは悪であり、全体の教訓としては’人間に対する人間の非人間性’”を伝えることが目的とされている。

The Holocaustはこのように、マイノリティの民族グループ(本来の意味ではユダヤ人グループ)に向けられた暴力に対する道徳的反発を生み出すための象徴としてだけでは無く、西欧社会への多民族の大量移民に反対する人々を黙らせるための道具としても、ユダヤ人の民族利益のための手段になっている。

CofCで説明したように、多民族の大量移民を促進することは、ユダヤ人グループの19世紀後半以降の悲願であった。

 

ユダヤ人のHolocaust活動家は、”The Holocaustの理解の不可能性と説明の不可能性”を主張した。(Novick 1999,178)

これは、その発端・動機に関する全ての理性的あるいは合理的な議論を消して、民族対立に基づく暴力のその他多数の事例と比較されるのを阻止する試みであった。

”多くの戒律に厳格なユダヤ人でさえ、ユダヤ教創始の神話について、自然主義に基づいて合理的な学問的分析で議論するのを受け入れることがしばしばある。

しかし、The Holocaustの’説明不可能な謎’に関しては、理性的・合理的な研究は不適切で畏れ多いものだとして受け入れたがらない”

The Holocaustの活動家であるエリー・ヴィーゼルは、”The Holocaustの宗教的意義は’シナイでの啓示と同等のもの’である。

The Holocaustの’神聖さを減らそうとする’とか’神秘性を減らそうとする’試みは、彼曰く、分かりにくい形態でのセム主義批判である”

The Holocaustは他と比較しようのない不可知なものとして扱われており、ユダヤ人組織とイスラエルの外交官は協力して、アメリカ議会がアルメニア人虐殺を記念するのを阻止した。

”ユダヤ人はThe Holocaustの特殊性、とにかく’比較されてはならないこと’を認識していた。The Holocaustは何かに匹敵されることは絶対に無かった;比較され得ないものは何か比較対象を持つことは無い”

ADL代表のエイブ・フォックスマンは、The Holocaustは”単なる虐殺の一例では無く、神に選ばれた子供たちの生活、ひいては神自身に対するほぼ成功した試み”だと述べた。

これはThe Holocaustの宣伝とユダヤ人のエスノセントリズムのより先鋭化した形態の間の深い関係をよく示している。

 

その結果、アメリカのユダヤ人達は自分達自身を”絶対的な犠牲者”とはっきり定義できるようになった。(Novick 1999,194)

このような傾向の表れとしてThe Holocaustの活動家サイモン・ウィーゼンタールは、ユダヤ人がいつ、どこで、誰に迫害されたかを一年365日分編集したカレンダーを作成した。

The Holocaustの意識は、被害者意識の究極的な表現であった。The Holocaustは、セム主義批判の当然かつ必然的な終着駅を象徴するようになった。

”セム主義批判の事件に対しては過剰な反応など存在せず、その蔓延する危険に対しては危険の誇張など存在しない。

アメリカ社会にセム主義批判の危険な兆候があるという考えを嘲笑する人は’The Holocaustの教訓’を学んでいない。”

 

ユダヤ人はThe Holocaustの宗教図において絶対的な被害者として描かれているが、非ユダヤ人の大半は潜在的あるいは実際のセム主義批判者として描かれている。

”道義的に正しい非ユダヤ人”は容認されているが、その選抜基準は厳格である。彼らは、ユダヤ人の命を救うために自分自身や家族の命を危険に晒していなければならない。

”道義的に正しい非ユダヤ人”は、”最高の、最も稀な形態の自己犠牲的な勇敢な行為”を見せなければならない。(Novick 1999,180)

そのような人物は極めて稀であり、それ以外の理由で”道義的に正しい非ユダヤ人”について話すユダヤ人は、激しい批判に晒されることになる。

つまり、”非ユダヤ人に対する猜疑心の促進”というユダヤ人の要塞化されたメンタリティーを補強しているのである。

ある著名なユダヤ人フェミニストは、このような態度を典型的に示している。”自意識の強いユダヤ人は皆、非ユダヤ人の友人に’自分をかくまってくれないか?’と尋ねることを切望しているが、良い返事が返ってこないのを恐れて躊躇している。”

 

ユダヤ人の間では、The Holocaustに関する意識は非常に高い。1998年の調査によると、ユダヤ人のアイデンティティにとって”The Holocaustの記憶”は”極めて重要”か”とても重要”として挙げられていた。

シナゴーグへの出席やイスラエルへの旅行等の、その他の何よりも遥かに多く挙げられていたことが明らかになっている。

確かに、アメリカのユダヤ人にとって、ユダヤ人としてのアイデンティティはアメリカ人としてのアイデンティティなどより遥かに重要である。

”近年、アメリカのユダヤ人がアメリカへの忠誠心よりもユダヤ人グループへの忠誠心を優先させることが、許されるだけにとどまらずむしろ賞賛されるようになってきている”(Novick 1999,34)

 

しかし、The Holocaustへの関心はユダヤ人の間でだけ高いものでは無く、アメリカの文化的聖遺物としても制度化されている。

アメリカ中に点在するThe Holocaust記念博物館や、公立学校におけるHolocaustに関する必修コースの急増に加えて、現在ではThe Holocaustの研究に関する寄付講座を持つ大学も増えてきている。

”アメリカ国内にある全てのThe Holocaust関連施設を考慮すると現在では、その記憶を生かしておくことだけに専念する数千人のフルタイム雇用のThe Holocaustの専門家達が存在していることになる。”(Novick 1999,277)

 

この取り組みは大きな成功を収めている。1990年の調査では、大多数がThe Holocaustを”歴史上最悪の悲劇”であったとする意見で一致している。

最近では、文化的聖遺物としてのThe Holocaustの主な推進力は、多文化主義の承認である。

調査対象者の8割から9割は、マイノリティの権利を守ることの必要性に同意し、”ほかのみんなと一緒に歩く”のを拒むことこそがThe Holocaustから引き出される教訓であると答えた。

回答者達はまた同様の割合で、”The Holocaustが二度と起こらないためには、The Holocaustの話を人々が繰り返し聞くことが重要である”とも答えた。

 

このような取り組みは、”ユダヤ人についての批判的な議論が事実上不可能なドイツでは恐らくこれ以上に効果的であった。

保守的であれリベラルであれ現代のドイツ人が、ユダヤ人、The Holocaust、そして戦後のドイツ社会へのその影響について、狭く定義された体系化された信仰の範囲外に出た発言をすれば、職業的・社会的な自殺になる危険がある。”(Anderson 2001)

ユダヤ人知識人の創作物に関する議論が、非ユダヤ系ドイツ人をほぼ排除することで、ドイツ人全体の知的生活を支配するようになった。

ヴァルター・ベンヤミン、テオドール・アドルノ、ヘルベルト・マルクーゼ、ハンナ・アーレント、パウル・ツェラン、ジークムント・フロイトなど、これらユダヤ人知識人の多くはCofCの主題である。

””ショア・ビジネス”は現代のドイツの文化的・政治的生活の定番となっている。ドイツ人は、The Holocaustとその記憶を維持する継続的な責任についての議論で生計を立てており、

ベルリンの歴史的中心部でユダヤ人の死者を追悼する巨大な記念碑を建てる運動、あるいはアメリカの学者ダニエル・ゴールドハーゲンのドイツの国民性に対する粗野で歴史に反する暴言を聞くために群がることを好む。”

学者達は、知的評論の正常な基準の感覚を完全に喪失しており、ナチズムによるユダヤ人犠牲者のアイデンティティを多かれ少なかれ持つようになった。

 

例えば、The Holocaust詩人であるパウル・ツェランは、他の全ての20世紀の詩人達を過去のものにし、文化の中心的人物となった。

彼の作品はもはや合理的な評論を飛び越えてどこかに行ってしまっており、ある種の馬鹿らしい神秘主義に包まれている。

”率直に言って、私はドイツでツェランの名前が神聖不可侵で手に負えないオーラをまとっていることを問題視している。彼の名前が知的議論の切り札のように機能し、議論を封じたり他の主題を排除するのは問題だ。”

カフカのようなユダヤ人作家は、評論の対象を超えてどこかに行ってしまった知的な巨人と見なされている。カフカの作品についての議論は彼のユダヤ人としてのアイデンティティに焦点が当たっており、1924年に亡くなったにもかかわらずThe Holocaustと関連付けて語られる。

ユダヤ人作家のものであれば、大したことのない作品でも文学の正典の最上位のものとして扱われている。一方で、トーマス・マンのようなドイツ人は主に、上流社会で受け入れがたいユダヤ人観を持っていたという点でのみ論じられる。

アメリカではドイツ人の学者達は、ユダヤ系ドイツ人の作品、迫害や虐殺を扱うようなコースばかりを押し付けられる。

ドイツ人の文化としてのドイツ文化は、The Holocaustの文化に完全に取って代わられて消滅したと考えてもおかしくは無い。

 

ノヴィックと同様に、フィンケルスタイン(2000)も”The Holocaust業界”を機能主義の観点から扱い、ヨーロッパの政府や企業からユダヤ人組織に資金を提供させる手段として、また、イスラエルの政策やアメリカのイスラエル政策への支援を正当化するための手段として機能していると主張した。

またフィンケルシュタインは、The Holocaustを活用することで、ユダヤ人グループは全米で最も裕福で強力な集団でありながら被害者としての地位も主張できるようになったと述べた。

ノヴィックはまたこのように指摘した。The Holocaustのイデオロギーは、その他の何とも比較されない力と、説明されることを拒む力にこそ存在する。

しかしフィンケルスタインは、The Holocaust業界が、セム主義批判的な態度や行動は完全に非ユダヤ人の不合理な嫌悪から生じたものであり、利害の衝突とは無関係だという考えを助長していることも強調している。

例えばエリー・ウィーゼル”2000年間…我々は脅かされてきた…何のために?何の理由もなく”(in Finkelstein 2000,53)”。

(対照的に、拙著「Separation and its Discontents」(MacDonald 1998a)での大前提は、歴史を通じたセム主義批判的な態度や行動は利害の対立にしっかりと根ざしているというものである)

フィンケルスタインは、イスラエルの作家であるボアス・エブロンの言葉を引用して同意している。

”The Holocaust認識”は”公式の、プロパガンダ的な洗脳教育であり、スローガンと誤った世界観の押し付けであり、その真の目的は過去の理解では全く無く、現在の操作にある。”

 

フィンケルスタインは、エリー・ウィーゼルの言葉を引用して、The Holocaust業界を支えるメディアの役割を指摘する。

”私は気分を良くしたいとき、ニューヨーク・タイムズのイスラエルに関する記事を読む。”

スルツバーガー家が所有するニューヨーク・タイムズは、”The Holocaust産業の主要な宣伝媒体としての役割を担っている。この新聞は、ジャージー・コジンスキー、ダニエル・ゴールドハーゲン、エリー・ウィーゼルのキャリアを促進する主要な役割を果たした。

報道の頻度では、The Holocaustは毎日の天気予報の次に多い。典型として、ニューヨーク・タイムズの1999年版インデックスにはThe Holocaustのエントリーが273個もある。これと比較して、アフリカのエントリーは全体を合わせて32項目しかない。”(Finkelstein 2001)

The Holocaust業界は、物分かりの良いメディア以外にも、アメリカ政府に対する権力を利用して、外国政府、特に東欧の政府に圧力をかけている。

 

現代のユダヤ人の倫理的態度に蔓延するダブルスタンダード(そして、歴史を通じてユダヤ人達の宗教作品に見られる同様の倫理的ダブルスタンダードを反映している)を痛烈に示唆するものとして、

フィンケルスタインは、イスラエルのバラク首相を含む50か国の代表が出席した2000年の1月のThe Holocaust教育会議について述べている。

この会議では、国際社会は虐殺、民族浄化、人種差別、外国人排斥に反対する”厳しい責任”を負っていると宣言した。

会議終了後、記者がバラク氏にパレスチナ難民について質問した。”バラクはこう答えた。絶対に、イスラエルに来る一人の難民も受け入れない。我々は難民に対する道徳的、法的、その他の責任を負うことは無い。”

 

ユダヤ人とメディア”物の見方・考え方”の形成 抜粋

 

どう考えても、ユダヤ民族はアメリカのメディアにおいて強力な影響力を持っており、他のどの特定の集団の力よりもはるかに大きい。

人口に占めるユダヤ人の割合の少なさを考えると、アメリカの大衆メディアにおけるユダヤ人のオーナーシップと影響力の大きさは驚異である。

1980年代に行われた調査では、映画界のエリートの代表例の60%がユダヤ人であった。(Powers et al.1996,79n13)

マイケル・メドベドはこう指摘した。”大衆文化におけるユダヤ人の権力と卓越性の現実を否定する試みは無意味である。各主要映画スタジオで最も影響力の強い製作幹部をリストアップすれば、その大部分は明らかにユダヤ人の名前である。

ティンセル・タウンのニュースレポートを追ったり、主要な映画やテレビ番組のクレジットを見れば、このユダヤ人の役割は明らかである。”

 

メディアのオーナーシップは常に流動的であるが、現在のアメリカにおけるユダヤ系民族のメディアのオーナーシップについては以下のように正確に描写できる。

 

最近、America On LineとTime Warnerが合併して、世界最大のメディア企業が誕生した。新会社の最高経営責任者は、かつてTime Warnerのトップであったゲラルド・レヴィンである。AOL-タイムワーナーは、

テレビ(Home Box Officeなど)

音楽(ワーナー・ミュージック)

映画(ワーナー・ブラザーズ、Castle Rock Entertainment、New Line Cinema)

出版(タイム、スポーツ・イラストレーテッド、ピープル、フォーチューン)を保有する。

 

第二位のメディア企業は、マイケル・アイズナーが率いるウォルト・ディズニー・カンパニーである。ディズニーは、

映画(ウォルト・ディズニー・スタジオ傘下のウォルト・ディズニー・モーションピクチャーズグループには、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ、タッチストーン・ピクチャーズ、ハリウッド・ピクチャーズ、キャラバン・ピクチャーズ、ミラマックス・フィルムズ)

テレビ(Capital Cities/ABC(ABCテレビネットワークのオーナー)、ウォルト・ディズニー・テレビジョン、タッチストーン・テレビジョン、ブエナビスタ・テレビジョン、ESPN、ライフタイム、A&Eテレビジョン・ネットワーク)および一億人以上の加入者を持つケーブルテレビ・ネットワーク、

ラジオ(3400以上の関連会社と主要都市の26の基地の所有権を持つABCラジオネットワーク)

出版(7つの日刊紙、フェアチャイルド・パブリケーションズ、およびダイバーシファイド・パブリッシング・グループ)等を保有する。

 

第三位のメディア企業は、同じくユダヤ人のサムナー・レッドストーンが率いるバイアコムである。バイアコムは、

映画(パラマウント・ピクチャーズ)

テレビ(CBSテレビネットワーク、MTV{とりわけ文化保守主義者による批判の焦点}、ニコロデオン、ショータイム、テレビ局13社、テレビネットワーク3社の番組)

出版(サイモン&シュスター、スクリプナー、フリープレス、ポケットブック)

ビデオレンタル(ブロックバスター)

加えて衛星放送、テーマパーク、ビデオゲーム等を傘下に収めている。

 

もう一人の主要なメディア界の実力者は、世界ユダヤ人会議の議長でもあり、シーグラムの財産相続人であったエドガー・ブロンフマン・シニアの息子であるエドガー・ブロンフマン・ジュニアである。

2000年の12月にフランスのヴィヴェンティと合併するまで、映画製作会社であるユニバーサル・スタジオと世界最大の音楽会社であるユニバーサル・ミュージック・グループ(ポリグラム、インタースコープ、アイランド・デフジャム、モータウン、ゲフィン・DGCレコーズを含む)を率いていた。

合併後、ブロンフマンは新会社ヴィヴェンティ・ユニバーサルの取締役副会長に就任し、ブロンフマン一族とその関連団体が同社の筆頭株主となった。ブロンフマン・シニアは新会社の取締役に就任している。

 

ユダヤ人が所有する他の主要なテレビ会社には、ニューワールド・エンターテインメント(レブロン化粧品も所有するロナルド・ペレルマンが所有)、

ドリームワークスSKG(映画監督スティーブン・スピルバーグ、元ディズニーピクチャーズ会長ジェフリー・カッツェンバーグ、レコード業界の大物デヴィッド・ゲフェンが所有)などがある。

ドリームワークスSKGは、映画、アニメーション作品、テレビ番組、音楽を製作している。

スピルバーグは、ユダヤ人の民族活動家でもある。シンドラーのリストを製作した後、スピルバーグはアメリカ議会からの助成金を受けて「ショアの生存者のための基金」を設立した。

また、イギリスの軍事史家でThe Holocaustの修正主義者であるデイヴィッド・アーヴィングが起こした名誉毀損訴訟に対するデボラ・リプシュタット教授の弁護に資金提供した。

 

印刷メディアの世界では、ニューハウス・メディア帝国は、Cleveland Plain Dealer、Newark Star-Ledger、New Orleans Times-Picayuneなどの大規模かつ重要な新聞を含む26の日刊紙を所有しており、

12のテレビ放送局と全米最大のケーブルネットワークを含む87のケーブルテレビシステムからなるニューハウス・ブロードキャスティング、

週2200万部以上の発行部数を誇る日曜特集のパレード、ニューヨーカー、ヴォーグ、ヴァニティ・フェア、ブライド、GQ、セルフ、ハウス&ガーデンなどの20余りの主要雑誌、そして完全所有するコンデナスト・グループから構成されている。

 

週間発行部数230万部のニュースマガジン「U.S.ニュース&ワールドレポート」は、モーティマー・ザッカーマンが所有し発行している。

ザッカーマンは、ニューヨークの全米六位のタブロイド紙デイリーニュースのオーナーでもあり、アトランティック・マンスリーの前オーナーでもある。

ザッカーマンはユダヤ民族活動家である。最近、アメリカの主要なユダヤ人団体の統括組織であるConference of Presidents of Major American Jewish Organizationsのトップに就任した。

U.S.ニュース&ワールドレポートのコラムでイスラエル擁護を訴え、自身が会長を務めるアメリカ・イスラエル友好連盟の活性化にも貢献している。

 

アメリカのメディアで著名な別のユダヤ人活動家として、1974年からThe New Republicのオーナーを務めるマーティン・ペレツがいる。

ペレツはそのキャリアを通してユダヤ人の目的遂行、特にイスラエルの目的遂行に献身的に尽くしてきた。

1967年のアラブ・イスラエル戦争中、彼はヘンリー・キッシンジャーに”dovishness stopped at the delicatessen door”と語り、彼のスタッフの多くは、全ての問題が”ユダヤ人にとって何が良いか”という基準で決定されることを恐れていた。(Alterman 1992,185,186)

実際にある編集者は、TNRで使用する資料をイスラエル大使館から入手するよう指示されていた。

”TNRのオーナーは単なるイスラエルへの執着を超えている。彼自身そう言っている。

しかしさらに重要なのは、ペレツはイスラエルの批評家、イスラエルの批評家になろうとする人々、そしてイスラエルについて聞いたことが無いがいつか批評家になるかもしれない誰かを知っていそうな人々に執着している。”(Alterman 1992,195)

 

ウォールストリート・ジャーナルは、アメリカで最大の発行部数を誇る日刊紙で、他の24の日刊紙と週間金融誌バロンズを発行するニューヨークの企業、ダウ・ジョーンズ・アンド・カンパニーが所有している。

ダウ・ジョーンズの会長兼CEOは、ピーター・カンである。カンはWSJの会長と発行人を兼任している。

 

スルツバーガー家は、ボストン・グローブを含む33の新聞を所有するNew York Times Co.を所有している。

また、12の雑誌(それぞれ500万部以上の発行部数を誇るマッコールズとファミリーサークルを含む)、7つのラジオおよびテレビ放送局、ケーブルテレビシステム、書籍出版社3社も所有している。

ニューヨーク・タイムズ・ニュースサービスは、ニューヨーク・タイムズのニュース記事、特集、写真を、他の506の新聞社、通信社、雑誌社に供給している。

 

ニューヨーク・タイムズをユダヤ人が所有している事実は、20世紀初頭からアメリカで最も影響力が大きかった新聞であるだけに、なおさら興味深い。

スルツバーガー家に関する最近の著書(Tifft & Jones 1999)にあるように、当時も、New York World(Joseph Pulitzerが支配)、Chicago Times-Herald and Evening Post(H.H.Kohlsaatが支配)、

New York Post(ジェイコブ・シフの一族が支配)など、ユダヤ人が支配する新聞がいくつか存在した。

1896年にアドルフ・オックスは、イシドール・ストラウス(メイシーズ百貨店の共同経営者)、ジェイコブ・シフ(投資銀行家として成功し、ユダヤ民族活動家でもあった)らユダヤ人実業家数人の強い支援を受けてニューヨーク・タイムズを買収した。

”シフをはじめストラウスのような著名なユダヤ人達は…アドルフが’ユダヤ人に広く貢献できる’と信じていたので、アドルフに成功してほしいとはっきり願っていた”(Tifft & Jones 1999,37-38)。

オックスの義理の父は、AJCongressと世界ユダヤ人会議の議長であり、アメリカにおける改革派ユダヤ教の創始者である高名なラビ、スティーブン・ワイズであった。

 

このメディアの所有のパターンにはいくつかの例外はあるものの、その場合でもユダヤ民族は主要な管理の役割を果たしている。

例えばルパート・マードックのニューズ・コーポレーションは、フォックス・テレビジョン・ネットワーク、20世紀フォックス・フィルム、フォックス2000を所有している。

ただし、ニューズ・コーポレーションのアメリカにおける映画・テレビ・出版事業の全てを含むFox Groupの社長兼CEOはピーター・チャーニンである。

マードックは心の底からユダヤ民族愛好家である。彼はウィリアム・クリストルが編集するネオコンの最高峰の雑誌ザ・ウィークリー・スタンダードの発行人である。

”マードックの最も親しい友人やビジネスアドバイザーは、裕福で影響力のあるニューヨークのユダヤ人で、親イスラエルの活動に熱心であった。そして彼自身、イスラエルに対する独立した強い共感、すなわちオックスフォード時代に遡るユダヤ国家との個人的結びつきを保持している。”(Kiernan 2001)

同様に、NBCはゼネラル・エレクトリックの傘下ではあるが、NBCの社長はアンドリュー・ラックであり、NBCニュースの社長はニール・シャピロであり、二人ともユダヤ人である。

もう一つの例外は、ドイツに本拠を置くベルテルスマン出版グループである。このグループは世界最大の一般書籍の出版者であり、雑誌、新聞、音楽も所有している。ベルテルスマンの影響力のほとんどはアメリカ国外のものであるが、最近ランダムハウス出版社を買収した。

 

例外を認めたとしても、ユダヤ人がアメリカのメディアにおいてきわめて強力な地位を占めていることは明らかであり、その地位は他のどの人種・民族よりも遥かに強力である。

ユダヤ人が人口の2.5%を占めているに過ぎないことを考えれば、ユダヤ人の手にメディアの力が驚くほど集中している事実はさらに異常である。

アメリカのメディア・エリートに占めるユダヤ人の割合を59%と見積もると(Lichter et al.1983,55)、その不釣り合いな代表性の程度は2000%を超える計算になるだろう。

このような異常な格差が偶然に生じる可能性は事実上0である。

ベン・スタインは、ハリウッドのトップの地位の60%がユダヤ人で占められていることを指摘し、”ユダヤ人はハリウッドを支配しているのだろうか?もちろんそうだろう。そしてそれがどうした?”と述べた。

ユダヤ人のメディアの所有権と管理は製品に何か影響を及ぼすだろうか?

ここで筆者は、メディアが好む態度と意見は広くユダヤ人コミュニティが一般に抱いているものであり、メディアはユダヤ人のポジティブなイメージと、伝統的なアメリカやクリスチャンの文化のネガティブなイメージとを提供する傾向があることを示したい。

 

多くの学者が指摘しているように、文化の創造においてメディアの重要性はますます高まっている。

20世紀以前は、文化の創造者は主に宗教、軍事、ビジネス機関であった。20世紀を経る中でこれらの機関の重要性は低下し、一方でメディアの重要性は増してきた。(軍隊におけるこの変容についてはBendersky 2000を参照)

そして、メディアが聴衆の態度や意見を形成しようとすることに疑いの余地は無い。

culture of critiqueが存続していることを示す一端は、メディア・エリートが西欧文化に対して非常に批判的な傾向を持つ事実である。

西欧文明は失敗し、滅びゆく文化として描かれるが、最悪の場合には他の文化と比較して病的で邪悪なものとして示される。

これらの見解は、1960年代の文化の革命の以前からハリウッドでは一般的であったものの、非ユダヤ人の文化保守派の影響もあってメディアで頻繁に表明されることはなかった。

 

恐らく、ユダヤ人とユダヤ人組織が擁護してきた最も重大なものは、アメリカ合衆国が民族的文化的に同質であってはならないとする文化的多元主義であろう。

CofCで述べたように、ユダヤ人組織とユダヤ人の知的運動は、最も緩い移民政策を強力かつ効果的に推進する力として様々な形で文化的多元主義を正当化してきた。

メディアが描く文化的多元主義は、白人の非ユダヤ人で構成される均質なキリスト教文化よりも道徳的に優れ、かつ容易に実現できるものとされて、悪いように描写されることは一切ない。

文科的多元主義に反対するキャラクターは愚かで偏屈なものとして描かれる。(Lichter et al.1994,251)

その古典的代表は、ノーマン・リアのオールインザファミリーのテレビシリーズに登場するアーチー・バンカーである。

人種的民族的調和からの逸脱が、白人の人種差別の結果として描かれている。(Powers et al.1996,173)

 

テレビや映画を絶対的に支配するユダヤ人が、映画の中でポジティブに描かれるのは当然であろう。

ユダヤ人をテーマにした映画やテレビ番組も多い。

ハリウッドは”The Holocaust Industry”の振興に重要な役割を果たしており、スピルバーグのシンドラーのリストや、

ジェラルドグリーン脚本で監督マーヴィンチョムスキー、ハーバートプロドキンとロバートバーガー製作の四部構成のテレビHolocaust(1978)等がある。

ユダヤ人グループはこの二つをこれでもかと宣伝した。

1978年のThe Holocaustの宣伝は躍進を遂げた。ADLはこの目的のために16ページのタブロイド紙ザレコードを1000万部配布した。

ユダヤ人グループは主要新聞に圧力をかけて、脚本に基づいた小説を掲載させ、The Holocaustの特別な折込広告を入れさせた。

シカゴサンタイムズ紙は、地元の学校に数十万枚のThe Holocaustの折込広告を配布した。

アメリカユダヤ人委員会AJCはNBCと協力して、視聴者向けのThe Holocaust教育ガイドを数百万枚配布し、

教科書にはこの計画に関連した教材が採用され、教師が授業でThe Holocaustについて教えやすいよう工夫されていた。

ユダヤ人グループは全米協会評議会と協同して他の宣伝・教育資料も用意し、宗教指導者のための特別試写会も行った。

このシリーズが始まった日は”Holocaust Sunday”と定められて、全国の都市で様々なイベントが用意された。

全米キリスト教・ユダヤ教会議NCCJでは、この日に着用する黄色い星を配布した。

ユダヤ人の子供向けの学習案内には、The Holocaustがキリスト教によるセム主義批判の結末だと書いてあった。また、ユダヤ人のアイデンティティが弱いユダヤ人への非難が含まれた。

この大規模な宣伝は、その目的の多くを達成した。多くの州や自治体でHolocaust教育が導入され、国立Holocaust記念博物館へのプロセスが始まり、イスラエルへの支持も大きく強化された。

 

一般的に、テレビはユダヤ人を”敬意、相対的な深遠さ、愛情、善意と共に描写し、これら番組のユダヤ人キャラクターははっきりユダヤ人と分かるようにされ、大抵ユダヤ教との強い関連も描かれる”(Pearl&Pearl 1999,5)

例えば、オールインザファミリーと続編アーチーバンカーズプレイスでは、労働者階級の欧州人を愚かで偏屈な人物として描写する一方で、ユダヤ人をとてもポジティブに描いた。

12年間の最終回までに、宿敵のアーチーバンカーでさえ自宅でユダヤ人の子どもを育てるようになり、黒人系ユダヤ人(ユダヤ教が民族的意味を含まないことを示唆するキャラクター)と仲良くなり、

ユダヤ人パートナーとのビジネスを始め、シナゴーグの会員になり、ユダヤ式葬儀で親友を讃え、バルミツワーの儀式に参加し、シナゴーグを破壊から守る運動に加わった。

リベラルな政治活動化ノーマンリアが製作したこれらの番組ではこのように、非ユダヤ人がユダヤ教の儀式に参加し、”それを尊重し、楽しみ、学びがある”姿を描くテレビの一般的傾向を明らかにする。

それらが頻繁に登場し積極的に関与することは、これがアメリカの日常生活の正常な一部であるというステレオタイプを人々に植え付けた。

ユダヤ教の儀式は”喜ばしい気高いものであり、それを見る人々にも力と調和と充足感とアイデンティティの感覚を授けるもの”として描かれた。

 

テレビはユダヤ人問題について、主流のユダヤ人グループの見解に沿ったイメージを提示する。

”セム主義批判を、あらゆる場面で戦われなければならない常に醜い忌まわしいものとして描写している”

セム主義批判の合理的な説明がされることは決してない。セム主義批判は絶対的で不合理な悪としてのみ描写される。

メアリータイラームーアのような好感の持てるポジティブな非ユダヤ人のキャラクターがセム主義批判との戦いを導くのも定番のストーリーだ。

これは、非ユダヤ人がユダヤ人が支配する運動の著名なスポークスマンに採用されるCofCで指摘したパターンを彷彿とさせる。

また、セム主義批判はコミュニティ全体の共通の懸念だという暗示も含まれている。…

 

イスラエルに関しては、”全体として、大衆向けテレビはイスラエルについて、ディアスポラを感情的に強く引き付けるユダヤ人の故郷であることや、敵に囲まれて永続的な危険に晒されていること、

その生存のために絶えず命懸けの戦いをしなければならないために、治安と情報の分野でしばしば異常な(時には不正な)手段を強いられているように描く”(Pearl&Pearl 1999,173)

非ユダヤ人は、イスラエルとその英雄主義と業績に対して深い賞賛と尊敬の念を持っているように描写される。

イスラエルはホロコースト・サバイバーにとっての楽園であるとされ、クリスチャンはホロコーストの償いのためにイスラエルに対する義務を負っているように描かれることもある。

 

映画では、ジェフ・ゴールドブラムが世界を救う”頭脳派ユダヤ人”を演じる「インデペンデンス・デイ」や、ジャド・ハーシュが堅苦しいWASPの白人一家を助けるユダヤ人精神科医を演じる「普通の人々」のように、ユダヤ人が非ユダヤ人を助けるという共通のテーマがある。(Bernheimer 1998,125-126)

CofC第一章で取り上げた「アダムス・ファミリー・バリュー」もこのジャンルの一例である。

Bernheimerは、”多くの映画においてユダヤ人は、非ユダヤ人を引き上げ、啓発する道徳的模範であり、ユダヤ文化によって深く根付いた価値観を体現して人間性を他人に分け与える役割を果たす”と指摘した。

この「非ユダヤ人を救うユダヤ人」のテーマは、精神分析と急進的左翼ユダヤ人を特徴づけるものでもある。

「精神分析ユダヤ人は非ユダヤ人を神経症から救う使命を感じており、急進的ユダヤ人は世界を資本主義の弊害から救う使命を感じている。」

 

一方では一般的に、キリスト教は邪悪なもの、クリスチャンは精神病質者として描かれる。

マイケル・メドベドは、伝統的な家族、愛国心、伝統的な性生活に対するハリウッドのしつこい攻撃(CofCのハリウッドバージョン)に言及している。

しかし、最も明白な攻撃対象はクリスチャンの信仰である。

 

伝統的な価値観に対する戦争の中でも、組織化された信仰に対する攻撃では娯楽産業が明らかに最前線に立っている。

他のどの問題よりもショービジネスのエリート達と一般大衆の感覚が劇的に乖離している。

何度も何度も、プロデューサー達は普通のアメリカ人の宗教感覚をわざわざ傷つけてきた。(Medved 1992/1993,50)

 

メドベドは、キリスト教をポジティブに描いた1970年代以降の映画を一本も見つけられなかった。いくつかの例外は美術館の作品の歴史的記念品だけだった。

キリスト教が否定的に描かれた作品ならば幾らでもある。例えば、モンシニョール(1982)ではカトリックの神父が魅力的な修道女を誘惑する等の考えうるすべての罪を犯し、その後彼女の死にも関与した。

アグネス(1985)では、心を病んだ若い修道女が修道院で出産し、赤ん坊を殺害、血まみれの小さな死体をトイレに流した。

ハリウッド映画には、ミザリーの残虐な悪役キャシーベイツが身に着けた小さな金の十字架にロブライナー監督が繰り返し焦点を当てるなど、微妙なアンチクリスチャンのシーンも多い…

 

もう一つのメディアの傾向として、小さな田舎町を偏見とセム主義批判者で溢れていると描写する。

メディアコメンテーターのベン・スタインは、アメリカの田舎に対するメディアの敵意について語った。

 

”典型的なハリウッドの作家は東部の大都市、大抵はブルックリン出身の(ユダヤ人の)民族的背景を持つ。

彼はこう教えられて育つ。田舎町の人々は自分を嫌っており、自分とは異なっており、自分を狙っている(つまり、田舎の人々はセム主義批判者である)。

その結果として、彼はチャンスの度にテレビや映画で田舎の小さな町を悪く描く…

 

テレビ番組や映画は「ありのままの姿」を伝えることは無く、代わりにアメリカの知識人社会の中ののきわめて強力な小さい一部分、つまり大衆向け映像メディアの脚本家達、その物の見方考え方のみを私たちに与える…

その結果、異常で驚くべきことが起こっている。国の或る一つの文化が、その国で未だに強い魅力を持ち広く実践されている生き方に対して戦争を仕掛けた…

小さな田舎町に対する愛情はアメリカの奥深くにあり、何百万人と言うアメリカ人がそれらの町での生活を大事にしている。

しかしこの国の大衆文化は、小さな田舎町への憎しみを連日テレビ画面や映画スクリーンに吐き出している…

テレビ番組や映画はアメリカの民俗的文化であるが、非常に多くのアメリカの民衆の生き方を軽蔑しながら存在している…

アメリカ人は自分達の文化が根底から病気で暴力的で堕落していると聞かされ、そのメッセージは彼らにその文化の将来に自信をほとんど持たせてくれない。

またそれらは、彼らに自国を恥ずかしいものとして感じさせ、自分の社会が衰退しているのも当然だと思わせる”(Stein 1976,22)

 

これは、ユダヤ人の非ユダヤ人への態度と非ユダヤ人のユダヤ人に対する態度の両方において、社会的アイデンティティが非常に重要であることを示す良い例である。

アウトグループはネガティブに描かれ、イングループはポジティブに描かれる。

 

メディアへの影響力が、メディアでのイスラエルの描かれ方に大きな影響力も持つことは間違いなく、これはフィンケルスタイン(2000)のThe Holocaust Industryの主要テーマである。

イスラエルのコラムニストのアリ・シャビットは、1996年にレバノン南部の軍事衝突で100人以上の民間人が殺害されたことについてこう述べた。

”我々は単純な傲慢さから彼らを殺害した。ホワイトハウス、議会、そして多くのアメリカメディアが私達の手にわたった現在、レバノン人の命などユダヤ人の命と比べれば軽く見られるだろう”

アリエル・シャロンがイスラエルの首相として選出されたことは、対照的なもう一つの研究を提供する。

シャロンの首相選出された時と、イェルク・ハイダーの自由党がオーストリアの議会で充分な役割を果たすのに十分な程の議席を獲得した時とで、メディアの反応には大きな違いがあった。

ハイダーの当選を受けて、イスラエルを含む数か国は駐オーストリア大使を召還した。世界中の政治家がオーストリアを非難し、ハイダーがオーストリア政府に参加することを容認できないと表明した。オーストリアとの貿易を差し止めるという脅迫も飛び出した。

これらの原因となったのは、ハイダーが、WW2の間にドイツ側で戦った人の中にはSSの中も含めて多数の立派な人たちがいたと発言したからである。

ハイダーはまた、1930年代のヒトラーの経済政策の中の幾つかは理にかなっていたとも発言した。

そしてハイダーはオーストリアへの移民流入を遮断することを訴えていた。

ハイダーはこれらの発言について謝罪したが、彼の党の選挙での躍進の結果として彼はオーストリア中で排斥され迫害され、彼個人に対するメディアの継続的な警告の弾幕が張られた。

 

これを2001年のアリエル・シャロンのイスラエル首相への選出と比較してみよう。

1982年の9月、イスラエル国防相だったシャロンは、レバノンのベイルート郊外のサブラとシャティーラ難民キャンプで、女性と子供を含む700人から2000人の虐殺の作戦指揮を執っていた。

ニューヨークタイムズのジャーナリストであるトーマス・フリードマンは、”壁に並べられ、手足を縛られた20代から30代の若者の集団が、犯罪組織がやるようなやり方で皆殺しにされた”のを目撃した。

イスラエル軍の指揮官同士の無線通信は傍受されており、彼らは難民キャンプでの”掃討作戦”の実行について話し合っていた。

殺戮の実際の下手人はイスラエルに支援されたレバノン人クリスチャンだったが、イスラエルは虐殺が実行された二日間にわたって難民キャンプを閉鎖した。

この事件を調査するために組織されたカハン委員会は、シャロンがこの虐殺の間接的な責任を持つとし、シャロンは個人として犯罪責任を負っていると結論付けた。

 

シャロン当選に対するアメリカメディアの反応は、控えめに言っても地味なものに過ぎなかった。禁輸措置の脅迫がなされることなど無く、駐イスラエル大使の召還もなかった。

ロサンゼルス・タイムズは、シャロンが”過失から学んだ”というコラムを忠実に掲載した。2001年の6月にシャロンは、虐殺の生存者の証言に基づいてベルギーで戦争犯罪人として起訴された。

また、シャロンの側近で、2001年10月に暗殺されるまでイスラエルの観光大臣であり、強力な安全保障内閣のメンバーであったレハバム・ゼヴィが、パレスチナ人を”寄生虫”と表現し、イスラエルの占領地域からパレスチナ人を追放しようと提案したことも注目に値する。

ゼヴィは、パレスチナ人がイスラエルに不法に住んでいると述べ、”寄生虫を駆除するのと同じ方法で、イスラエル市民でないものを取り扱うべきだ。私達はこのガンが体に広まる前に止めなければいけない。”と述べた。

 

ユダヤ人組織とインターネットでのセンサーシップ

 

CofCで私は、”アメリカで民族紛争が激化するにつれて、多文化主義のイデオロギーにテコ入れするために、規格に準拠しない思想や行動に対する警察国家の自暴自棄な統制がますます試みられるようになることが予想される”と書いた。

上述のように、ユダヤ人がアメリカ社会におけるアウトサイダーから完全なインサイダーへと移行する中で、”the culture of critique”から”the culture of the Holocaust”とでも呼ぶべきものへと移行が始まっているのである。

確立されたエリートとしての地位と同時に、ユダヤ人組織は今や思想犯罪を検閲する運動の最前線を占めている。

 

インターネットは主要メディアの統制の主要な空白地帯であるが、ユダヤ人組織はインターネット検閲に挑戦する主導権を握っている。

Simon Wiesenthal Center(SWC)と3000を超える”インターネット上のヘイト・サイト”を挙げた”デジタル・ヘイト2001”と称するCDを配布している。

サイモン・ウィーゼンタール・センターとADLは共に、AOLなどのインターネット・サービス・プロバイダやヤフーなど人気のあるウェブサイトに圧力をかけて、加入者が不許可のウェブサイトにアクセスするのを制限しようと試みてきた。

最近、ヤフーはSWCによって”ヘイト・サイト”に指定された39のインターネットクラブを削除した。

インターネットオークションのサイトは、ナチスの記念品を販売したとして抗議に晒されている。

Amazon.comとBarnesandnoble.comは、ヒトラーの我が闘争を販売したとして非難を受けてきた。

ADLはまた、”Poisoning the Web:Hatred Online”という報告書を発行し、アメリカ議会に”インターネット上のヘイトの規模と影響に関する包括的な調査”を開始するよう促している。

 

アメリカ国内のオンラインサービスも、言論の自由に関して憲法上で保証していないフランス、ドイツ、オーストリア、カナダのような外国政府からの圧力を受けている。

例えば、ヤフーがアメリカ国内に本拠地を置いているにも関わらず、フランスのある裁判官は、同社のオンラインオークションを通じてナチスの資料をフランスの人々に配信することはフランスの法律に違反していると判決を下した。

ヤフーはフランスのサイトを別に作り、そこではヤフーの幅広いサービスとは異なってフランスの法律を順守しているにも関わらず、違法性が認定された。

ヤフーは、フィルタリング技術を使用して、政治的に敏感な素材がフランス国内のコンピューターに表示されないようにするか、そうでなければ一日につき13000ドル相当の罰金を払えと命じられた。

ドイツの裁判所は、外国人が他の国のウェブにコンテンツを投稿した場合でも、そのコンテンツがドイツ国内の人々にとってアクセス可能である限り、ドイツの法律が適用されると認定した。

このケースでは、オーストラリア人が自分のウェブサイトにホロコースト修正主義的な内容を掲載した場合、ドイツ国内では収監される可能性があるという判決が下された。

理論的には、この人物にその犯罪について裁判を受けさせる目的でドイツがオーストラリアに身柄引き渡しを要求することは可能である。

 

ユダヤ人組織は、ユダヤ主義批判の資料の配布を犯罪とするヨーロッパ諸国の法律を強力に支持してきた。

例えばADLはドイツ政府に、ユダヤ主義批判の資料を配布したアメリカ市民を逮捕しろと圧力をかけた。

ゲイリー・ラックはデンマークで逮捕され、ハンブルクの検察官の令状でドイツに引き渡された。彼は懲役四年の刑を言い渡され、刑期を終えたのち国外追放された。

 

この種の政府による検閲は、フランスやドイツのような国では有効であるが、憲法で保障された言論の自由の伝統が強いアメリカでは成功しない可能性がある。

その結果、アメリカでインターネットを検閲しようとするユダヤ人の努力の主な焦点は、AOLやヤフーなどの民間企業に圧力をかけて、ユダヤ人組織が認めていないサイトへのアクセスをブロックするソフトウェアを使わせることにあった。

ADLは、特定のウェブサイトを選別して遮断することができる自主的フィルター・ソフトウェアであるADL HateFilterを開発した。

しかし、最大手のISPであるAOL社はADLのガイドラインに沿った基準を設定して遵守していることを明らかにしたものの、Earthlink社などの他のISPはADLに協力しておらず、AOL社が拒否しているウェブサイトを提供する独立したウェブホスティングサイトが出現しているとADLは述べている。

 

インターネットはハイテク・コミュニティによって言論の自由のための避難所として長い間宣伝されてきたため、ADLとSWCは苦戦を強いられている。

最近ADLが発表したインターネットに関するレポートの結論には、ある種のフラストレーションが表現されている。

 

オンライン過激主義との戦いは、技術的にも法的にも非常に困難である….仮にサイトをインターネットから排除することが電子技術的には可能であったとしても、この媒体の国際的な性質が法的規制を事実上不可能なものにしている。

そしてアメリカでは憲法修正第一条が、言論の形式に関係なく言論の自由の権利を保障している。結果として、政府、企業、善意の人々はこの問題に対処するための代替的な方法を探し続けている。

 

ユダヤ人組織が、インターネット上のユダヤ主義批判の書き込みを検閲するためのあらゆる努力をしていることは明らかである。

インターネットからユダヤ主義批判のあらゆる資料を取り除くという彼らの目標実現はかなり困難であるが、長期的には非常に高い政治的利害関係があるため、多大な努力が投入されることは確実である。

アメリカでは、ADLやSWCのような組織による既存のISPへの圧力が失敗した場合、これらの企業はユダヤ系メディア企業による買収の標的になり、ユダヤ主義批判に関するウェブサイトへのアクセスが沈黙のうちに遮断されるようになり得る。

AOLは最近、既に全米規模の大規模ISPであるCompuserveと合併している、ユダヤ人が支配するメディア企業であるタイム・ワーナーと合併した。

上で示したように、AOL-タイム・ワーナーは、インターネット上での政治的意見の表現を制限せよというユダヤ人活動家組織の圧力に従った。

 

禁止されているウェブサイトの唯一の選択肢は、独自のインターネット・サービス・プロバイダーを開発することであると思われる。

これらのプロバイダーは、恐らく支援を受けてのものか比較的高価なものになり、非ユダヤ系ヨーロッパ人の民族主義運動やその他政治的に正しくないとされる表現に取り組む人々への、すき間市場を埋めることになる。

この状況は、放送・印刷メディアの現在の状況と似ている。

全てのメインストリーム・メディア(MSM)は事実上検閲されているが、アメリカン・ルネサンス(ジャレッド・テイラーが発行する白人の人種意識に基づくニュースレター)のような小規模な出版物は、繁栄はしなくとも存在し続けることは可能である。

 

しかし、そのような出版物が届くのは、人口のごくわずかな割合に過ぎない。彼らは基本的にMSMから無視されており、既に意見を共にしている人々の間にしか行きわたらない。

同じようなことがインターネットでも起こる可能性がある。サイトが存在するとしても、大多数のインターネット利用者にとっては視界に映ることも無く、気に留まることも無く、存在しないのと同じである。

大企業によるインターネットの事実上の検閲は、政府が関与しておらず、いかなる政策も既存のまたは潜在的な顧客を怒らせないための経営判断として正当化できるため、憲法修正第一条に違反することは無い。

 

結論

 

CofCは20世紀をユダヤ人の世紀、つまりユダヤ人とユダヤ人組織が極めて重要な出来事の全てに深く関与した世紀として理解する試みである。

ユダヤ人の視点から見た20世紀は躍進の世紀であった。

19世紀後半にはユダヤ人の大部分が東欧に住んでいたが、多くのユダヤ人は貧困にあえぎ、敵対的な人々と思いやりのない政府に包囲されていた。

一世紀後、イスラエルは中東での地位を確立し、ユダヤ人達は米国で最も裕福で有力なグループになり、他の西欧諸国でもエリートの地位を獲得した。

急進的な左翼でのユダヤ人の主要な役割は看過されるようになり、ナチスによるユダヤ人の犠牲は道徳的な試金石の地位を獲得し、

大規模な非白人移民、多文化主義、その他のユダヤ人の目的を推進するメインウェポンである。

それに反対する者達は知的政治的言論での辺境に追いやられて、彼らを完全に黙らせる強力な運動が現在進んでいる。

 

これは驚くことではない。ユダヤ人の人口は、グループ進化戦略としてのユダヤ教の中核を成す二つの特質によって、常に居住する社会に大きな影響を及ぼしてきた。

高い知性(富を獲得するための知性の有用さも含む)と、高度に組織化された集団で協力し合う能力である。(MacDonald 1994)

このことは、ユダヤ人が充分な人数存在する社会で、エリートかつ強力な集団となる結果を歴史上何度ももたらしてきた。

それは、15世紀のスペインや古代のアレクサンドリアと同じく、20世紀のアメリカとソ連においても繰り返された。

実際、最近のデータによるとユダヤ人の一人当たりの所得は非ユダヤ人のほぼ二倍に達し、これは黒人と白人の間の所得格差よりも大きい。

ユダヤ人は人口の3%未満に過ぎないものの、フォーブス誌の最も裕福な400人のアメリカ人の1/4以上を占めている。

大学年齢のユダヤ人の87%が現在高等教育機関に在籍しているが、人口全体では40%に過ぎない。

ユダヤ人達は間違いなくアメリカ社会でエリートグループである。

 

私の認識では、アメリカのユダヤ人コミュニティは、ユダヤ人組織が西欧諸国(現在は主に非ヨーロッパ系の大量移民の擁護に成功することで)

とイスラム世界(イスラエルによるパレスチナ人の扱いによって)で引き起こした大規模な混乱を無視して、アグレッシブに前進しているようだ。

その信念が正当化される理由が何であろうが、アメリカのイスラエル支援は、アラブ世界ではどう考えても感情的に説得力を持つ問題である。

人命の損失、経済的混乱、イスラム世界での憎悪と不信、国内での市民生活の自由の喪失等、アメリカがすでに支払ってきた莫大なコストに直面しても、イスラエル支持が維持されるのか。

これがアメリカでのユダヤ人の権力の真の試練となるであろう。

これを書いている時点で、ユダヤ人組織がアメリカ国内でのユダヤ人への反発に備え、またブッシュ政権がイスラム世界をなだめるためにイスラエルに対してパレスチナ人に譲歩するよう圧力をかけていることに、

ユダヤ人の間では懸念がある。(e.g.,Rosenblatt 2001)しかしあらゆる兆候が、911の結果によってイスラエルに対するアメリカの政治文化に根本的変更は無いことを示している。

 

一章 非ユダヤ文化へのユダヤ人の根源的評論:導入と理論

 

1500年間、ユダヤ人社会は知識人を生み出すよう設計されてきた…社会全体で知識人を後押ししてきた…富裕なユダヤ商人は賢者の娘と結婚した…

1800年ごろ、この古代から続く高効率の社会マシーンは突如その生産を切り替え始めた。その全ての生産をラビの研究の閉回路に投入する代わりに…大半の割合を世俗の分野に解き放った。

これは世界史の重大な事件である。(ユダヤ人の歴史、ポール・ジョンソン 1988,340-341)

 

Separation and Its Discontentsでの主要なテーマは、特定の姿のユダヤ主義(ユダヤ教)を合理化し、歴史を解釈し、セム主義批判と戦うためにイデオロギーを操作する点にあった。本書は多くの点でこの延長線上にある。

しかし、本書で論じる知的活動や政治活動は、通常はより広い知的および政治的世界で生じており、特定の姿のユダヤ教を合理化するためにはデザインされていない。

むしろそれらは広い意味で文化評論の努力として、時には特定のユダヤ人の利益に適合する形で、社会のより広い文化を変革する試みとして特徴づけられるかもしれない。

 

「シオンの長老たちの議定書」に描かれた非ユダヤ人の文化を弱体化させる一枚岩のユダヤ人の「陰謀」の話をするつもりはない。

啓蒙時代以降、ユダヤ教は決して一枚岩の運動では無かった。

その時代にどのように彼ら自身を守り利益を獲得していくかについてユダヤ人同士で相違があったのは明らかである。

本書で論じる運動(ボアズ人類学派、政治的急進主義、精神分析学、フランクフルト学派、ニューヨークの知識人たち)は、ユダヤ人コミュニティの多くが関係を持たない少数のユダヤ人が推進した。

しかし、これら運動を支配していたのは強烈なユダヤ人アイデンティティであり、運動を始めたのもユダヤ的なアジェンダからであった。

 

従って、ユダヤ主義(ユダヤ教)が一枚岩だとかユダヤ人コミュニティの全領域がこれらの運動に関与したと言うつもりはない。

ユダヤ人は政治的ラディカリズムや社会科学の運動を支配したり重要性を持つ可能性があり、全体の内のほんの少数であってもユダヤ人のアイデンティティがこれらの運動と高度に親和し、促進する可能性もある。

つまり、非ユダヤ人文化に対するユダヤ人の全体的な影響の問題は、多数派のユダヤ人が非ユダヤ人文化の変革を支持しなかったかどうかの問題とは切り離すべきだ。

 

この区別は以下の点で重要である。セム主義批判者は、政治的急進主義へのユダヤ人の関与を、

富裕なユダヤ人資本家やメディア、学界等へのユダヤ人の包括的な集団戦略の一部分だと暗黙的明示的に想定していることが多い。

 

一方、ユダヤ人が多くの政治的ラディカリズムを主導していることに対するセム主義批判を和らげようとするユダヤ人は、その関与者はユダヤ人内の少数派であり、非ユダヤ人も関与していると頻繁に訴える。

例えば1930年代から40年代におけるAmerican Jewish Committeeはその指摘に対し、ほとんどのユダヤ人は急進派ではないと繰り返し強調した。

とはいえ、この時期のAJCはユダヤ人社会の急進主義と戦う努力を見せた。(e.g.,Cohen 1972)

 

(1)ユダヤ人のアイデンティティが急進的政治運動と親和性があるのか、また関与を促進するか

(2)ユダヤ人が急進的政治運動の主要な部分を占めるか

(3)急進的な運動(または本書で触れた他のユダヤ人の知的運動)におけるユダヤ人の優位性から生まれる非ユダヤ人社会への影響力

これらが声明の真偽とは別として、一枚岩のユダヤ人達のグループ進化戦略としてのユダヤ主義の帰結と受け取られる可能性を

AJC自身暗に認識していた。

 

同様に、1930年代以前のほとんどのユダヤ人があからさまなシオニストではなかったからといって、

ユダヤ人のアイデンティティがシオニズムと無関係だとか、

ユダヤ人がシオニズムに支配的影響力を持たなかったとか、

シオニズムが非ユダヤ人社会に影響を与えなかったとか、

一部の非ユダヤ人が熱心なシオニストにならなかった等とは証明できない。

 

政治的急進主義は啓蒙時代以降にユダヤ人が利用できる選択肢の一つであり、ここではユダヤ教が一枚岩の集団を形成しているとまで言うつもりはない。

ユダヤ人が非ユダヤ人よりも急進的な政治の選択肢を好むこと、いくつかの急進的運動をユダヤ人が支配していたことは、それゆえこのプロジェクトに深い関係がある。

 

これらの運動に一部の非ユダヤ人が関与していたことも驚くことではない。理論レベルでは、私の考えは再び社会的アイデンティティ理論の進化論的解釈に基づいている。(see SAID,Ch.1)

非ユダヤ人は、社会的アイデンティティとイングループ・アウトグループ競争に基づく理由で、ユダヤ人が魅了される政治的知的運動に同じように惹き付けられることがある。

例えば、アフリカ系アメリカ人の知識人は、白人への敵意とそこから生じる遺伝的劣等感への対応として、左翼の知的運動や、IQの人種間格差を環境のせいにする理論に多少なりとも依拠してきた。

 

同じように、セム主義批判は多くのユダヤ系知識人のモチベーションになってきた。社会的アイデンティティにおける理論的に原始的なものとして自尊心の動機付けの役割を思い出してほしい。

かなり多くの人々が、何らかの理由で自らを特定の社会政治システムの犠牲だと感じると、そのシステムを批判し、他の人の問題を非難して、自分自身や自身のイングループに対するポジティブな評価とアウトグループに対するネガティブな評価とを広く立証する運動に惹かれる。

私が検討した知的政治的運動のそれぞれで、ユダヤ人としてのアイデンティティとセム主義批判との戦いへの関心がはっきり関係している。

 

また、ユダヤ人が知的支配を獲得すると、社会的に支配的な権威のあるメンバーの一員、貴重な資源の分配者としてのユダヤ系知識人に、非ユダヤ人は魅了されて当然である。

この視点は、集団力学の進化論的視点と合致する。

知的ヒエラルキーのステータスを求めて交渉する非ユダヤ人は、ヒエラルキーの最上位メンバーの特徴に魅了され、特にそのヒエラルキーが社会によく浸透している場合にはそれが顕著である。

非ユダヤ人にしてパルチザンレビューの編集者であった作家のウィリアム・バレットは、キャリア初期の「ニューヨーク知識人」(6章で取り上げたユダヤ系知識人集団)に対する”畏敬と称賛”について語っている。

”私にとって彼らは奇妙かつ神秘的な魅力に包まれていた”(in Cooney 1986,227)

パルチザンレビューはこの強い影響力を持つ知的運動の旗艦の雑誌であり、文壇での成功失敗を左右する力があった。

レスリー・フィードラー(1948,872,873)は彼自身ニューヨーク知識人であり、アメリカのユダヤ系作家の世代全体(デルモア・シュワルツ、アルフレッド・カジン、カール・シャピロ、アイザック・ローゼンフェルド、ポール・グッドマン、ソール・ベロー、H.J.カプラン等)

を”典型的な都市部の第二世代のユダヤ人”と評した。これらの作家の作品はパルチザンレビューに定期掲載された。

フィードラーはこう述べている。”地方からニューヨークに引き寄せられた非ユダヤ人は、自らが世間知らずだと恥じてユダヤ人に順応を試みる。そしてニューヨークで非ユダヤ人作家が作るユダヤ人作家のパロディは我々の時代を奇妙に決定的に傍証している。”

 

カドゥシン(1974,23)のWW2後のアメリカのエリート知識人のサンプルは半数がユダヤ人になった。

サンプルは、主要な知識人向けジャーナルに最も頻繁に寄稿する人物に基づいており、その後、知識人が自分の思考に最も影響を与えたと思う他の知識人へ”投票”するインタビューがあった。

サンプル中のユダヤ人の40%以上が、最も影響力のある人物として6票以上を獲得したのに対し、非ユダヤ人は15%に過ぎなかった。(p.32)従ってジョセフ・エプスタイン(1997)が、1950年代から60年代初頭にかけてユダヤ人であることが知識人の間で”尊称”だったと指摘しても驚きはない。

非ユダヤ系知識人は”先祖にユダヤ人がいないか探し回った”。(Epstein 1997,7)

 

1968年までにウォルター・カーは次のように書くことができた。

”WW2以降、アメリカの感性が一部ユダヤ的になり、恐らく他の何よりユダヤ的である。読み書きできるアメリカ人はある程度ユダヤ人のような思考様式になった。そういう風に教えられ、そうする準備もできていた。

芸能人や作家に続いて、ユダヤ人の評論家、政治家、神学者も現れた。彼らは、制度設計の専門家なので物の見方考え方を形成する。”

私の個人的経験では、このユダヤ系知識人の名誉あるステータスは今でも私の同僚の間で一般的であり、例えば1930年代から60年代の”ユダヤ人によるアメリカの学術界の民族宗教的人口動態の変容”のホリンガー(1996,4)の最近の研究で明らかである。

 

最後の主要テーマは、ここで取り上げた運動がユダヤ人主導だとかユダヤ人セクターの利益が目的だという印象を薄めるために、非ユダヤ人が積極的に運動に採用され、広告塔の役割を与えられることについてである。

社会的アイデンティティ理論の視点からこの戦略を見た場合、それら知的政治的運動が非ユダヤ人にも利益になるのだと見せるのが目的である。

SAID(Chs.5,6)で示したように、普遍主義の美辞麗句とユダヤ人の利益の守護者に採用される非ユダヤ人の存在は、昔も今もセム主義批判との戦いで繰り返されるテーマである。

 

本書で論じた運動へのユダヤ人の関与の有効性と歴史的重要性は、実際に関与したユダヤ人が少ない割には大きすぎることも忘れてはいけない。

例えば、ある時代の急進的な政治的・知的運動におけるユダヤ人が少人数に過ぎなくとも、その運動の有効性と歴史的重要性に欠かせなかった可能性が高い。

急進派のユダヤ人は高い知能、野心、粘り強さ、労働倫理、強く結束した自己献身力の高い集団を組織する能力を備えていた。(PTSDA,Ch.7)

リンデマン(1997,429)曰く”ユダヤ人の絶対数や占める割合だけを見ると、ユダヤ人ボルシェビキの自己主張と圧倒的な言語能力、熱意、信念の強さという重要な鍵を見落とす”。

これらの能力で平均を遥かに上回る傾向があるユダヤ人の特性は、歴史を通じてユダヤ教というグループ進化戦略の中心にあった。

 

アメリカのユダヤ人急進派についてソリン(1985,121-122)は、彼らの勤勉さと献身、名を残す欲望、出世欲、自分を売り込む努力、世間の評判への欲望等の

人生のあらゆる歩みに上昇志向をもたらす特徴に言及している。

当然彼らのグループは同様に働く非ユダヤ人達よりも強力で効果的になった。

”ユダヤ人プロレタリアートは、その階級の関心とその文化的アイデンティティを意識しつつ成長し、活動主義と組織も共に育っていった。”

ソリンは、1903年のロシアでの革命家の半数がユダヤ人であったという主張を受け入れて、ストライキの数と労働時間の損失から計算される1895年から1904年の間のユダヤ人の労働生産性は、

ヨーロッパの他の労働者階級の三倍であったと指摘した。

左翼サークル内では、ユダヤ人は運動の先駆者と見なされていた。

この臨界に達したユダヤ人が急進化すれば、ヨーロッパや北アメリカ全体に重大な影響があるのは当然である。

急進的であることに加えてこれらのユダヤ人は非常に優秀で知的で自己献身的な集団であった。

同様にホリンガーは、ユダヤ人は富、社会的地位、知的分野での技術力で優れていたため、アメリカにおける均質なプロテスタント・クリスチャン文化の衰退に対しても、カトリック教徒より大きな影響力を持っていたと指摘した。

 

よって、本書で取り上げた運動を起こして支配したユダヤ人は、知性、粘り強さ、団結力と協調性、一つの目的に邁進するグループを作れる非常に高い能力を兼ね備えた人々だというのが、大きなテーマである。

したがって、これらのグループは、構成員に特徴的な高いレベルのユダヤ人アイデンティティが備わっているだけでなく、

グループ進化戦略としてのユダヤ教の本質的特徴を維持していることから、歴史的なユダヤ人グループの世俗バージョンとして概念化できる。

これらの特徴によって、彼らのグループはその目的を果たす上で極めて効果的であった。

まとめると、高度に統合された協力的なグループが個人主義的な戦略を打ち負かすことが改めて確かめられた。

実際、以下の章では、ユダヤ人知識人が非常に結束力の強いグループを形成し、その影響力の大部分はグループの連帯と結束から生まれることを重要なテーマに取り上げる。

知的活動自体は非ユダヤ人と大差はないが、結束力のある集団は個人主義的戦略を打ち負かすのである。

この法則の根底にある真理は、ビジネスでの提携や取引独占、或いはここで議論した知的・政治的活動のいずれにおいても、歴史を通じたユダヤ教(ユダヤ主義)の成功の中心にあった。(see especially PTSDA,Ch.5)

 

本書のもう一つ主要なテーマは、ユダヤ人知識人が非ユダヤ人社会の制度を徹底的な批判にさらす知的運動を発展させてきたことである。

これとは逆に、非ユダヤ人が支配する社会では、現在の社会制度を説明し合理化するヘゲモニー的なイデオロギーがしばしば発展してきた。

世界の主要な宗教はそうであったし、最近では共産主義、ファシズム、自由民主主義等のイデオロギーが同様の機能を果たしていると思われる。

ユダヤ教(ユダヤ主義)は、独自の世界観にこだわる少数派戦略の立場から、周りの社会の制度やイデオロギーを否定的に捉えるイデオロギーを採用する傾向にある。

 

このような結果は、社会的アイデンティティ理論から直接導くことができる。特に顕著なのは、ユダヤ教の宗教書に見られる非ユダヤ人に対するネガティブな見解である。

清浄に関する律法では、非ユダヤ人とその土地は本質的に穢れたものである。マイモニデスの著作で非ユダヤ人女性には淫行を疑い、非ユダヤ人男性には獣姦を疑うように、ユダヤ人にとっての非ユダヤ人は最悪の堕落さえ可能な獣に例えられる。

一方でユダヤ人は、自分たちを創世記に登場するヤコブの子孫で、肌が滑らかで繊細で熟考的として概念化している。

非ユダヤ人は、ヤコブの双子の兄であるエサウで表され、ヤコブとは正反対に毛深く、粗暴で、残忍である。

エサウが狩人と戦士として生活するのに対して、ヤコブは知性と策略で生活しており、ヤコブに仕えるよう神に命じられたエサウの主人に正に相応しい。

リンデマンは(1997,5)は、これらステレオタイプが現代でもユダヤ人の間で顕著に残っていることを示した。

 

ユダヤ人が非ユダヤ文化に対するネガティブな認識を非ユダヤ人に植え付けようとすると、ユダヤ教は破壊的だとみなされることもあり得る。

ユダヤ教と破壊的なイデオロギーとの関連には長い歴史がある。

ルイス(1984,104)は、イスラム諸国におけるユダヤ人と破壊的思想との関連に注目し、ユダヤ人の破壊のテーマは”他の時代他の地域”でもおなじみであると述べた。

ジョンソン(1988,214-215)は、中世以降の改宗ユダヤ人、特に改宗を強いられたユダヤ人は、”知識人の中でも批判的、探究的で不穏分子であった”と発見した…

したがって、彼らが知的破壊者であるという主張には真実が含まれている。

中世のユダヤ美術に関する最近の本のタイトルは、このテーマをよく表している:ユダヤ人の破壊の夢・中世の美術と文学(M.M.Epstein 1997)。

エプスタインは、”中世後期のユダヤ人がキリスト教世界の破壊を訴えた時の怒りが感じられる”と述べた。

 

古代から中世にかけては、非ユダヤ人の制度に対するネガティブな見解は、ユダヤ人コミュニティ内部での消費に比較的とどまっていた。

しかし、15世紀のスペインのコンベルソ騒動以降、こうしたネガティブな見解が最も権威ある知識人サークルや大衆メディアに度々出るようになった。

これらの見解は、一般に、非ユダヤ人社会の制度に激しい批判を浴びせ、また、ポスト宗教の知的環境においてユダヤ人のアイデンティティを合理化する知的構造の発展につながった。

 

フォールは、15世紀16世紀のスペインで、キリスト教を中心とするスペイン社会の共同体の体質に反対するヒューマニスト思想家の中に、コンベルソが圧倒的に多くいたと明らかにした。

フォールはこれら作家の一般的な主張を説明する中で、”高度に洗練された文学作品の創作から学術的哲学的な作品の執筆まで、その戦略はさまざまであったが目標はただ一つ

「旧クリスチャン」の価値観や制度に代わる思想や方法論を提示する点にあった…

クリスチャンのスペインの価値観や制度を転換させることの緊急性は、1449年にトレドで旧クリスチャンが起こした最初のコンベルソ虐殺でより明白となった”と述べた。

同様にカストロは、特に社会風刺を含む”暴力的な社会批判”と”反社会的な恨み”の作品が15世紀のコンベルソの作家から生まれたことを指摘した。

 

その典型例は、フェルディナンド・デ・ロハスのセレスティーナである。

かれは”父祖の宗教を失い、クリスチャンの信仰に自分自身を統合することができないコンベルソのあらゆる苦悩、悲観、虚無感を込めて”書いた。

ロハスは、当時のカスティーリャ社会を”腐食性の分析にさらして、破壊的と呼ばれる精神で、新しい不寛容なシステムの全ての伝統的な価値観と精神構造を破壊する。

文学から始まり、宗教に進んで、制度化されたカースト制度のあらゆる「価値観」名誉、勇気、愛を通過して、全てを倒錯的に粉砕する。”と述べた。

 

このようなユダヤ人と破壊的イデオロギーとの結びつきは、ユダヤ人が西欧の公式の知的討論に参加できるようになった啓蒙時代以降も続いた。

ポールジョンソンはバールークスピノザについての著作で、彼を”ユダヤ人の合理主義が伝統的共同体の制約を脱すると、その破壊力が計り知れないことを示した最初の主要例”と呼んだ。

同様にハインリヒハイネは”ヨーロッパ文学における新しい人物像の原型である。ユダヤ人の急進的なマン・オブ・レターであり、そのスキル、評判、人気を利用して、既存の秩序の知的信頼性を傷つけた”。

 

ユダヤ人の知性の”徹底的破壊力”は、国家社会主義時代以前のドイツの重要な側面であった。

SAIDで示したように、1870年~1933年のドイツの社会的保守派と人種理論に基づくセム主義批判者の両方の顕著な特徴として、彼らはユダヤ人がドイツの伝統的生活・信念を転覆する思想の開発に寄与したと信じていた。

1920年代のドイツでは、編集者や作家の内のユダヤ人の割合は極端に高かった。

”セム主義批判が高まったより一般的原因は、反体制派のユダヤ人が社会主義と非社会主義の両方の出版物でドイツ国家そのものやドイツの慣習を攻撃する非常に強く不幸な傾向であった。”(Gordon 1984,51)

”破壊の心を袖にまとった”クルト・トゥホルスキー等のユダヤ人作家の”メディアを用いた暴力”(Pulzer 1979,97)を、セム主義批判の報道機関が広く報じた。(Johnson 1988,476-477)

 

ユダヤ人は、ワイマール時代のドイツの急進的ジャーナリスト、知識人、”文化の生産者”に極端に多かっただけでなく、本質的にこれらの運動の生みの親である。

”彼らはドイツ社会のあらゆるものを激しく攻撃した。彼らは軍隊、司法、そして一般的に中産階級も軽蔑した。”(Rothman&Lichter 1982,85)

マシング(1949,84)は、セム主義批判者のアドルフ・シュテッカーがユダヤ人の”保守的クリスチャンの世界に対する敬意の欠如”を認識していたことを指摘した。

 

ワイマール時代の大学教授達のセム主義批判は、

”ユダヤ人は現代思想の批判的あるいは”ネガティブ”な側面、つまり現代国家の道徳的な確かさ、愛国的行動、社会的結束を解体するのに役立つ「分析と懐疑の酸」を表した”(Ringer 1983,7)という認識に部分的に煽動された。

こうした認識を反映した当時の国家社会主義の宣伝は、ユダヤ人自身が、非常に結束したグループを保ちながら一方で非ユダヤ人の社会的結束を弱体化させると訴えた。

この知的ダブルスタンダードでは、ユダヤ人が”その国際的結束力、血縁、精神的一致を維持する一方、非ユダヤ人の社会的結束の基盤が激しい批判に晒された。”(Aschheim 1985,239)

この視点から見ると、ユダヤ人の知的奮闘の重要な目標は、非ユダヤ人の結束力を弱める一方でユダヤ人自身は高度に団結したグループ戦略を継続することにあると見なされ得る。

この問題は、第三章と第五章の急進的政治運動とフランクフルト社会研究所へのユダヤ人の関与の議論で再び浮上する。

 

この現象はドイツに限ったものではない。ギルソンは、世紀の変わり目のフランスでの彼のユダヤ人教授について以下のように述べた。

 

”これら大学教授達の教義は、実際には互いに全く異なっていた。レヴィ・ブリュールの個人的な哲学さえデュルケームのと正確に一致していなかったし、フレデリック・ローは独自の道を進んでいた…

彼らの教義で共通する唯一の要素はネガティブなものであるが、にもかかわらずそれ自身の秩序においては現実的であり非常に活発でもある。

それは、解放されるべき制約として社会的に考えられている全てのものに対する根本的な反抗と説明できるかもしれない。

スピノザとブランシュヴィックは形而上学を通じてこの解放を実現した。デュルケームとレヴィ・ブリュールは科学と社会学を通じて、ベルグソンは直感を通じてこの解放を実現した。”

 

また、ユダヤ人は1960年代中盤以降、アメリカ、英国、フランスにおいて、特にメディアや学術界の敵対的文化の擁護者として最前線に立ってきた。(Ginsberg 1993,125ff;Rothman&Isenberg 1974a,66-67)

シュタインによれば、1970年代のテレビ番組のユダヤ人作家とプロデューサーのサンプルは、非ユダヤ人主導の文化と見なしたものについて非常にネガティブな態度を取った。

彼らの最もネガティブな発言は、正式なインタビューよりも非公式の会話で出たものであった。

ビジネスと軍隊における非ユダヤ人のエスタブリッシュメントを描くテレビ番組は、非常にネガティブなものである傾向がある。

例えば、”作家たちは軍人を金髪で髭を剃った完全なWASPの人物として考えている。私がインタビューした数人の心の中では、この金髪の将校たちは国家社会主義者とほとんど違いが無かった。

彼らは、異なる民族的背景を持つ人々を実際にまたは潜在的に抑圧するアーリア人支配階級の一員として考えられていた”

 

実際、グレイザーとモイニハン(1963/1970)は、アメリカにおける敵対的文化の出現を、ニューヨークのユダヤ人の文化的政治的な勝利と見なした。

ユダヤ人作家や視覚芸術家(E.L.ドクトロウ、ノーマン・メイラー、ジョセフ・ヘラー、フレデリック・ワイズマン、ノーマン・リアを含む)は、

アメリカ社会を”病んだもの”として描く試みに、不釣り合いなほど深く関与していた。

文科的な破壊の一般的な手法は、”真の不公平または非合理性への攻撃を含む。全ての社会にはその両方が存在するため、標的がなくて困ることは無い。ただし、攻撃は通常、その不公平や非合理性自体に向けられたものではない。

むしろ、そうした不公平や非合理性は、社会秩序そのものの弱体化を達成するという大きな目的のための手段として使われる。”(Rothman&Lichter 1982,120)

 

本書では、ユダヤ人が主導する社会科学と急進的政治思想と精神分析学とフランクフルト学派とニューヨーク知識人が、進化論・生物学・遺伝学的知見に反対していることに焦点を当てる。

これらの運動は、文化的・遺伝的な分離主義といったユダヤ主義の特定の側面を合理化するのを目的としていない意味では、ユダヤ人専門のものではない。

重要な点は、ユダヤ人がこれらの運動の中に極端に多すぎること、彼らの内の大多数はユダヤ人のアイデンティティの強さが特徴であること、そして、それら全てが非ユダヤ人文化からの疎外と拒絶に関わることである。

 

よってこの議論は、19世紀のドイツ系ユダヤ人知識人が”多数派の文化の中で独自の文化的形態を維持した、変容するドイツ系ユダヤ人の見えざる共同体”を構成しているというソーキンの説明を反映したものである。

したがって、より広い非ユダヤ人文化に対するユダヤ人の文化的貢献は、ユダヤ人グループのアイデンティティがその”不可視性”にも関わらず最も重要であり続けるという、極めて特殊な視点から達成されてきた。

同化したユダヤ人知識人の模範ベルトルト・アウエルバッハでさえ、”ドイツ系ユダヤ人の少数派に特有の方法で多数派文化の要素を操作した。”(Sorkin 1985,107)

世俗的なユダヤ人知識人にとってアウエルバッハは、ユダヤ教を放棄せずに同化したユダヤ人の模範となった。

ほとんどの場合、これらの世俗的ユダヤ人知識人は他の世俗的ユダヤ人とのみ交流し、ドイツ文化への貢献をユダヤ教の世俗的な形態、つまりユダヤ人知識人が持つ強いユダヤ人アイデンティティの”目に見えない共同体”と見なしていた。

このようなグループの利益のための文化の操作は、セム主義批判の本に共通するテーマであった。

よって、ハインリヒ・ハイネのドイツ文化に対する批判は、非ユダヤ人社会の結束力を犠牲にして自身の集団の権力を追求するのが目的だと見なされた。(see Mosse 1970,52)

 

後々論ずる幾つかの運動では、その宣伝者たちが、真実と科学的妥当性の現代的裁定者である科学の衣をまとって美麗美句を展開したことが極めて重要である。

ホワイト(1966,2)がボアズ人類学派の人類学について述べているように、その科学のオーラは欺瞞的である。

”彼らは、自分たちの前提や結論の選択が科学的見解によって導かれたように見せかけ、全ての人に信じさせようとする。これは間違いなく科学的ではない…

彼らは明らかに誠実であるが、しかし彼らの誠実さとグループへの忠誠が、時として彼らを確信させ、その結果欺く傾向がある。”

 

この話は、ロバート・トリヴァース(1985)の自己欺瞞の進化論の優れた例証である。最高の欺瞞者は、自分で自分を騙す人々である。

時々、その欺瞞は意識的になる。チャールズ・リーブマン(1973,213)は、社会科学者としての彼の仕事での普遍的イデオロギー(行動主義やリベラリズム)を無自覚に受け入れたと述べ、

その信念の中でユダヤ人のアイデンティティが果たす役割について自己欺瞞を行っていたことを示唆した。

行動主義者(そしてリベラリスト)として、私は自分の学問的方法論について完全に無自覚であったと証明できる。そうしなければ、私が信奉する普遍主義自身が破綻してしまう。

 

非ユダヤ人社会に対するユダヤ人の過激な批判を概念化する より抜粋

 

中略

 

同様に、サモンズ(1979,263)は、ハインリヒ・ハイネとカール・マルクスの間の相互の魅力の基礎は、”彼らは改革者ではなく、Haterであり、これが二人の絆の最も根本であった可能性が非常に高い”と説明した。

この指摘は社会的アイデンティティ理論と一致し、社会批判に関与するユダヤ人知識人の根本の動機を、セム主義批判者として認識される非ユダヤ人が支配する権力構造への単なるヘイトだと提起する。

非ユダヤ人社会に対するこの深い反感は、社会学者でニューヨーク知識人のマイケル・ウォルツァーが

”ユダヤ人の生活の病理”、特に”’全世界が自分たちに全て敵対している’と言う感覚、そこから生じるゴイムへの恐れ、恨み、憎しみ、そしていつか逆転勝利するという秘密の目標”を論じた。

このような”いつか逆転勝利するという秘密の目標”は、第三章で取り上げるユダヤ人急進派と第四章で論じるフロイトと精神分析運動のテーマである。

 

確かに、敵と認識したものに対する強烈な憎悪は、ユダヤ人の重要な心理的特徴であると見なせる。

シャッツが、戦間期にポーランドの全ての共産主義者が敵を憎んでいたのに対し、ユダヤ人共産主義者はより多くの敵を識別し、より激しく憎んでいたと述べたのは注目に値する。(1991,113)

第三章で詳しく述べるように、これら共産主義グループは実際には、その構造と心理的方向性において、伝統的なユダヤ人グループに極めて似た非常に結束した集団であった。

ユダヤ人共産主義者が敵に対してより強いネガティブな感情を持っていたという提案は、PTSDAとSAIDの資料でも例証できる。

資料は、ユダヤ人が肥大した社会的アイデンティティのシステムを持ち、集団主義社会構造への不自然なほどの傾向を持つと見なされる可能性を示している。

ユダヤ人がアウトグループや敵と認識した者に向ける憎しみの強さは、こうした傾向の感情的な表れである可能性がある。

確かにPTSDAでは、ユダヤ人の感情生活が非常に区分されており、ポジティブな社会的相互作用(パラダイム的にイングループと認識されたメンバーに向けられる)と人への激しい敵意(パラダイム的にアウトグループと認識された人に向けられる)の間で切り替わる傾向を示す証拠を示した。

 

社会的アイデンティティ理論は、ユダヤ人の知的活動が、セム主義批判者によって発達した社会的カテゴライズに直面した場合に彼ら自身の社会的アイデンティティを擁護するイデオロギーの開発に向けられることも予言する。

歴史的には、これはユダヤ人が信仰を釈明する際によくあるテーマである。(see SAID,Ch.7)

しかし、それはユダヤ人の世俗的な作家の間にも見られる。

カストロ(1954,558)は、異端審問の時代にセム主義批判の中傷から”ヘブライ人の血筋を守る”ための改宗クリスチャン(改宗ユダヤ人)の努力を説明する。

ブルゴスのコンベルソの司教は”私の先祖がユダヤ人であると指摘して私を侮辱できるとは思わないで欲しい。確かにそれは事実だが、私は誇りに思っている。先祖を遡れることが高貴さであるなら、誰がユダヤ人ほどの歴史を持つだろうか?”と言った。

マカバイ人とレビ人の子孫であるユダヤ人は”生まれながらに高貴”である。

カストロはまた、当時の改宗クリスチャンの文学のテーマが”社会的に苦境に置かれている人々への敬意”であったと述べた。

ユダヤ人は、自身が所属する社会的カテゴリーをポジティブなものとして描いた。

 

興味深いことに、コンベルソのヒューマニストのイデオロギーは、非ユダヤ人であるクリスチャン社会の共同体の体質に対抗して、個人の価値を強調した。(Faur 1992,35)

当時のユダヤ人と非ユダヤ人のグループの対立の顕著性を反映して、旧クリスチャンは、個人の価値を、個人の努力からよりも宗教的所属(つまりグループのアイデンティティ)から得られると見なした。

”16世紀には価値観の尺度はますますアンバランスになり、その結果として、仕事や思考の能力を評価するよりもその人が誰であるかを確立させることがより大事だという考え方が生まれた。”(Castro 1971,581)

よって、コンベルソの知識人が価値の基礎としての個人の価値のイデオロギーを推進したことは、彼らが個人の価値が切り下げられる社会的アイデンティティと戦う事例の一つと見なせる。

 

そのコインの裏面では、ユダヤ人の登場人物をネガティブにあるいは悪いものとして描写するユダヤ人作家に対して、大抵ユダヤ人は非常に否定的に反応してきた。

例えばフィリップ・ロスは、そのような人物を描いたこと、少なくとも彼の作品がセム主義批判者に読まれる可能性のあるアメリカにおいてそのような人物を描写したことで、ユダヤ人やユダヤ人組織から広く批判されてきた。(see Roth 1963)

この懸念の表向きの理由は、そのような描写がセム主義批判につながる可能性があるというものであるが、ロスは、

”実際に反対されているもの、直ちに痛みを伴うもの…それは特定のユダヤ人への直接的影響であることも示唆した。’あなたは彼らが恥じていることを暴露したため、多くの人の感情を害した’。”

ロスへの批判で意図されているものは、イングループがポジティブに描かれるべきだということであり、実際に最も一般的なタイプのユダヤ人の文筆活動は、ユダヤ人をポジティブに描くことである。(Alter 1965,72)

この引用はまた、SAIDの第八章におけるユダヤ人の自己欺瞞に関する議論にも反映している。

ユダヤ人の実際の行動を意識することで生じる恥は、せいぜい半分意識的なものにすぎず、この自己欺瞞に対して彼らが挑戦すれば大きな心理的葛藤が生ずる。

 

ユダヤ人の知的活動における社会的アイデンティティのプロセスの重要性は、しばらく前にソーンスタイン・ヴェブレン(1934)に認識されていた。

ヴェブレンは、ヨーロッパにおけるユダヤ人の学者・科学者の卓越性を説明し、彼らがアイコノクラスト(伝統・因習・偶像破壊者)になる傾向を指摘した。

彼は以下のように指摘した。啓蒙主義は宗教的アイデンティティに慰めを見出すユダヤ人知識人の能力を破壊したので、もはやユダヤ人は非ユダヤ人社会の知的構造を無批判に受け入れることもなくなった。

ヴェブレンはこうも示唆した。ユダヤ人はアイコノクラズムに従事することで、非ユダヤ人世界の根本的な社会的なカテゴライズのシステム(ユダヤ人には快適でなく非ユダヤ人には快適であるシステム)を批判に晒している。

ユダヤ人は、”非ユダヤ人が慣習の惰性によって過去から引き継ぐ因習的な先入観(無難で分別のある非ユダヤ人を一方で保守的で自己充足的な状態に陥らせ、もう一方では知性の視界を曇らせて凝り固まらせるもの)を背負っていない。”(Veblen 1934,229)

 

確かに、ユダヤ人の社会科学者はこれらの関連を意識することが度々あった。ピーター・ゲイ(1987,137)は、第四章で触れた西洋文化への反感に関するジークムント・フロイトの1926年の手紙からこう引用している。

”私は自分がユダヤ人であるゆえに、他の人々の知性の活用を制限する多くの先入観に囚われずに済んでいる。そして、’身動きの取れない多数派’と調子を合わせずとも、下野して自由にやる心構えもできていた。”

後の手紙でフロイトは、精神分析を受け入れるには”下野して孤立した人の心境、つまりユダヤ人のような心境を受け入れるある種の覚悟が必要であり、それはユダヤ人に一番馴染みがある”と述べた。(in Gay 1987,146)

 

そこには、周りの社会に対する疎外感が存在する。ニューヨーク知識人で政治的急進派であるアーヴィング・ハウいわく、ユダヤ人知識人は

”社会からの距離感を感じがちで、一般に受容されているドグマに対して生まれつき批判的な立場を取り、生活の中でアットホームな安心感を感じることができない”傾向がある。(1978,106)

 

ソロモン・マイモンからノーマン・ポドレツまで、

レイチェル・ヴァーンハーゲンからシンシア・オジックまで、

マルクスとラサールからアーヴィング・ゴフマンとハロルド・ガーフィンケルまで、

ヘルツルとフロイトからハロルド・ラスキとライオネル・トリリングまで、

モーゼス・メンデルスゾーンからJ.ロバート・オッペンハイマーとアイン・ランドとガートルード・スタインと二つの帝国(ヴィルヘルムとチャールズの)まで、

亡命ユダヤ人の知識人の意識と行動の上には、アイデンティティの危機と運命の共有と言う一つの支配的な構造が課せられている。

ユダヤ人解放の訪れとともに、ゲットーの壁が崩れ落ちてユダヤ人街が離散し始めると、ユダヤ人は目を大きく見開いた人類学者のようにして奇妙な世界に足を踏み入れて、奇妙なハラーハーを順守する奇妙な人々を探し訪ねた。

彼らは戸惑い、怒り、冷酷な客観性をもってこの世界を審査し、呆然とする。

彼らは、社会の部外者の非正規会員としてのこの戸惑い、怒り、そして復讐心に燃えた客観的審査の常習犯である。

ユダヤ人解放運動は現代に至っても健在なので、彼らは私達の時代でも衰えることなくそれを続けるだろう。(Cuddihy 1974,68)

 

社会的アイデンティティのプロセスから生じる知的批判は、ユダヤ教の具体的目標を実現する上で機能する必要はない。

しかしこの一連の理論は、ユダヤ人の知的活動が、ユダヤ人に利益をもたらす形で社会的カテゴライズのプロセスに影響を与えることを目指していると仮定すると、かなり辻褄が合う。

後の章では以下を立証する。ユダヤ人の知的活動は今や社会全体に対して、もはやユダヤ人と非ユダヤ人の社会的カテゴライズが重視されなくなり、理屈で言ってもどうでもよくなるような、普遍主義的なイデオロギーを提唱している。

例えばマルクス主義的な分析では、社会の紛争は経済的な階級の間でのみ生ずるとされ、民族グループの間の資源競争の話を見当違いのものとしてしりぞける。

社会的アイデンティティの研究では、普遍主義的なイデオロギーの下ではユダヤ人と非ユダヤ人の社会的カテゴライズはもはや軽視されるので、それが受容されればセム主義批判が減ると予測している。

 

最後に、少数派の視点が多数派の態度に強い影響を与えることが可能であると仮定する十分な理由がある。(例えばPérez&Mugny 1990)

社会的アイデンティティの研究によると、少数派の見解が特に高度な内部一貫性を持つ場合には、多数派の態度に影響力を発揮できる。

 

なぜならそれは、当然のこととされて疑問の余地がなかった合意に基づく多数派の視点に取って代わる可能性をもたらすからである。

人々は突然、こけおどしの多数派の合意の中に欠陥を見つける。留意が必要な新たな争点、問題、疑問が生じる。

もはや、物事の本質を裁定する不変で安定した唯一のものとして現状が受容されることは無くなる。

人々は自分の信念、見解、慣習を今までのものから自由に変更できるようになる。ところで、彼らはどこに向かえばよいのだろうか?

一つの方向は、活動的な少数派に向かうことである。それは(その定義と設計に基づき)その活動によって、今や人々を悩ませる問題そのものに、概念的に首尾一貫したエレガントでシンプルな解決策を供給する。

’イデオロギー’という言葉を用いて…活動的な少数派は支配的なイデオロギーを新しいものに取って代えようとする。(Hogg&Abrams 1988,181)

 

少数派グループの影響力の重要な要素は知的な首尾一貫性である。(Moscovici 1976)

ユダヤ人が支配する知的運動は、イングループの高度な結束力を維持し、ユダヤ教の伝統的な一面である高いレベルのイングループ・アウトグループ思考が特徴であったこと。これは以下での重要なテーマになろう。

しかし、これらの運動は非ユダヤ人へのアピールが目的であったため、ユダヤ人グループのアイデンティティや利益追求こそが重要であるという明示は、参加者に対しては最小限に抑えられた。

 

このような結果は、社会的アイデンティティ理論とも非常に辻褄が合う。個人が影響をどの程度受け入れるかは、異なる見解が導き出される社会的カテゴリーを受け入れる意欲によって決まる。

より広い社会に影響を与えようとするユダヤ人にとっては、ユダヤ人グループのアイデンティティや利益追求をあからさまに示すことは、これらの運動が意図する標的に影響を与える能力を損なうだけであった。

その結果、これらの運動へのユダヤ人の関与はしばしば積極的に隠蔽された。また、知的構造そのものも、ユダヤ人と非ユダヤ人の社会的分類の重要性を最小限に見せるために、普遍主義的な用語で表現されるようになった。

 

さらに、影響を受け入れようとする意欲は、イングループのステレオタイプ的な特性と同調しようとする意欲に左右される。

そのためこの運動は、ただユダヤ人の特殊な立場や普遍主義的の立場から動機づけられたとするだけでは駄目であった。最高の道徳的・倫理的基準によってのみ動機づけられているように描かれる必要があった。

カダフィー(1974,66n)はこう指摘した。ユダヤ人知識人は、ユダヤ教に”西洋での宿命”があり、堕落した西洋文明は特にユダヤ人の道徳観に対して立ちはだかるという意識を強めていった。

これらの運動は、SAIDで広範に検討している、古代から何度もユダヤ人が自らを”諸国民の中の光”と自己定義してきたことの具体例である。

したがって、このアウトグループを道徳的に非難するユダヤ人のレトリックは、ユダヤ教(ユダヤ主義)こそが他の人類への道徳的灯台だという啓蒙時代以降ユダヤ人知識人の中心にある自負の、その世俗バージョンである。

しかし彼らがその影響力を持つためには、表向きにはその運動の芯にあるユダヤ人アイデンティティと利益追求の重要性を否定することを余儀なくされた。

 

本書で取り上げた運動に特徴的なイングループの高度な結束は、高度な知的首尾一貫性を生み出すだけでは無い。あらゆる事象をその解釈システムの定式に取り込める精神分析学や急進的政治理論のような理論を発展させた。

またこれらの運動はうわべを科学で飾ろうとしたが、現実の本性を探る個人主義的な探求としての科学の基本原理に対して必然的に異を唱えるものであった。

これらの知的・政治的運動が非ユダヤ人社会にどの程度影響を与えたかを定量評価することはできない。

しかし以下の章で示す資料では、ユダヤ人主導の知的運動を、20世紀後半の西欧社会での左翼知識人の勝利の決定的要因(必要条件)と仮定すると、大いに辻褄が合う。

 

政治的・宗教的イデオロギーが、関与する人々の利益追求を反映していて当然であるのと同様で、進化論者にとっては、あらゆる種類の知的活動が実は根底で民族紛争と絡んでいるという暗黙の理論も驚くことではない。

進化論者にとって本当に疑わしい命題は、人間の行動を理解するための利害関係を無視した社会科学が、果たして可能なのかどうかということだ。

 

このことでもって、強いアイデンティティを持つユダヤ人社会科学者の全てが以下の章で論じる運動に参加したと言うつもりはない。

これらの運動を主導した人々やその支持者の多くにとっては、ユダヤ人アイデンティティとユダヤ人グループとしての利益追求が強い動機であったことを意味するだけである。

これらの科学者・活動家は非常に強いユダヤ人アイデンティティを有していた。

彼らはセム主義批判に強い懸念を持つ一方で、ユダヤ人の行動がセム主義批判とは無関係であると示そうとして自分の意志に沿って理論を開発していた。

同時に(精神分析学派とフランクフルト学派の場合は)非ユダヤ人のエスノセントリズムや結束力のあるセム主義批判の運動への参加が精神病理の兆候であることを示そうとして自分の意志に沿って理論を開発していた。

 

総じてこれらの運動は、西欧社会の根底にある道徳的・政治的・文化的・経済的基盤に懐疑をぶつけている。

これらの運動はまた、様々なユダヤ人の利益追求に大いに貢献したことも明らかである。

しかしこれらの運動が、20世紀後半のヨーロッパおよび北米の社会における非ユダヤ人、ヨーロッパに由来する人々の文化的・遺伝的な利益追求の重要部門と頻繁に対立してきたことも明らかになるであろう。

 

第七章 アメリカの移民政策形成へのユダヤ人の関与

 

中略

 

付録二 ユダヤ人、黒人、そして人種

 

このエッセイでは、黒人とユダヤ人の関係の歴史の概観を述べる。

この記録は、ユダヤ人組織と多数のユダヤ人の個人が、黒人の力を増大させてアメリカの人種ヒエラルキーを変更させる運動の成功に多大な貢献をしてきたことを非常に明確に示す。

また、黒人とユダヤ人の同盟におけるユダヤ人の動機をどう理解すればよいか、より難しい問題についても論ずる。

 

黒人とユダヤ人は全く異なる二つの集団であることを理解することが重要である。

古代に始まり、ユダヤ人集団は西洋社会の中で繰り返し権力と影響力のある地位を獲得してきた。

アメリカのユダヤ人コミュニティを支配するアシュケナージ・ユダヤ人は、人類の集団の中で最も高い知能平均を持ち、自分たちの利益を追求する非常に効果的なグループを作成して参加する並外れた能力を示してきた。

ユダヤ主義批判の態度がかなり広まる中(歴史的基準からすればかなり穏やかであるが)、そして典型的には貧しい移民としてアメリカに到着したにもかかわらず、ユダヤ人は急速に、彼らの人口割合からすれば異常なほどの社会的地位、富、権力、影響を獲得していった。

ユダヤ人の権力は、WW2に英国側で参戦するかどうかが公に議論されている間、そして1920年代の移民に関する議論の間にさえ(彼らは勝者の側ではなかったものの)既に可視化されるようになっていた。

しかし、WW2後にその権力は劇的に増大し、1960年代以降ユダヤ系アメリカ人は公共政策に多大な影響力を持つエリート集団になった。

アメリカのユダヤ人コミュニティ内部にも重大な不一致はあるものの、特にイスラエル支援と他の外国のユダヤ人への福祉、移民・難民政策、教会と国家の分離、中絶の権利、市民の自由等の、公共政策上の数多くの重要な分野で幅広い合意形成を行ってきている、

後で述べるように、少なくとも1970年代にユダヤ人のネオコン(ユダヤ人コミュニティ内では少数派)が、福祉を制限したり更に極端なアファーマティブ・アクションや黒人の集団的権利を抑え込む等を行って、より過激な形の黒人地位向上の法律制定運動に異議を唱え始めるまでは、

アフリカ系アメリカ人に力を与える運動への共感と支援に関するユダヤ人達の間の幅広い意見の一致があった。

しかしネオコンは、アメリカの組織されたユダヤ人コミュニティの主流と同様に、1960年代の公民権革命を支持した。

 

黒人は、完全に異なる歴史と人種的プロフィールを持っている。

南部では、黒人は奴隷制に服従しており、奴隷解放後は人種隔離政策が実施されて、明確な人種ヒエラルキーが形成された。

北部でも黒人は比較的貧しく無力であったが、公民権運動の第一段階が終わった1960年頃からは、IQで見た場合には黒人は白人と同程度に職業上で成功できるようになった。

それ以来、IQで見た場合には、黒人は同じIQの白人と比べて高いIQの職業を得られる確率がはるかに高い。

例えば、1990年のデータに基づいて行われた研究では、専門職に就く白人の平均IQは114であり、これらの職に就く黒人の平均IQは94であった。

黒人の平均IQは85であり、アメリカ白人の平均を一標準偏差下回り、ユダヤ系アメリカ人の平均IQ115を少なくとも二標準偏差下回っている。

IQと成功の格差を反映して、黒人とユダヤ人の関係は常に一方的なものであった。ユダヤ人は黒人の運動を組織し、資金を提供し、促進する上で重要な役割を果たしてきたが、黒人は組織化されたユダヤ人コミュニティの業務を運営する上で何の役割も果たしてこなかった。

 

黒人とユダヤ人の同盟関係の略歴

 

ユダヤ人の黒人支援活動の中には、生物学に基づいた人種差の概念に反対する訴訟、立法、募金、政治組織化、学界での運動がある。

 

ユダヤ人は、1909年の全米黒人地位向上協会(National Association for the Advancement of Colored People)の設立以来黒人の組織化に大きな役割を果たしてきており、黒人の間でセム主義批判の感情が高まっているにもかかわらず、現在に至るまで続いている。

NAACPは、裕福なドイツ系ユダヤ人、非ユダヤ人の白人、そしてW.E.B.デュボイスが率いる黒人によって設立された。ユダヤ人の役割が支配的であった。

 

1910年代中盤までにNAACPは、ブナイ・ブリスとアメリカユダヤ人委員会(AJC)の付属組織のような様相を呈した。

ジョエルとアーサーのスピンガーン兄弟がそれぞれ理事長と主任法律顧問を務め、ハーバート・リーマンが執行委員会に、リリアン・ウォルドとウォルター・サックスが(同時期にではないが)理事に、ジェイコブ・シフとポール・ウォーバーグが財政後援者に就いていた。

1920年には、ハーバート・セリグマンが宣伝部長になり、マーサ・グリューニングがその補佐役を務めた….

1917年、混乱したマーカス・ガーベイがこれは白人組織だと捨て台詞を残してNAACP本部から脱退したのも無理はない。

 

WW2終結後まで、ユダヤ人と黒人の同盟は、裕福なドイツ系ユダヤ人が資金力や組織形成能力で黒人組織を援助するのが基本であった。

ユダヤ人法律家は黒人活動家組織の法律部門の人材確保にも重要な役割を果たしていた。つまり、スピンガーン兄弟はドイツ系ユダヤ人の貴族の一員であった。

ジョエル・スピンガーンは、理事会の態度に抗議して辞任した短い期間を除いて、1914年から最初の黒人が理事長に就任する1934年までNAACPの理事長を務めた。

裕福なユダヤ人はナショナル・アーバン・リーグの重要な貢献者でもあり、特に20世紀前半の最初の20年間を代表するユダヤ人活動家であるジェイコブ・シフ、そしてシアーズ・ローバック社で富を築いたジュリアス・ローゼンウォルドが挙げられる。

1920年代の最も著名なユダヤ人活動家でAJCのリーダーであったルイス・マーシャルはNAACPの理事でもあり、NAACP主任弁護士でもあった。

NAACPの訴訟に参加した他の著名なユダヤ人弁護士には、最高裁判所判事のルイス・ブランダイスとフェリックス・フランクファーターがおり、後者はブラウン対教育委員会での判決において主要な役割を果たした。

NAACPの活動で著名なもう一人のユダヤ人弁護士は、”燃えるような社会的良心”を持つとされたネイサン・マーゴールドであり、彼は人種隔離政策の法的根拠に対する攻撃を成功させる法律面の作戦を立てた。

1960年代にNAACP法務防衛基金の代表であったジャック・グリーンバーグもまた、メキシコ人活動家ピート・ティジェリーナとフォード財団を引き合わせてMALDEFの設立に貢献した。

 

1930年代後半まで、黒人はこうした取り組みにおいてほとんど役割を果たしてこなかった。例えば、1933年までNAACPの法務部には黒人弁護士がおらず、1930年代までNAACPの法務部の約半分はユダヤ人が占めていた。

1960年代の黒人とユダヤ人の同盟の全盛期には、南部の抗議運動に参加する学生やその他を弁護する法律家の半分以上がユダヤ人であった。

共産党と関係があったNLGやACLU(アメリカ自由人権協会)などのユダヤ人達が支配する組織も、これらの取り組みに対して法律面の援助を提供することがあった。

 

WW2後の時代には、AJCommittee、AJCongress、ADLなどのあらゆるユダヤ人市民組織が黒人問題に関与していた。

”彼らには専門的訓練を受けた人材、設備の整ったオフィス、広報のノウハウなど、変化を起こすためのリソースがあった。”

1940年代の終わりまでに、ADLは特に変化が必要な地域としてアメリカ南部を指定した。ADLは人種間の緊張と暴力の事例を監視し、人種間の分離を含む地域の問題への連邦政府の介入をますます要請していた。

 

ユダヤ人グループは、1960年代には公民権運動の資金の2/3から3/4を寄付していた。AJCongress、AJCommittee、ADLは、NAACPと密接に連携し、人種隔離を終わらせるための法的道筋の概要を描き、資金調達も請け負った。

ユダヤ人グループの中でも特にAJCongressは、公民権法の起草と、主に黒人に利益がある公民権問題に関する法的課題の追求において主導的な役割を果たした。

”ユダヤ人達の法的、資金的支援によって、公民権運動は一連の勝利を得ることができた….

AJCongressの法律家が、’これらの法律の多くはユダヤ人組織のオフィスでユダヤ人スタッフによって書かれ、ユダヤ人議員によって法案提出され、ユダヤ人有権者によって実現するための圧力がかけられた’と言うのは誇張では全く無い。”

 

ユダヤ人達による黒人援助の転換点は、WW2の終結であった。ユダヤ人はWW2終結後、戦前よりも格段に強力な地位を得ていた。

戦前には一般的であったユダヤ主義批判の態度は急激に衰退し、ユダヤ人組織は公民権の分野だけでなく移民政策においても、アメリカの民族同士の関係性に影響を与える存在として以前より重要になっていた。

大事なことは、このユダヤ人の高い地位が、1880年から1920年の間に東ヨーロッパから移住してきたユダヤ人とその子孫によって支配されていたAJCongressとADLによって主導されていたことである。

以下に示すように、このユダヤ人集団の特別な性格を理解することは、1945年から現在までに至るアメリカにおけるユダヤ人の影響力を理解する上で極めて重要である。

今世紀前半にAJCommitteeを通じてユダヤ人コミュニティの活動を支配していたドイツ系ユダヤ人エリートは、東欧からの移民とその子孫で構成される新しいグループに主導権を奪われた。

ドイツ系ユダヤ人エリートの要塞であったAJCommitteeも、7歳の時にウクライナから移住してきたジョン・スロウスンが率いるようになった。ユダヤ系移民のコミュニティが作ったAJCongressを率いるのは社会主義者でシオニストのウィル・マスローであった。

シオニズムと政治的急進主義は、東欧からのユダヤ系移民の典型であった。

 

移民ユダヤ人コミュニティの急進主義を示すものとして、司法長官からは破壊団体としてリストアップされていた5万人の会員を有するユダヤ人友愛組織が、AJCongressの傘下にあった。

JPFOは、WW2後にアメリカ共産党の資金的、組織的”防波堤”となり、CPUSAの機関紙「デイリー・ワーカー」やイディッシュ語の共産主義新聞「モーニング・フレイハイト」にも資金供給していた。

AJCongressはJPFOとの関係を断ち、共産主義は脅威だとする声明を出したが、共産主義反対のパブリック・イメージを作り上げようとするユダヤ人の努力に対しては”精々消極的な程度の、熱心さが欠けた参加者”であった。

そのようなAJCongressの立場は、主に東欧系移民の二世、三世のメンバーの多くが共産主義に共感を寄せていることを反映していた。

ユダヤ人共産主義者が公民権運動に関与しているという懸念は、キング牧師の重要な顧問であったスタンリー・レヴィソンの活動に対して注がれていた。

レヴィソンは(AJCongressと同様に)共産党と密接に連携しており、キング牧師との活動も共産主義の教義に沿ったものだった可能性がある。

 

デビット・ホリンジャーが1930年代から60年代にかけての”ユダヤ人によるアメリカの学術界の民族的宗教的人口統計の変化”を指摘しているように、ユダヤ人は、アメリカの人種同士の関係に革命をもたらす知的環境を生み出すためにも尽力した。

ユダヤ人としてのアイデンティティに基づいた、ユダヤ人としての動機、特にセム主義批判を終わらせるという動機を援護するための、ユダヤ人達の知的・政治的運動。

筆者はこれらの運動が生み出すものを、アメリカでの”culture of critique”の発展として説明してきた。

これらの運動は、学術界における進化論的・生物学的思考の衰退をもたらし、白人の人種に基づくアイデンティティを病的なものだと定義した。

これらの知的努力にはいくつかの寄る辺があった。ホレス・カレンを皮切りに、ユダヤ人知識人は文化的・民族的な多元社会としてのアメリカモデルを発展させる最前線に立ってきた。

アメリカは個々の民族文化グループの集合体として組織されるべきであるというこの概念には、グループ間の関係は協力的かつ温和なはずであるというイデオロギーが前提となっていた。

”カレンは、彼自身の周囲に渦巻く対立からは目を背け、多様性と調和が共存する理想郷を夢見ていた。”

 

1930年代、AJCommitteeは、生物学的な人種が人々の違いを生み出す重要な要因であるという考えを根絶することに貢献したフランツ・ボアズの研究に資金を提供した。

(この戦いを主導している間もボアズ自身は、脳の大きさで白人に好都合な人種間の差異があるという説を完全に否定することは決して無かった)

彼の人生の最期においてさえ、「原始人の心」の1938年版で、ボアズは黒人の中には天才はあまりいないだろうという考えを推し進めた。

しかし彼は、それぞれの人種内にばらつきがあるため、群平均の差を個人に適用するべきではないと主張した。

ボアズ人類学派はユダヤ人達の知的運動で、1920年代までにアメリカの人類学を支配するようになった。(上記の通り、ユダヤ人の知的運動とは、ユダヤ人としてのアイデンティティを持つ人々がユダヤ人達の利益追求のために参加・支配する運動を指す)

ボアズ人類学派は、WW2後にAJCommittee、AJCongress、ADLによって配布・促進されたプロパガンダ活動に従事し、例えば、全ての人間集団が同等の能力を有していると描いた映画「Brotherhood of Man」にも登場した。

戦後、人種間の差異が存在しないこと、文化相対主義のようなボアズ人類学のイデオロギーや、ホレス・カレンに始まる文化の違いを保存し尊重することの重要性が、これらユダヤ人運動組織が主催する教育プログラムの重大な構成要素として取り扱われ、アメリカの教育システム全体に広く普及した。

 

AJCommitteeはまた、1930年代にドイツから逃れてきた難民ユダヤ人社会科学者、特にフランクフルト社会研究学派(マックス・ホルクハイマー、エーリヒ・フロム、テオドール・アドルノ、ハーバート・マルクーゼ)を中心とした人々の努力を支援した。

このグループは、マルクス主義運動と精神分析学とを組み合わせたもので、どちらもユダヤ人の知的運動と見なされている。

基本的に、「権威主義的パーソナリティ」およびこのグループによって生み出された他の著作(総称して「偏見の研究」と呼ばれる)は、

セム主義批判や他の形態の民族間の敵意に関して、政治的にも知的にも満足できるアプリオリな理論を支援する経験主義的研究プログラムを開発し、アメリカの学術界の読者に影響を与える必要性から生じた。

「権威主義的パーソナリティ」は、民族グループへの非ユダヤ人の忠誠心、特にクリスチャンの宗派への帰属、ナショナリズム、緊密な家族関係などが、精神疾患の兆候であることを示そうとする試みであった。

根底の部分でのフランクフルト学派の仕事は、西欧社会がセム主義批判に抵抗感を覚えるよう変化させるために、民族グループへの非ユダヤ人の忠誠心を病理化することであった。

 

1944年、AJCongressは、マイノリティグループの集団アイデンティティを強く主張したクルト・レヴィンの指導の下で、Commission on Community Interrelationsを組織した。

レヴィンは、プロパガンダや活動家的な社会科学だけに頼るのではなく、差別に対する法律の重要性を訴え、左翼的なAJCongressの好戦的な態度の典型であった。

このグループに集められた活動家・科学者の中にはケネス・クラークがおり、隔離によって与えられた精神的ダメージを示すとされる黒人の子どもとの人形研究は、1954年のブラウン対教育委員会の画期的決定のための重要な要素であった。

他のメンバーにはマリー・ヤホダがおり、彼女はAJCommitteeが発行したStudies in Prejudiceのセム主義批判と情動障害の巻の共著者であった。

この本はアドホックな心理力学的提案からなり、唯一の類似点は、セム主義批判にはある種の精神的葛藤が投影されているというものであった。

この本は、セム主義批判やその他の民族間の敵意の表現が、現実の利害の対立よりもむしろ心理的な不適当さを反映しているとする理論を構築する上で、精神分析が有用であることをよく示している。

 

アメリカの民族間の関係を変革しようとするユダヤ人組織のこの多面的な取り組みを、総称してIntergroup Relations Movement(インターグループ関係運動)と呼ぶ。

この取り組みには、住宅、教育、公的雇用における偏見に対する法的な挑戦も含まれていた。

ユダヤ人組織はまた、立法案を起草し、州および国の立法機関において法律として成立させることを試みていた。

この攻撃のもう一つの切っ先は、メディアにおけるメッセージの作成、学生と教師向けの教育プログラムの促進、そして上述のような、学術界における人種に関する知的言説を再構築するための知的努力の促進であった。

ADLはこれらの取り組みに中心的に関与しており、”ラジオやテレビの特別コーナー、巧みな短いコマーシャルソング、フィルムストリップ、その他のメディアの取り組みを活用していた”。

ADLはベス・マイヤーソンのようなハリウッドスターを採用し、”You can’t be beautiful, and hate.”(憎しみはあなたを醜くする)とフレーズを繰り返しながら国中を巡回した。

「Gentleman’s Agreement」や「The House I Live In」のようなハリウッド映画もこれらのメッセージを広めており、ロジャースとハマースタインの「南太平洋」では、異人種間の結婚をテーマにして、子どもに憎むことを教えなければいけないという歌が含まれていた。

移民政策へのユダヤ人の関与や、現代及びその前におけるユダヤ人の政治的・知的活動の他の多くの事例と同様に、インターグループ関係運動は明白なユダヤ人の関与をしばしば最小限にまで覆い隠した。

 

インターグループ関係運動が展開したグループ間の憎悪のイデオロギーは、AJCommitteeが主催した「偏見の研究」シリーズ、特にフランクフルト学派の「権威主義的パーソナリティ」に由来している。

この著作は、エスノセントリズムやアウトグループに対する差別の兆候を、精神疾患、したがって文字通りの公衆衛生上の問題と明確に定義していた。

グループ同士の敵意に対する攻撃は、致命的な感染症に対する医学的攻撃になぞらえられて、この病気にかかった人は活動家によって”感染者”と表現された。

このような一連の民族間での活動の、知的な論拠の一貫したテーマは、グループ間の調和を高めることで得られる利益の強調であった。すなわちホレス・ケーレンの多文化主義の概念が持つ理想主義の側面の話である。

しかし、一部の集団、特にヨーロッパに由来する非ユダヤ人の集団が、経済的・政治的な影響力を失って文化的な影響力まで喪失することについては言及されていなかった。

相手のグループに対する否定的な態度は、グループの利害が対立した結果としてではなく、むしろ個々の精神病理によるものと見なされた。

最後に、非ユダヤ人のエスノセントリズムが公衆衛生上の問題と見なされる一方で、AJCongressはユダヤ人の同化と戦い、ユダヤ人の民族国家としてのイスラエルを強く支持した。

 

インターグループ関係運動のレトリックは、その目標が伝統的なアメリカの価値観と一致していることを強調していたが、これは精々のところミスリーディングである。

彼らのレトリックは、個人の権利を啓蒙主義の遺産として強調するものであった。しかしインターグループ関係運動は、個人の権利という遺産を西欧文化のユニークな産物と見なすのではなく、預言者に由来するユダヤ人の理想と合致するものとして解釈した。

この概念化は、ユダヤ教自体がかなりの集産主義者であり、個人主義の伝統を持っていないという事実を無視していた。グループ進化戦略として、アウトグループに対する敵意が常にユダヤ教の中心であったという事実も無視していた。

したがってこの時代のユダヤ人のレトリックは、普遍主義と個人の権利の啓蒙のレトリックがかなりの知的威信を持つ現代世界でユダヤ人の目的のために特注された、ユダヤ人の過去に対する幻の見解に依拠していた。

 

インターグループ関係運動は、他の伝統的なアメリカ人のアイデンティティの根源を無視したり蔑んだ。

結束力のある均質な社会こそがアメリカ人のアイデンティティを支える共和制アメリカの柱だという現実には、一切の言及がなかった。

そしてそれは、アメリカは特定の民族グループによって作られた北西ヨーロッパの文化であるという考えも無視したり蔑んだ。

この人種・民族グループとしてのアメリカのアイデンティティの”民族文化”という寄る辺は、1880年から1920年の間にマディソン・グラントやロスロップ・ストッダードの理論によって強い影響力を持つようになっていた。

これらの理論はダーウィニズムの影響を大きく受けており、ボアズ人類学派や上述の他のユダヤ人の知的運動からは特に標的とされた。

 

あるADLの関係者は、1960年代の初頭までにアメリカの教師の1/3が、インターグループ関係運動のイデオロギーに基づいたADLの教育資料を受け取ったと推定している。

ADLは、教師や学校管理者向けのワークショップの人員配置、資料の作成、資金援助にも深く関わっており、多くの場合は学術界の社会科学者が関与していた。この関わりがこれらの演習の科学的信頼性を高めたことは間違いない。

公立学校のカリキュラムに影響力を行使しようとするこの取り組みが、あからさまに公立学校からクリスチャンの影響力を排除しようと取り組んでいた同じグループによって行われたのは、皮肉なことであろう。

ADLは、A World of Difference Instituteを通じてダイバーシティ教育の主要な推進者であり続けている。

1985年以降、この研究所は23万人以上の小中学校の教師に多様性教育を施し、アメリカ国内の労働者や大学生を対象に職場の多様性訓練プログラムを実施してきた。ドイツとロシアでも教員研修プログラムは実施されている。

 

黒人の動機を促進するユダヤ人の動機の理解に向けて  より抜粋

 

中略

 

さらに、メディアや黒人組織への資金提供におけるユダヤ人達の継続的な関与は、これらの組織の指導者が黒人へと移行した後でも黒人の成功の重要な要素であり続けている。

例えばマレー・フリードマンは、1955年以降は黒人が運動のリーダーシップを取るようになってきたと述べている。

”もはやユダヤ人指導者やその他の部外者が主導権を握ることは無い。ユダヤ人達は舞台裏で働き、キング牧師とその側近たちに資金と助言を与え、彼らを運動の先頭に立たせ、ニュースの一面を飾らせ、実刑判決に耐えさせる。

 

極端なアファーマティブ・アクションやその他黒人の政治アジェンダに反対するユダヤ人ネオコンが注目されているが、ユダヤ人の大多数はアメリカ政治の左翼とリベラル派にとどまっている。

実際に、雇用における非差別を結果志向のクォータ制に変えようとする取り組みは、雇用機会均等委員会のアルフレッド・ブルムローゼンを筆頭とするユダヤ人のブレーントラストが主導した。

人口のわずか2.5%にも関わらずユダヤ人は民主党の資金の半分以上を提供しており、2000年の選挙ではユダヤ人の80%がゴアに投票した。

一般に、ユダヤ人の議会議員は、黒人の同僚と共にリベラルな政策を支持しており、ユダヤ人組織は、少なくとも過去に差別の歴史があったことが示される場合には強力なクォータ型のアファーマティブ・アクション政策を支持し続けている。

 

ユダヤ人の民主党支持率は低下しているように見える。2000年の選挙では18歳から29歳の若いユダヤ人は59%対40%でブッシュに投票した。それにもかかわらずこの変化は、WW2後の民族問題での革命での成果からユダヤ人が大きく離反したことを意味するものでは無い。

例えばこの記事の執筆時点では、アメリカへの大規模な多民族移民の支援は、極左からネオコンの右派までユダヤ人の政治スペクトル全体を特徴づけている。

さらに若いADL指導者は、差別が認められない限り人種を雇用と大学入学の要因として使用できる、より低いアファーマティブ・アクション政策の閾値を支持する傾向があった。

高い年齢層のユダヤ人は、1920年代と30年代にエリート大学へのユダヤ人の入学者数を制限する目的で作られた割り当てシステムのレンズを通してアファーマティブ・アクションを見る傾向がある。

 

ユダヤ人がアメリカの人種ヒエラルキーを変えることに関与したのは、ユダヤ教それ自体に由来するものではなかった。

つまり宗教・民族としてのユダヤ主義には、ユダヤ人がヨーロッパ・アメリカの人種的弱者である黒人と同盟を結ぶ動機を提供するものは何もない。

歴史を通じて、ユダヤ人がエリート、それもしばしば異質で抑圧的なエリート達と同盟を結ぶのはよく見られたパターンであった。

古代世界でも、イスラム世界でも、クリスチャン・ヨーロッパでも、中世から20世紀のWW2後の東欧に至るまで、ユダヤ人は支配者と手を結び、しばしば庶民を抑圧する存在と見なされてきた。

実際に私は、東欧と西欧の重要な対照として、ユダヤ人と非ユダヤ人エリートの協力を伴う搾取的な経済システムが東欧では遥かに長期間にわたって続いたことを論じた。

そこでは、”ユダヤ人の地所管理者が地区全体の人口に対する生死の支配者となり、その関係において短期的で純粋な金銭的関心を持っているだけであり、彼の一時的な被害者を骨まで削り取りたいという抗しがたい誘惑に駆られた”

抑圧的なユダヤ人の金貸しと税金徴収のテーマは、セム主義批判の姿勢の象徴として数世紀にもわたって特徴づけられてきた。

さらに、ユダヤ人の法律は奴隷制を容認し、ユダヤ人と非ユダヤ人の奴隷の扱いの違いを詳しく述べている。(非ユダヤ人を著しく不当に扱う)

ユダヤ人は古代ローマの世界では奴隷貿易を支配し、近世にはスペイン・ポルトガル・アムステルダムのエリート商人として新世界のアフリカ奴隷貿易の資金調達に関与していた。

アメリカでも南部のユダヤ人は、少なくとも恐らく彼らの富と人口比率に見合う水準の奴隷を取引したり所有していた。

 

中略

そこでは、”ユダヤ人の地所管理者が地区全体の人口に対する生死の支配者
となり、その関係において短期的で純粋な金銭的関心を持っているだけであ
り、彼の一時的な被害者を骨まで削り取りたいという抗しがたい誘惑に駆ら
れた”
抑圧的なユダヤ人の金貸しと税金徴収のテーマは、セム主義批判の姿勢の象
徴として数世紀にもわたって特徴づけられてきた。
さらに、ユダヤ人の法律は奴隷制を容認し、ユダヤ人と非ユダヤ人の奴隷の
扱いの違いを詳しく述べている。(非ユダヤ人を著しく不当に扱う)
ユダヤ人は古代ローマの世界では奴隷貿易を支配し、近世にはスペイン・ポ
ルトガル・アムステルダムのエリート商人として新世界のアフリカ奴隷貿易
の資金調達に関与していた。
アメリカでも南部のユダヤ人は、少なくとも恐らく彼らの富と人口比率に見
合う水準の奴隷を取引したり所有していた。

中略

 

Forbes a discuté des spéculations de certains experts : Vladimir Poutine serait secrètement heureux du crépuscule des oligarques juifs

  • Je partage ci-dessous un article écrit par Andrew Joyce, Ph.D., et qui fut publié à l’origine dans le magazine en ligne The Occidental Observer le 22 avril 2022. Andrew Joyce, Ph.D. est un universitaire, conférencier et écrivain possédant une expertise universitaire en immigration, en conflits ethniques et religieux et en philosophie. 
Personnellement, je vous invite à prendre en considération que je remplace le mot « juif » par le terme « khazar », ce qui est plus approprié selon moi. Je vois aussi des liens avec certains aspects de mon livre « L’Arche de Gabriel : de La Mecque à l’Antarctique ».

Traduit par Guy Boulianne. https://www.guyboulianne.info/2022/04/25/forbes-a-discute-des-speculations-de-certains-experts-vladimir-poutine-serait-secretement-heureux-du-crepuscule-des-oligarques-russes 

Le sujet des Juifs et de l’argent est controversé et essentiel, mais pas sans ses aspects sombres et comiques. En novembre, j’ai écrit un essai sur la critique de Dracula de Bram Stoker pour ses prétendues qualités antisémites, et j’ai noté l’angoisse d’un universitaire à propos d’une scène dans laquelle Jonathan Harker frappe Dracula avec un couteau, coupant le manteau du vampire et envoyant un flot d’argent au sol. Au lieu de fuir immédiatement, Dracula attrape des poignées d’argent avant de sprinter à travers la pièce. L’universitaire offensée, Sara Libby Robinson, s’est plainte que « cette démonstration de mettre la préservation de son argent sur un pied d’égalité avec la préservation de sa vie montre que les stéréotypes concernant les Juifs et leur argent étaient bien vivants à la fin du XIXe siècle ».

Ceux qui passent suffisamment de temps à observer les Juifs, cependant, sauront que la chose curieuse à leur sujet est que les stéréotypes associés ont une étrange habitude de trouver une confirmation empirique constante. Prenez, par exemple, un récent article de presse soulignant qu’Israël a connu un afflux de réfugiés juifs depuis l’invasion de l’Ukraine par Poutine le 24 février. L’impact est que l’afflux a impliqué beaucoup plus de réfugiés économiques de Russie, qui demandent un allègement des sanctions occidentales et la baisse des valeurs monétaires, que les Juifs ukrainiens cherchant à se protéger de la violence. Confrontés à la guerre, les Juifs « mettent vraiment la préservation de leur argent au même niveau que la préservation de leur vie ». Dans l’une de mes anecdotes préférées sur la crise ukrainienne jusqu’à présent, l’avocat russo-israélien de l’immigration Eli Gervits affirme avoir reçu des milliers d’appels de Juifs russes lançant un appel qu’il appelle SOS : « Sauvez nos économies ». Cette histoire remarquable est emblématique du fait que la guerre de Poutine en Ukraine est un net négatif pour l’oligarchie juive internationale basée en Russie et les réseaux juifs internationaux qui survivent et prospèrent grâce à leur patronage.

La chute de Viatcheslav Moshe Kantor

Peu de choses m’ont remonté le moral ces derniers temps, comme la nouvelle selon laquelle le gouvernement britannique a finalement imposé des sanctions à Moshe Kantor. Milliardaire russe, oligarque pernicieux et ancien président de pas moins que le Congrès juif européen, le Conseil européen sur la tolérance et la réconciliation, la Fondation du Forum mondial de l’Holocauste, le Fonds juif européen et le Conseil politique du Congrès juif mondial, Kantor est la quintessence de l’activiste juif fortement identifié, pleinement engagé dans la promotion des intérêts de son groupe ethnique. Sioniste dévoué, Kantor est citoyen d’Israël, ainsi que de la Russie et du Royaume-Uni. Kantor, avec son curieux mélange de nationalités, n’a pas tant chevauché l’Est et l’Ouest qu’il n’a utilisé le pillage dans le premier pour alimenter l’activisme dans le second. L’un de ses principaux projets ces dernières années a été de faire pression sur l’Union européenne pour de plus grandes restrictions à la liberté individuelle et pour l’imposition d’un vaste appareil draconien pour la protection et l’application du multiculturalisme à travers le continent. Dans son traité « The Manifesto on Secure Tolerance », Kantor écrit avec un flair orwellien que « les restrictions sont nécessaires pour la liberté de vivre une vie en sécurité ». En lisant entre les lignes, le message devient plus clair : « Les restrictions imposées aux Européens sont nécessaires pour que les Juifs puissent vivre une vie en toute sécurité ». Parmi les propositions de Kantor figuraient la création d’un appareil à l’échelle du continent pour la surveillance d’Internet ciblant les opposants au multiculturalisme, la promotion forcée et l’« éducation » sur le multiculturalisme à travers l’Europe, et une augmentation significative des peines de prison pour toutes les infractions contre le culte de la diversité.

Kantor a échappé à la vague de sanctions occidentales contre les élites russes (souvent juives) jusqu’à la semaine dernière, mais a finalement été pris pour cible en raison de son rôle de principal actionnaire de la société d’engrais Acron, qui entretient des liens stratégiques avec le gouvernement russe. Inutile de dire que la sanction d’un autre de leurs oligarques extrêmement influents envoie des ondes de choc dans les institutions juives internationales qui dépendent de la richesse et de l’influence de ces personnalités. Le 6 avril, le Congrès juif européen, le principal véhicule de Kantor pour faire avancer sa guerre contre les libertés européennes, a publié une déclaration soulignant qu’il était

Profondément choqué et consterné par la décision prise aujourd'hui par le gouvernement britannique de sanctionner le Dr Moshe Kantor, président du Congrès juif européen, de la Fondation du Forum mondial de l'Holocauste et du Conseil européen pour la tolérance et la réconciliation. La décision est erronée et n'a aucun fondement factuel ou fondé sur des preuves. Le Dr Kantor est un citoyen britannique qui vit depuis plus de trois décennies en Europe occidentale, dont de nombreuses années au Royaume-Uni. C'est un dirigeant juif de longue date et respecté, qui a consacré sa vie à la sécurité et au bien-être des communautés juives d'Europe et à la lutte contre l'antisémitisme, le racisme et la xénophobie. … Nous appelons à ce que cette décision soit annulée dès que possible.

La déclaration la plus récente publiée par le gouvernement britannique est peu détaillée, déclarant seulement que Kantor sera soumis à un « gel des avoirs ». Étant donné que Kantor possède et passe beaucoup de temps dans un manoir important sur Winnington Road à Londres, où les prix de l’immobilier dépassent en moyenne 8 millions de dollars, ce sera certainement un point sensible pour l’oligarque. Beaucoup plus inquiétant pour Kantor, c’est que l’Union européenne a emboîté le pas quelques jours plus tard, en déclenchant ses propres gels d’avoirs et interdictions de voyager. Ses comptes bancaires, ses maisons et ses autres intérêts économiques à travers le continent ont été bloqués.

La Hongrie et l’Autriche, influencées par les sympathies sionistes, ont toutes deux tenté de sauver Kantor des sanctions, l’envoyé hongrois exprimant « sa surprise face à l’inscription sur la liste noire de quelqu’un qu’il a décrit comme un homme hautement décoré ». Cependant, la stratégie de clôture de Kantor consistant à être un pivot oriental et un prédicateur multiculturaliste occidental a été démolie par le conflit en Ukraine. Comme un jeu de chaises musicales, il constate que la musique s’est arrêtée et qu’il reste debout, les mains pleines d’actifs russes qui étaient autrefois si précieux et essentiels à son pouvoir. Ironiquement, les envoyés de l’Estonie et de la Lituanie, deux pays accusés d’antisémitisme et de fascisme par la Russie, ont exhorté avec succès leurs partenaires à ne pas retirer Kantor, l’un des militants juifs les plus influents d’Europe, de la liste. Et donc le pauvre Moshe, qui a proposé autrefois que les restrictions étaient une voie vers la liberté, devra désormais vivre selon ses propres mots. Alors que ses maisons et ses biens sont saisis par les gouvernements européens, que la valeur de ses entreprises décline et qu’il se retrouve avec moins d’endroits où aller, je ne peux qu’offrir à Moshe l’assurance de son propre dicton :

Des restrictions sont nécessaires pour la liberté de vivre une vie en toute sécurité!

Stadtlans à l’honneur

En tant que chef de tant de groupes et acteur dans tant de hautes sphères, Kantor remplit les qualifications des premiers stadtlan modernes – les Juifs de cour du début de la période moderne qui se vantaient d’une richesse significative et de relations intensives avec les élites non juives. Et il illustre bon nombre des mêmes qualités, agissant toujours dans des rôles d’intercession non élus mais très influents, cherchant à améliorer les avantages tactiques et matériels de sa tribu. Regardez n’importe quel pays important et vous trouverez non seulement une clique juive installée au cœur de son appareil politique, mais souvent aussi un petit nombre d’individus juifs si influents qu’ils peuvent être considérés comme des acteurs politiques à part entière. Ces personnages sont la pointe de la lance de l’activisme juif, et dans le passé, ces hommes et leurs familles ont eu un tel impact sur le cours de l’histoire que leurs noms sont passés dans le langage courant – Rothschild, Schiff, Warburg, et des corollaires plus modernes tels que Soros, Adelson et la constellation de milliardaires juifs infestant l’Ukraine et en orbite autour de Vladimir Poutine.

Pour ces élites juives de l’Est, la guerre en Ukraine a eu le double effet inquiétant d’impacter leurs finances et de rehausser leur visibilité. Petr Aven, Mikhail Fridman, German Kahn, Roman Abramovich, Alexander Klyachin, Yuri Milner, Vadim Moshkovich, Mikhail Prokhorov, Andrey Rappoport, Arkady Rotenberg, Boris Rotenberg, Igor Rotenberg, Viktor Vekselberg, God Nisanov, Oleg Deripaska, Alexander Abramov, Gavril Yushvaev , Zarakh Iliev, Vladimir Yevtushenkov, Arkady Volozh, Eugene Schvidler, Leonid Simanovskiy, Yuri Shefler, Kirill Shamalov, Aleksandr Mamut, Lev Kvetnoy, Yevgeniy Kasperskiy, Yuriy Gushchin, Oleg Boyko, Leonid Boguslavskiy, ne sont que quelques-uns de ceux qui se sont cachés à la vue de tous pendant un certain temps, mais qui se retrouvent non seulement discutés, sanctionnés et mis sur liste noire, mais également regroupés dans des listes qui mettent en évidence les schémas surprenants de leur accumulation de richesse et de leur partenariat ethnique.

En 2018, le département du Trésor américain a publié une liste de Russes qu’ils envisageaient de sanctionner, et la liste a continué de provoquer un malaise dans les cercles juifs. Le Times of Israel a récemment tenté de minimiser la prééminence juive en affirmant qu’« au moins 18 des chiffres sur [la liste du Trésor] sont des oligarques juifs », tout en ajoutant que la liste se compose de 210 noms (ce qui signifie une représentation juive de 8,5 %). Mais ils ne mentionnent pas que le Trésor a séparé leur liste en 114 politiciens et 96 oligarques, et il y a en fait 29 oligarques juifs confirmés dans cette dernière liste, avec deux autres (Aras Algarov et Alisher Usmanov) mariés à des juifs et élevant des enfants juifs. En d’autres termes, au moins 30 % des oligarques les plus influents de Russie sont juifs dans un pays où les juifs représentent environ 0,1 % de la population. On ne peut honnêtement parler des oligarques orientaux sans parler à un certain niveau des Juifs.

Les Juifs milliardaires de Russie sont peut-être presque intouchables, mais ils craignent depuis longtemps que leur judéité ne devienne un sujet de discussion publique. En 1998, l’Irish Times a publié un article décrivant le début de la fin de l’ère Eltsine. Intitulé « La Russie se soumet au règne des sept banquiers », l’article expliquait que la Russie était tombée en grande partie entre les mains de six financiers juifs (Boris Berezovsky, Vladimir Guzinsky, Alexander Smolensky, Mikhail Khodorkovsky, Mikhail Fridman et Vitaly Malkin), et un Gentil symbolique (Vladimir Potanine). La partie la plus intéressante de l’article est la discussion de l’ancienne stratégie juive consistant à utiliser un leader européen pour déguiser la nature juive de la structure du pouvoir :

À l'approche des élections de 1996, les magnats ont contribué des millions de dollars à la campagne de réélection d'Eltsine, sous l'impulsion de Berezovsky, qui s'est vanté plus tard que les sept membres du club contrôlaient la moitié de l'économie russe. C'était une exagération, mais reflétait leur orgueil. Après l'élection, selon plusieurs sources, les magnats se sont rencontrés et ont décidé d'insérer l'un des leurs au gouvernement. Ils ont débattu de qui – et ont choisi Potanine, qui est devenu vice-premier ministre. L'une des raisons pour lesquelles ils ont choisi Potanine était qu'il n'était pas juif, et la plupart d'entre eux le sont. Ils craignaient un retour de bâton contre les banquiers juifs.

Le contrôle croissant de Poutine sur les oligarques juifs

Comme pour Eltsine, les sept banquiers, en particulier Berezovsky, ont d’abord prétendu avoir promu Poutine et insisté sur sa candidature aux postes de Premier ministre et de président. Comme l’a souligné le Guardian en 2013, le défaut fatal de Berezovsky était simple : il a mal interprété Poutine :

Berezovsky a rencontré Poutine au début des années 1990, lorsque l'espion du KGB travaillait pour le maire de Saint-Pétersbourg. Les deux ont socialisé et ont même skié ensemble en Suisse. À la fin des années 1990, Poutine était devenu le chef du FSB, l'agence qui a succédé au KGB. L'entourage d'Eltsine cherchait un successeur au président malade. Ils ont dépêché Berezovsky pour offrir le poste à Poutine – qui est devenu Premier ministre à l'été 1999, succédant à Eltsine en tant que président par intérim six mois plus tard. Berezovsky avait estimé que son ami serait un successeur souple - et que lui, l'ultime initié du Kremlin, continuerait à tirer les ficelles. Il est rapidement devenu évident que Poutine avait sa propre vision de la Russie : un endroit plus sombre, moins démocratique, dans lequel les agences d'espionnage du pays joueraient un rôle d'avant-garde, et avec Poutine aux commandes sans équivoque. Les deux se sont affrontés; Poutine a saisi la chaîne de télévision ORT de Berezovky ; et Berezovsky décampa à Londres. Leur querelle était méchante et conduirait finalement à la mort de Berezovsky à l'âge de 67 ans en exil.

D’autres membres de la Semibankirschina (Sept banquiers) ont été soit exilés, soit mis au pas. Gussinsky a quitté la Russie en 2000 à la suite d’accusations de détournement de fonds. Khodorkovsky a été arrêté par les autorités russes en 2003 et accusé de fraude. Il a purgé 10 ans de prison, au cours desquels sa fortune a été décimée, et il s’est enfui en Suisse puis à Londres à sa libération. Alexander Smolensky a vendu bon nombre de ses actifs, a abaissé son profil et aurait déménagé à Vienne. Vitaly Malkin est devenu un loyaliste extérieur de Poutine, tout en essayant pendant près de 20 ans de déménager au Canada, en investissant des millions à Toronto et en prenant la citoyenneté israélienne. Curieusement, Vladimir Potanine, le seul gentil parmi les Semibankirschina, a le plus prospéré sous Poutine, devenant l’homme le plus riche de Russie.

Mikhail Fridman, né en Ukraine, a suivi une trajectoire plutôt stable, se concentrant sur les questions financières, cultivant une personnalité Est-Ouest depuis son manoir londonien et évitant les affrontements politiques. Cependant, les roues ont récemment commencé à se détacher pour Fridman, grâce au conflit ukrainien et à son désir d’éviter des répercussions financières personnelles. Fridman a été l’un des premiers oligarques à exprimer clairement son opposition à la guerre et, dans une interview ultérieure avec Bloomberg, il a admis que sa déclaration décrivant le conflit comme une tragédie « pourrait rendre dangereux son retour en Russie ». L’interview de Bloomberg met en lumière le choc que Fridman a ressenti en se retrouvant isolé de la sphère occidentale malgré, comme Moshe Kantor, avoir investi des années dans un réseautage minutieux :

Rien de tout cela ne l'a aidé à éviter le sort de certains autres magnats russes. Ses années de réseautage aux États-Unis et en Europe non plus. Le 28 février, son avocat l'a retiré d'une réunion en lui annonçant que l'Union européenne l'avait sanctionné, ainsi que son partenaire commercial de longue date, Petr Aven [également juif], qui dirigeait Alfa-Bank, la plus grande banque privée de Russie et une banque clé du Consortium Alfa Group de Fridman. L'avocat a commencé à débiter ce que cela signifiait : interdictions de voyager, comptes gelés. Fridman pouvait à peine enregistrer les mots. « J'étais sous le choc », me dit-il. « Je n'ai presque pas compris ce qu'il disait. »

Fridman affirme que les sanctions sont politiquement inutiles car les oligarques n’ont aucune influence sur Poutine, seulement des relations d’affaires :

Ce qui est clair pour lui maintenant, dit-il, c'est que l'UE ne comprend pas comment fonctionne réellement le pouvoir en Russie. Si le but des sanctions est de motiver des gens comme lui à faire pression sur Vladimir Poutine, dit-il, c'est pire qu'irréaliste. « Je n'ai jamais été dans une entreprise d'État ou un poste d'État », déclare Fridman. « Si les responsables de l'UE croient qu'à cause des sanctions, je pourrais approcher M. Poutine et lui dire d'arrêter la guerre, et cela fonctionnera, alors j'ai bien peur que nous ayons tous de gros problèmes. Cela signifie que ceux qui prennent cette décision ne comprennent rien au fonctionnement de la Russie. Et c'est dangereux pour l'avenir. »

Les sanctions et autres impacts économiques de la guerre ont déjà anéanti un tiers de la richesse de Fridman, et bien qu’il soit toujours incroyablement riche, il est plus ou moins piégé à Londres et n’a pas accès à de l’argent. Stephanie Baker, interviewant Fridman pour Bloomberg, souligne qu’« il doit maintenant demander une licence pour dépenser de l’argent, et le gouvernement britannique déterminera si toute demande est ‘raisonnable’ ». Les organisations juives d’Ukraine ne cessent de l’appeler pour lui demander des progrès sur un don de 10 millions de dollars qu’il leur a promis mais qu’il ne peut plus honorer. Baker ajoute,

L'argument de Fridman selon lequel il n'est pas en mesure d'exercer une influence sur le Kremlin reflète la façon dont le rôle des milliardaires russes a été renversé depuis les années 1990. À l'époque, Fridman était l'un des sept oligarques d'origine, la semibankirschina. En tant que groupe, ils ont soutenu la campagne de réélection du président Boris Eltsine et ont dominé le Kremlin. Lorsque Poutine est arrivé au pouvoir en 2000, il a imposé son propre modèle : le nouveau pacte était que s'ils restaient en dehors de la politique, ils pouvaient continuer à gérer leurs entreprises. Poutine a détruit les oligarques qui ont violé cet arrangement.

L’incapacité de Fridman à contenir sa frustration face aux sanctions et sa volonté d’exprimer son opposition à la guerre pourraient bien marquer la fin de son implication directe dans la vie russe. Peut-être plus que tout autre oligarque, ses actions ont provoqué le discours désormais tristement célèbre dans lequel Poutine a attaqué les oligarques anti-guerre à la recherche de leurs propres intérêts économiques :

Le peuple russe sera toujours capable de distinguer les vrais patriotes des racailles et des traîtres et les recrachera simplement comme un moucheron qui a accidentellement volé dans leur bouche - les recrache sur le trottoir. … Je suis convaincu qu'une telle auto-épuration naturelle et nécessaire de la société ne fera que renforcer notre pays, notre solidarité, notre cohésion et notre capacité à répondre à tous les défis.

« Une auto-épuration naturelle et nécessaire de la société »

La nouvelle que des milliers de Juifs russes fuient vers Israël pour protéger leur argent, et les signes continus que de nombreux oligarques juifs maintenant hors de Russie pourraient ne jamais revenir, suggèrent que « l’auto-épuration naturelle et nécessaire de la société » de Poutine impliquera une réduction de la présence juive, de la richesse juive et de l’influence juive dans le pays. En plus des oligarques déjà mentionnés, il y a plusieurs milliardaires juifs, dont Boris Mints sur les listes russes les plus recherchées, pour une variété de crimes, y compris le détournement de fonds et la fraude. Leonid Nevzlin, un oligarque juif, ami de l’exilé Khodorkovski et ancien magnat du pétrole qui a fui la Russie en Israël il y a 20 ans afin d’échapper à une peine d’emprisonnement à perpétuité pour meurtre et crimes financiers, a récemment entrepris l’acte symbolique de renoncer à sa citoyenneté russe. Les demandes russes d’extradition de Nevzlin ont été ignorées à plusieurs reprises par Israël. Nevzlin a récemment déclaré à un journaliste : « J’ai été l’un des premiers à être frappé par Poutine. Il a jeté mes amis en prison et en a tué certains. »

L’un des aspects les plus fascinants de la carrière politique de Poutine est qu’elle combine un philosémitisme rhétorique et performatif souvent flamboyant avec des actions qui nuisent ou entravent directement les intérêts juifs. Comme mentionné dans un essai précédent, Poutine est l’un des principaux promoteurs européens du récit de l’Holocauste, mais c’est un récit de l’Holocauste nettement moins utile aux Juifs que la version hollywoodienne/Spielbergienne à laquelle nous sommes si habitués en Occident. C’est un récit de l’Holocauste dépouillé de l’exclusivité juive, imprégné de codes moraux géopolitiques favorables principalement à la Russie, et dirigé sans vergogne par et pour Moscou plutôt que Jérusalem. Dans un autre exemple curieux de rhétorique heurtant la réalité, en 2016, Poutine a invité les Juifs à venir s’installer en masse en Russie, sachant vraisemblablement très bien que des milliers de Juifs quittaient déjà la Russie à un rythme de plus en plus rapide. En 2014, plus du double du nombre de Juifs a quitté la Russie qu’au cours des 16 années précédentes.

L’une des forces de Poutine pour vaincre le pouvoir financier juif au plus haut niveau, ce qu’il a incontestablement fait, pourrait avoir son fondement dans le fait qu’il n’est pas un antisémite au sens classique. Il ne pense peut-être pas en termes raciaux, mais, en tant qu’ancien membre des services secrets, il est parfaitement à l’écoute des cliques, de l’intrigue, de la subversion et des subtilités de l’identité – les caractéristiques habituelles de l’activisme juif dans les cultures européennes. Il apparaît tout à fait capable d’éliminer de telles stratégies lorsqu’il les affronte sur une base individuelle et avec un pouvoir autocratique. Il peut déposer un Berezovsky, par exemple, non pas sur la base de la judéité, mais, néanmoins, sur certains comportements et associations qui sont une excroissance de la judéité. Ils disent qu’une horloge cassée sera toujours juste deux fois par jour, et de la même manière si l’on entreprend d’éliminer les stratégies de groupe opposées, même de manière « race aveugle », alors les confrontations avec les Juifs deviennent inévitables. De cette manière, Poutine est une sorte d’antisémite accidentel, ou plutôt accessoire, qui a dominé ou éliminé les financiers juifs dans son pays d’une manière probablement inédite depuis l’époque des Juifs de cour et la montée de la démocratie parlementaire.

Juifs en tant que bellicistes et pacifistes

Il y a une ironie dans la dernière situation difficile des financiers juifs de Russie étant donné que la guerre, historiquement, a été très bonne pour les Juifs. Pour cette raison, il vaut la peine de rechercher des précédents historiques et des parallèles. Derek Penslar, dans son livre Jewish and the Military (2013) publié à Princeton, souligne que les Juifs sont peut-être connus pour avoir évité le service militaire, mais qu’ils ont été prolifiques en profitant des conflits partout dans le monde :

Les Juifs étaient largement impliqués dans un système bancaire international qui tirait des profits considérables en prêtant des fonds directement aux gouvernements ou en emballant et en vendant la dette publique. Une grande partie de cette activité a eu lieu pendant ou à la suite de guerres. Pendant la guerre civile américaine, la dette du gouvernement de l'Union est passée de 65 millions de dollars à 3 milliards de dollars, soit environ 30 % du produit intérieur brut de l'Union. Une grande partie de cette dette était commercialisée sous la forme d'obligations d'État en petites coupures et achetées par des citoyens ordinaires. Les Rothschild avaient été les pionniers de cette pratique en France dans les années 1830, et le banquier Joseph Seligman l'a reprise aux États-Unis pendant la guerre civile. Après la guerre, les Seligman, ainsi que les banquiers Mayer Lehman et Jacob Schiff, ont énergiquement commercialisé des obligations américaines ainsi que celles des gouvernements des États du Sud à court de liquidités.

C’est Schiff qui a accordé quelque 200 millions de dollars de prêts au Japon pour alimenter ses objectifs expansionnistes en Extrême-Orient contre une Russie tsariste très détestée par les Juifs, et ce sont les Seligman qui « ont encouragé l’intervention des États-Unis » en Colombie en 1903 pour se tailler un Panama quasi indépendant, où les Seligman avaient investi dans des terres le long du futur tracé du canal. L’un des exemples les plus évidents et notoires d’une guerre pour les intérêts juifs est bien sûr la guerre des Boers, 1899-1902. L’Afrique du Sud avait été considérée comme un marigot rural par les Juifs jusqu’à une découverte de diamants en 1884 et la découverte d’or dans le Witwatersrand en 1887. Suite à ces événements, il y eut un afflux substantiel de commerçants juifs, qui devinrent rapidement une clique de millionnaires. Claire Hirschfeld, écrivant dans le Journal of Contemporary History, décrit comment les Juifs « ont pu, en un laps de temps relativement court, créer de puissants syndicats financiers et des empires étendus au sein d’une république boer d’agriculteurs encore accrochés à un style de vie pastoral ». Le pouvoir financier s’est rapidement transformé en un désir de domination politique, ce qui a nécessité le renversement des Boers. Cela nécessiterait l’utilisation de l’armée britannique, et Hirschfeld souligne qu’une grande partie de la fièvre de la guerre a été attisée par une presse britannique dominée par les Juifs : Oppenheim’s Daily News, Marks’ Evening News, Steinkopf’s St. James Gazette, et Levi-Lawson’s Daily Telegraph. L’un des principaux opposants à la guerre était le marxiste anglais Henry M. Hyndman, qui accusait les « seigneurs sémitiques de la presse » de harceler le gouvernement dans une « guerre criminelle d’agression » en Afrique du Sud. Il fut rejoint par le rédacteur en chef du journal Reynolds, W. H. Thompson, qui écrivit au début de la guerre :

Au bas de la guerre se trouvent les syndicats juifs et les millionnaires… comptant les poulets qui vont bientôt éclore. … La Bourse tire les ficelles et le gouvernement danse. Mais derrière la Bourse se cache la sinistre figure du Juif financier qui empêtre peu à peu le monde dans les tréfonds de la toile d'argent que la grande franc-maçonnerie raciale tisse jour et nuit aux quatre coins du globe.

Penslar reconnaît que les Juifs ont travaillé ensemble pour profiter de la guerre, écrivant que « c’est un fait, pas un fantasme antisémite, que les Juifs ont joué un rôle vital dans la coordination de l’allocation des matières premières pendant la Première Guerre mondiale, non seulement en Allemagne mais aussi dans le États-Unis. » Cela impliquait des cliques superposées de Juifs profitant de tous les aspects de la production de guerre.

À l’inverse, les Juifs peuvent basculer l’interrupteur pacifiste lorsqu’il est jugé que la guerre peut nuire à leurs intérêts. Penslar souligne que les Rothschild craignaient en 1914 qu’« une guerre puisse diviser la grande dynastie bancaire », tandis que Max Warburg commençait à vendre à la hâte ses actions dans des sociétés cotées à la bourse de Vienne. Le baron Rothschild a supplié le Times d’atténuer sa rhétorique anti-allemande, seulement pour que l’éditeur rétorque publiquement à cette « sale tentative financière juive allemande de nous intimider pour que nous défendions la neutralité ». Le magnat de la navigation juif allemand Albert Ballin regarda avec découragement sa flotte marchande couler au fond de l’Atlantique.

Conclusion

La guerre actuelle en Ukraine fait plus écho à Ballin qu’à la guerre contre les Boers. Face à l’invasion russe et à l’éternelle question « est-ce bon pour les juifs ? » les oligarques juifs dispersés de Russie répondraient probablement un « non » retentissant. La raison la plus importante serait, bien sûr, la baisse de leur richesse individuelle et collective. Des milliards ont été effacés de leurs comptes, leurs entreprises ont été entravées, leurs déplacements et leur capacité à faire des affaires sont restreints et leur accès à l’argent est limité. La nature de la finance internationale – politiquement, philosophiquement et technologiquement – ​​a évolué à un point tel que la profiterie juive à l’ancienne est plus difficile que jamais. En outre, cela a également rendu le ciblage individuel des financiers dans le contexte d’un conflit et d’une guerre non seulement faisable, mais facile et immédiat.

Les oligarques se retrouvent entre le marteau et l’enclume, considérés avec hostilité et suspicion par l’Occident, malgré des années de promotion de l’Holocauste et de philanthropie juive (comme si cela apportait réellement quelque chose à l’Occident), et de plus en plus éloigné et craintif du Kremlin. Le lieu d’installation naturel pour la plupart d’entre eux est Israël, qui lui-même essaie de cultiver une relation à la fois avec l’Est et l’Ouest, abandonnant l’un et flattant l’autre au gré de ses besoins. Même les Israéliens, cependant, considèrent les oligarques comme « toxiques » et ont été avertis par le gouvernement américain de ne pas prendre « d’argent sale ».

Forbes a discuté des spéculations de certains experts selon lesquelles Poutine est secrètement heureux du crépuscule des oligarques. Les sanctions peuvent les forcer à vendre des actifs qui profitent en fin de compte à ses agences de sécurité. Ou ils peuvent retourner en Russie et être forcés non seulement d’investir dans l’économie russe plutôt que de répandre leur richesse à l’échelle mondiale (comme des empires immobiliers à Londres, des yachts opulents, etc.), mais aussi d’adopter une position encore plus servile sous Poutine. La diminution des oligarques entraînera une vaste diminution des coffres des organisations juives internationales. Un puits financier clé se sera tari. La guerre de Poutine a peut-être insufflé une part de vérité dans une version éditée du dicton de Moshe Kantor : les restrictions imposées aux financiers juifs sont nécessaires pour la liberté de vivre une vie en sécurité.

A verdade sobre o discurso de ódio


Uma lei contra o ódio antijudeu marca, geralmente, o começo do fim para os judeus.
(JOSEPH GOEBBELS. In: Diary — 19ABR1943) [1]

A palavra “Ódio” é uma palavra tão feia! E seu uso revela certa infantilidade. Ela evoca a imagem estereotipada de uma menininha de oito anos que briga com a coleguinha e diz para esta: “Eu não gosto de você, feia!”. Mais comumente, o termo conota pouca seriedade, quando alguém, por exemplo, diz “Eu odeio o Fluminense” ou “Eu odeio brócolis” etc. Tarefas desagradáveis também ensejam seu emprego, como em “Eu odeio limpar o banheiro”. E o préstimo do vocábulo “Ódio” pode vir de seu estimado efeito retórico. Mas seu uso na expressão “discurso de ódio” é uma bobice, uma infantilidade, e tal expressão não tem sentido formal. Nós podemos não gostar de alguém ou de algum grupo, podemos sentir repulsa de pessoas ou categoria de pessoas, podemos desejar manter distância deste ou daqueles de quem desgostamos. Mas, odiar? Ora, seriamente falando, que pessoa madura diria hoje, aberta e ansiosamente, a frase “Eu odeio você!” para alguém? Só gente muito insegura ou perturbada faria uma coisa dessas. Esse seria sinal de fraqueza.

E, no entanto, o ódio parece ser o éthos do momento. Mais especificamente, estamos como que presos numa câmara de ressonância onde a mídia de massa reverbera ad nauseam histórias sobre os “discursos de ódio”. A julgar pelas manchetes e pelo que dizem os comentaristas progressistas, o discurso de ódio poderia ser considerado o mais grave perigo da atualidade, a par do racismo e da famosa “supremacia branca”. Tratar-se-ia de ameaça mais séria do que a corrupção política, o terrorismo internacional, a pandemia, a instabilidade financeira, a degradação ambiental, a superpopulação ou o descontrole da tecnologia industrial. A maioria dos países europeus já adota medidas legais contra várias formas de discurso de ódio, ainda que incertamente definidos, bem assim o Canadá e a Austrália. Até mesmo nos Estados Unidos cresce a pressão para a adoção de sanções nesse mesmo sentido, não obstante a Primeira Emenda.

Eu tenho com toda essa questão um envolvimento muito pessoal. Muitos sabem que venho escrevendo de forma incisiva contra os judeus e outras minorias. Não é segredo que para mim o melhor é viver numa comunidade branca em uma nação branca. Eu não sinto nenhuma necessidade de me desculpar por nada disso. E, por isso mesmo, algumas pessoas acham que devem me chamar de “odiento”. Elas dizem: “Dalton odeia os judeus”, “Dalton odeia os pretos”, “Dalton odeia os latinos”… mas não é nada disso. Eu quero declarar, para deixar registrado aqui, que nada está mais longe da verdade do que isso que falam de mim. Eu não odeio ninguém. Eu posso não gostar de alguns tipos de gente, eu posso considerar que certas categorias sociais compõem-se de elementos de má índole e mau comportamento. Então, como é natural, vem-me o desejo de estar longe deles e de que sejam punidos; mas isso não quer dizer que eu sinta ódio deles.

Nestes nossos dias, as leis dispondo sobre “crimes de ódio” e “discursos de ódio” abundam. Eis por que isso tudo está a exigir explicação. Examinemos, pois, com mais vagar, essa questão.

Como recomenda a lógica, devemos começar por conhecer o objeto de nossa discussão. O que, exatamente, significa “odiar” [to “hate”]? A etimologia da palavra [inglesa] remonta a tempos muito antigos. Ela deriva do indo-europeu Kədes, por via do grego Kedos. Originalmente, e isso surpreende, significava apenas “sentimentos fortes”, mas de forma neutra, ou seja, sem conotação negativa. Com efeito, a palavra do irlandês antigo Caiss reúne o duplo sentido de amor e ódio. Mas o significado negativo emerge com o germânico Khatis (depois, Hass), daí o alemão Haat, que eventualmente derivou para o inglês Hate.

Nos dicionários, a definição mais consagrada é esta: “Intenso ou extremo desprazer, aversão ou hostilidade para com alguém ou alguma coisa”. Assim, a palavra tem conteúdo quase inócuo; eu posso odiar meu emprego, posso odiar aspargo ou o meu chefe. Mas o fulcro da questão não é esse. Estamos mais preocupados com o ódio enquanto mentalidade, especialmente quando orientado a grupos sociais ou orientado, cada vez mais, a certas ideologias privilegiadas.

Depara-se-nos nesta altura, entretanto, sério problema: o ódio é sentimento, e sentimentos são subjetivos, indelevelmente. Ora, qualquer coisa subjetiva não pode ser quantificada de forma objetiva. Ninguém pode dizer, com certeza, que “Dalton odeia X”. Só eu posso dizer “Eu odeio X”, precisamente porque eu estaria falando de mim mesmo, de sentimento meu. Se há alguma coisa de que não abro mão, é o princípio da minha absoluta soberania sobre os meus próprios sentimentos. Ninguém nunca irá me obrigar a sentir desta ou daquela forma alguém ou alguma coisa.

E mesmo se eu disser “Eu odeio X”, como poderia alguém saber se realmente sinto o ódio? Ninguém pode. Eu poderia estar sendo sarcástico, estar brincando ou fazendo uma provocação. Ninguém saberá meu sentimento real, a não ser eu mesmo — porque se trata de meu sentimento. Ninguém saberia do meu sentir, se verdadeiro ou fingido. (E será que isso teria importância?)

Conforme venho tentando demonstrar, o ódio desaparece na turvação da subjetividade, completamente inacessível aos outros, e não pode ser quantificado ou objetivado, razão por que não se pode assentar nele nenhuma tipificação penal — pelo menos nos processos com trâmite no tribunal da razão. Donde o correspondente conceito de “discurso de ódio”, visto como expressão do ódio, desmilinguir-se na transparência do ar iluminado pelo Sol da lógica. Tal conceito, do ponto de vista técnico, é incoerente, não serve de base para o direito. O que, como se sabe, não impede legisladores corruptos no mundo todo de reprimir a liberdade de expressão a pretexto de combater o “discurso de ódio”.

Os doutores da lei aplicam a mordaça por muitas e diferentes razões. Isto, eu explicarei a seguir.

Então, vejamos como eles tentam definir o indefinível. Aqui está uma interessante “definição” do discurso de ódio no Cambridge Dictionary: “[Discurso de ódio] é um discurso público que expressa ódio ou incentiva a violência contra pessoa ou grupo com base em alguma coisa como raça, religião, sexo ou orientação sexual”.

Essa aí é uma definição das mais problemáticas sob muitos aspectos.

Primeiro: quão público é o “público”? Se eu conversar com o meu vizinho, nossa comunicação é pública? Se eu me manifestar num locutório privado do ciberespaço, minha expressão será pública? E se eu conversar em voz alta com um amigo num xópin? E se uma mensagem minha de correio eletrônico para um colega for repostada num blogue? Uma correspondência dirigida a mais de meia dúzia de contatos deixa de ser inviolável? O princípio da inviolabilidade da correspondência só se aplica a mensagens escritas em papel? Questionamentos não faltam.

Segundo: a definição envolve as noções de “expressão de ódio” e “incitação à violência”. Estas são duas coisas completamente diferentes. “Expressão de ódio” é, como eu disse, uma expressão que não expressa nada, falta-lhe qualquer sentido funcional. O que transforma uma expressão qualquer numa “expressão de ódio”? Presumidamente, se eu digo “Eu odeio X”, esta frase indicaria ódio. Mas, o que mais? A frase “Eu, realmente, mas realmente mesmo, de verdade, não gosto de X” indicaria ódio? E que tal “Eu adoraria ver o cadáver de X”? E se eu desejasse que X ficasse gravemente doente, haveria ódio em meu coração? Se afirmo que “X é um escroto”, dou sinal de odiar? Tais questões mostram os problemas da pouca consistência da definição. A “incitação à violência” é noção pouco menos ambígua, mas ainda problemática. Quem poderia, por exemplo, julgar do propósito de “incitação”? Este é outro termo altamente subjetivo. E quanta violência seria necessário incitar para a tipificação do “crime”? Um bom safanão seria violento? Uma torta na cara? Uma rasteira em alguém? Causar “desconforto emocional” é violência? E o que dizer de um calote?

Terceiro: a definição não se refere à violência em si mesma, mas à violência “com base em alguma coisa como raça, religião, sexo ou orientação sexual”. Isto é muito estranho. O que a expressão “alguma coisa como” significa aí? Os critérios de qualificação são geralmente considerados imanentes à pessoa ou ao grupo (raça, gênero) — mas a religião e a orientação sexual podem mudar da noite para o dia, não são “coisas”, elementos materiais permanentes. Por isso, as qualidades levadas em conta não precisam ser intrínsecas, como seria o caso de marcas antropofísicas. Então, qual seria, precisamente, esse critério misterioso, essa “alguma coisa” tão crucial para toda a definição?

A questão aqui é que a noção de “discurso de ódio” dissolve-se completamente no vazio da subjetividade, assim como o próprio “ódio”. Em termos objetivos, não há sentido nisso aí. Assim, como tal conceito serviria de objeto sobre o qual aplicar a força da lei?

O figurino da ONU

Como se já não tivesse muito com que se ocupar na gestão do caos no mundo, a ONU agora diz estar “preocupadíssima” com a reiteração, que se vai ampliando, do discurso de ódio em todo o mundo. Recentemente, em maio de 2019, a ONU emitiu uma curta declaração intitulada “Estratégia e plano de ação contra o discurso de ódio.” Na tal declaração, consta a seguinte passagem:

Não existe definição internacional legal para o discurso de ódio, e sua discussão não é tranquila: a caracterização do que seja o “odiento” sofre contestação. Neste documento, a expressão “discurso de ódio” é entendida como qualquer tipo de comunicação verbal, textual ou comportamental que ataca ou emprega linguagem pejorativa ou discriminatória em referência a uma pessoa ou a um grupo, por causa do que é essa pessoa ou grupo — em outras palavras, por causa de sua religião, etnicidade, nacionalidade, raça, cor, descendência, seu gênero ou outro fator identitário. Isto tem por causa e consequência a intolerância e o ódio, podendo ser divisivo e aviltante em certos contextos.

As frases-chaves a considerar aí: “sua discussão não é tranquila” e “a caracterização do que seja ‘odiento’ sofre contestação” (obviamente); “qualquer tipo de comunicação verbal” (muito ampla); “pejorativa ou discriminatória” (altamente pejorativa e indefinida; e “por causa do que é essa pessoa ou grupo” (fatores intrínsecos na maioria, com exceção da nacionalidade e da religião).

A seguir topamos com este parágrafo de “explicação”:

Em vez de proibir o discurso de ódio em si mesmo, o direito internacional proíbe o incitamento à discriminação, à hostilidade e à violência. O incitamento é um tipo de discurso muito perigoso, porque ele, explícita e deliberadamente, tem por fim desatar a discriminação, a hostilidade e a violência, o que pode dar lugar ao terrorismo e a quaisquer atrocidades. O discurso de ódio que não chega ao limiar do incitamento não é alguma coisa cuja proibição o direito internacional possa requerer dos Estados.

Assim, o discurso de ódio por si só não deve ser proibido, mas sim um tipo especial de discurso de ódio: aquele que incita a violência. Em outras palavras, o que aí vai dito, aparentemente, é que a repressão só se deve abater sobre o pior do pior. Essa tese, eles iriam desenvolver e explicar pouco tempo depois.

Também é de notar que o prefácio da declaração revela a motivação profunda por trás dela. Logo no primeiro parágrafo constam referências ao “antissemitismo”, aos “neonazistas” e à tenebrosa “supremacia branca”. Essas expressões estão sempre presentes em qualquer discussão sobre o discurso de ódio, o que é estranho. Voltaremos a essa questão mais abaixo.

Mas a ONU, insatisfeita com essa declaração muito curtinha, publicou documento mais alentado, a “orientação detalhada”, de 52 páginas, com o mesmo título da declaração anterior. Na nova “orientação”, eles estabelecem três níveis de gravidade, ou seja, três tipos de discursos de ódio. Tais tipos distribuem-se numa “escala” decrescente da “quantidade” de ódio que “irradiam”, indo do tipo 1 ao tipo 3.

Então, a gradação fica sendo a seguinte: tipo 1: o pior tipo, implica “incitamento direto e público à violência” (incluindo o genocídio); tipo 2: de gravidade intermediária, consiste na zona cinzenta dos discursos de ódio, devendo ser reprimido “na medida do necessário e de forma proporcionada” com base em “objetivos legítimos”; tipo 3: um discurso sem restrição, livre porque legalmente lícito, mas pode ser “ofensivo, chocante ou perturbador”.

O tipo 1 dos discursos de ódio, no nível 1, o nível máximo de ódio (“incitação”), tem por base as condições seguintes, que também o determinam:

1. o contexto social e político;
2. o status do manifestante;
3. a intenção do manifestante;
4. a forma e o conteúdo do discurso;
5. o alcance da difusão;
6. o potencial ofensivo.

Para sua caracterização como de nível 1, o discurso de ódio deve atender a essa meia dúzia de quesitos. No seu conjunto, esses tópicos indicam relações sociopolíticas fortemente tensionadas, um manifestante de posição importante e influente na sociedade, com má intenção e estilo provocativo, dispondo de grande audiência e razoável capacidade de causar agravo. De novo, a identificação de um discurso de ódio de nível 1 deve apontar nele essas seis marcas. Os níveis 2 e 3 podem ter algumas das marcas ou nenhuma delas. Os seis critérios constam as páginas 17 e 18 da tal “orientação detalhada”.

Depara-se-nos ainda esta interessante admissão: “Os termos ‘ódio’ e ‘hostilidade’ devem ser entendidos como referentes a emoções intensas e irracionais de opróbrio, inimizade e antipatia para com o grupo-alvo” (p. 13). Ah, que grande alívio! Isso quer dizer que nenhum antagonismo a judeus ou outras minorias, desde que racional e não emocional (isto é, baseada em fatos) conta como discurso de ódio. Por conseguinte, nenhum estudioso, acadêmico ou qualquer pesquisador sério que disserte fundamentado em fatos, baseado em história, apoiado em inferências plausíveis pode ser acusado, sob nenhuma circunstância, de envolvimento com discursos de ódio. Eu estou salvo! Esta é uma grande brecha que os censores ideológicos não perceberam. Devemos ser capazes de usar essa ambiguidade em nosso favor.

Nós (alguns de nós, pelo menos) encontramos ainda mais alívio na página onde é dito que o discurso de ódio do tipo 3 (permitido) inclui não só manifestações “ofensivas, chocantes ou perturbadoras”, mas também compreende “a negação de eventos históricos, incluindo crimes de genocídio ou crimes contra a humanidade”. Segundo a ONU, a assim chamada negação do holocausto é um tipo de discurso de ódio admissível ou, pelo menos, não punível.[2] E na figura 4 [p. 15], eles vão ainda além, afirmando que o ódio do tipo 3 “deve ser protegido” como forma de liberdade de expressão. Essa é uma notável concessão. Ah, mas existe uma pegadinha: “a menos que tal forma de expressão também constitua incitação a hostilidade, discriminação ou violência nos termos do artigo 20 (2) da International Covenant on Civil and Political Rights”. Este documento, escrito em 1966 e vigente desde 1976, traz estas palavras no artigo 20: “Qualquer apoio público ao ódio nacional, racial ou religioso, implicando incitação a discriminação, hostilidade ou violência, deve ser proibido pela lei”. Então, parece que, por exemplo, discutir a “negação” do Holocausto (seja lá o que for isso) não seja proibido, contanto que se evite qualquer tipo de “incitação”. Assim, pois, poder-se-ia questionar a veracidade historiográfica do Holocausto sem nenhum problema, mas a expressão de opinião sobre esse delicado assunto exige muita cautela. Com efeito, não se pode cometer a indiscrição de falar daqueles que hoje promovem, exploram e lucram com a história convencional do Holocausto.

“Tudo tem a ver com os judeus, sempre!”

Ataquemos agora o busílis da questão. A hipótese de trabalho que proponho é esta: o discurso de ódio é uma criação de judeus que trata de judeus e serve a judeus. (Ai, ai, ai… será que serei denunciado?) O mesmo é dizer que as leis relativas ao discurso de ódio foram forjadas e promovidas por judeus, sobretudo para o próprio bem deles. Eu vou além: sustento que os judeus são os maiores professores e praticantes do ódio já vistos na história do mundo e que eles, melhor do que qualquer outra população, compreendem o poder do ódio. Além disso, eles aprenderam a projetar seu ódio sobre outros como forma de servir a seus próprios interesses, apelando à maquinação e à fraude. Passemos à exposição das evidências indicativas do acerto de nossa hipótese.

Vamos começar falando de breve história a propósito dos judeus e do ódio. Talvez o primeiro registro mais explícito nesse sentido tenhamos recebido de Hecateu de Abdera [historiador e etnógrafo grego], que escreveu o curto relato “Sobre os judeus” no ano 300 antes de Cristo. Desse escrito restaram apenas dois fragmentos. O mais importante deles reza que, em consequência do Êxodo, “Moisés introduziu um modo de vida, em certa medida, misantrópico (apanthropon) e hostil a forâneos”. [3] Causa algum choque saber que, mesmo em tempo tão recuado, já pesava sobre os judeus a má fama da misantropia, ou seja, fazia-se deles o malconceito de que odiavam a humanidade. O mesmo tópico ressurge em 134 antes de Cristo, quando o Rei Antíoco VII foi aconselhado a “destruir os judeus, porque era o só povo que recusava toda relação com outros povos e via todo o mundo como seu inimigo”. O consiliário do rei referiu ainda que “o ódio do judeu para com toda a humanidade contava com a sanção positiva de suas próprias leis.”[4] Não apenas se fazia notável o seu ódio, como também o fato de que era “o só povo” entre outros povos a carregar tanta negatividade. Pelo que parece, os judeus de há muitos séculos já se destacavam por seu ódio excepcional.

Vale a pena considerar com mais vagar a ideia de que o ódio judeu “contava com a sanção positiva de suas próprias leis” — sendo esta uma referência dos sábios helenos ao Velho Testamento. Nós sabemos, evidentemente, que os judeus veem a si mesmos como os “eleitos” do criador do universo: “Porque tu és povo santo ao Senhor teu Deus; o Senhor teu Deus te escolheu, a fim de lhe seres o seu próprio povo, o seu tesouro, acima de todos os outros povos que há na Terra” (Dt 7,6). Aí está, pois: qualquer outro povo fica em segundo plano. Sabemos também que Deus teria agraciado os judeus com a condição de senhores das outras nações da Terra. O Livro do Êxodo afirma: “Nós [judeus] somos distintos […] dos outros povos na face da Terra” (33,16). Similarmente, a tribo dos hebreus é “o povo que habita sozinho e não se conta entre as nações” (Nm 23,9). No Deuteronômio (15,6), Moisés fala ao povo judeu: “Dominarás sobre muitas nações, porém elas não dominarão sobre ti”; ainda: “E todos os povos da Terra […] terão medo de ti” (28,10). Agora, em Gênese: “Que as nações te sirvam e os povos se curvem diante de ti” (27,29). No Deuteronômio, de novo, Deus promete aos judeus “casas cheias do que há de melhor, de coisas que não produziram, com cisternas que não cavaram, com vinhas e olivais que não plantaram” (6,11). E, fora do Pentateuco, nós podemos ler isto em Isaías: “Estrangeiros edificarão os teus muros, e seus reis te servirão […] E as tuas portas estarão abertas […] para que tragam a ti a riqueza dos gentios, e conduzidos com elas, os seus reis” (60, 10-11). Em Isaías, também: “Gente de fora vai pastorear os rebanhos de vocês; estrangeiros trabalharão em seus campos e vinhas. […] Vocês se alimentarão das riquezas das nações, e do que era orgulho delas, vocês se orgulharão” (61,5-6). O que não é tudo isso, senão misantropia explícita dos judeus, com a sanção “de suas próprias leis”? O conselheiro de Antíoco estava certo.

Acerca do ano 50 antes de Cristo, Diodoro da Sicília escreveu Biblioteca histórica. Nesta, na parte em que trata do Êxodo, o autor observa que “A nação dos judeus fez do ódio à humanidade a sua tradição” (34,1). Poucas décadas depois, Lisímaco registrou que a tribo hebraica fora instruída por Moisés para “não mostrar boa vontade a nenhum homem” e para “dar sempre o pior conselho” aos outros. E, nos primeiros anos depois de Cristo, o sábio greco-egípcio Apião notou a tendência que tem o judeu de “não mostrar boa vontade nem a um só forâneo, principalmente em se tratando de um grego”.[5] De novo, outra série de observações do ódio judeu para com a humanidade gentia pontua a história.

Porém, o mais perspicaz “discurso de ódio” dos antigos, nós o recebemos do historiador romano Tácito. Seus trabalhos Histórias (ano 100 depois de Cristo) e Anais (ano 115 depois de Cristo) trazem notas arrasadoras sobre a tribo dos hebreus. No primeiro, os judeus são retratados como “uma raça de homens que devota ódio aos deuses” (genus hominum invisium deis, V. 3). Mais adiante, ele assinala que “Os judeus são extremamente leais uns com os outros e sempre se mostram compassivos entre si, mas só sentem ódio e hostilidade (hostile odium) ante qualquer outro povo” (V. 5). Entretanto, suas mais famosas linhas estão no segundo desses trabalhos, Anais. Aí ele trata do Grande Incêndio de Roma, em 64 depois de Cristo, e da reação de Nero diante do sinistro. Nero, diz Tácito, atribuiu parte da culpa a cristãos, mas também aos judeus — “um tipo de gente detestável por seus vícios”. Os judeus “foram condenados não tanto pelo incêndio quanto por seu ódio do gênero humano” (odio humani generis, XV. 44). Este era, isso fica claro, o fator decisivo para Tácito como para toda a urbe romana: o odio humani generis dos judeus, ou seja, o ódio criminoso que tinham pela humanidade, sentimento de que o mundo só estaria livre com a proscrição ou extinção dos judeus.

Podemos parar por aqui em relação à Antiguidade. A citação poderia continuar, mas o recado está dado: o mundo antigo via os judeus como extraordinários cultivadores do ódio.

Se fôssemos continuar, citaríamos, por exemplo, Lúcio Flávio Filóstrato (c. 170-250): “Os judeus sempre estiveram rebelados não só contra os romanos, mas também contra toda a humanidade”; ou Porfírio de Tiro (c. 280), filósofo fenício da Síria romana: “Os judeus são inimigos impiedosos de todas as nações”; mas continuar seria supérfluo: a advertência necessária para uma discussão bem informada era essa.

Importa acrescentar que o tempo não mudou a imagem do judeu na Europa. Assim como visto na Antiguidade, o judeu era visto no Renascimento e na Reforma. E como visto há quinhentos anos, assim o judeu é visto na atualidade. O monumental trabalho de Martinho Lutero Sobre os judeus e suas mentiras (1543) traz esta passagem: “Agora, podeis ver quão estranhas crianças de Abraão os judeus realmente são, quão parecidos com o diabo, seu pai, eles são; pois é, vede que ‘belo’ povo de Deus eles são. Eles se vangloriam de sua origem física perante Deus, eles se gabam da nobreza do sangue que herdaram de seus antepassados, eles desprezam todos os outros povos”.[6] Dois séculos depois, por volta de 1745, Jean-Baptiste de Mirabaud escreveu que “Os judeus […] eram odiados porque odiavam outros homens”.[7] E há ainda o verbete de Voltaire sobre os judeus no seu famoso Dicionário Filosófico. Lá está escrito o seguinte:

Com certeza a nação judaica é a mais singular já vista na história do mundo e […] a mais desprezível de todas sob perspectiva política. […] Fala-se, comumente, que a marca da abominação que os judeus enxergam em outras nações tenha origem na sua aversão à idolatria; não me parece ser esse o caso. Muito mais provavelmente, seu insopitável ódio proceda da guerra de extermínio que moveram contra algumas das tribos de Canaã e do horror deles suscitado nas nações vizinhas. Como eles não conheciam outras nações além daquelas de sua vizinhança, acabaram por generalizar sua inimizade, expandindo sua repugnância pela Terra toda, com o que acabaram incorporando ao seu caráter a condição de inimigos de todos os homens. […] Em resumo, eles não passam de um povo ignorante e bárbaro, que aliou a mais sórdida avareza com a mais detestável superstição e o mais irrefreável ódio por todo povo que os tenha tolerado e enriquecido.[8]

O historiador inglês Edward Gibbon, em seu clássico trabalho de 1788, Declínio e queda do Império Romano, escreve o seguinte:

Os judeus […] emergiram da obscuridade […] e se multiplicaram de forma surpreendente […] A sombria obstinação com que mantiveram seus peculiares ritos e modos misantrópicos parece tê-los marcado como distinta categoria humana, que destemidamente professava ou sutilmente disfarçava seu implacável ódio do resto da espécie humana.[9]

Uma observação similar deixou-nos o filósofo alemão Johann Fichte em 1793:

Por quase todos os países da Europa alastra-se poderosa e hostil grei engajada em perpétua guerra contra os seus Estados, em muitos dos quais impõe terríveis cargas sobre seus cidadãos: trata-se da judiaria. Eu não acho, como espero mostrar adiante, que os judeus sejam temíveis pelo fato de formarem um Estado forte e separado, mas sim pelo fato de ser esse um Estado fundado no ódio que eles têm de todas as raças humanas […].[10]

Quem são, afinal, os maiores odiadores da história? A esta altura, essa não é uma pergunta de difícil resposta.

Particularmente chocantes são as palavras de Nietzsche. Uma longa série de comentários negativos sobre os judeus começou em 1881 com o seu livro O amanhecer do dia. Aí (seção 377) ele observa que “O mandamento ‘Ame seu inimigo’ tinha mesmo de ser inventado pelos judeus, que são a grege mais odienta que já existiu”. Assim, vê-se que os judeus são realmente insuperáveis no que diz respeito a sua aptidão para o ódio. Doutra feita, em A gaia ciência (1882), Nietzsche escreve, sarcasticamente, que os judeus são, de fato, a grege “especial”, porquanto “entre os demais povos, são eles os que desprezam o ser humano da forma mais profunda”. (seção 136)

Entretanto, Nietzsche deu a lume ainda mais marcante discurso no seu trabalho de 1887, A genealogia da moral. Neste livro, o filósofo oferece detalhada análise do ódio, visto de perspectiva judaico-cristã. Ele diz, em resumo, que o ódio judeu mostra-se mais claramente nos meios religiosos, entre rabinos e devotos. Sancionado por Deus, o ódio sacerdotal é o mais intenso e profundo; trata-se do ódio daqueles sem poder tangível. O ódio judaico, então, metastasiou-se pela Cristandade, tomando a forma nominal de seu antônimo, ou seja, o amor. O primeiro texto do livro é magistral dissertação da literatura e da filosofia. Confira na longa citação abaixo:

Como se sabe muito bem, os sacerdotes são os mais temíveis inimigos — mas por quê? Porque são eles os que menos poder têm. Da acracia deles, o ódio emerge como alguma coisa imensa e terrível, manifestando-se como veneno do espírito. Os odiadores realmente grandes na história mundial, aqueles que odeiam da forma mais espiritualizada, têm sido os sacerdotes. Em comparação com o ódio religioso que alimenta o espírito da vingança, outras expressões de antipatia nem merecem consideração.

Consideremos, brevemente, o maior exemplo disso aí. Tudo o que na Terra tenha sido feito contra “os nobres”, “os poderosos”, “os dominadores”, “os governantes” não se compara com o que os judeus perpetraram contra eles: os judeus, povo religioso, soube tirar a desforra final de seus inimigos e conquistadores, transformando radicalmente os valores de seus subordinadores, subvertendo sua cultura, — ou seja, os judeus vingaram-se espiritualmente de seus antigos senhores. Só um povo religioso seria capaz disso, quando tomado do mais profundo e represado desejo de vingança religiosa. Contrariamente à equação dos valores aristocráticos (bom = nobre = poderoso = belo = feliz = amado de deus) e com admirabilíssima consistência, os judeus ousaram empreender a inversão das coisas e à ordem virada ao avesso aferraram-se com unhas e dentes afiados pelo mais intenso ódio, o ódio daqueles sem poder […]. (seção 7)

Você não consegue entender isso? Você não tem olhos capazes de enxergar algo que levou dois milênios para se formar e emergir para a vitória? […] Não é de estranhar: todas as coisas muito prolongadas são de mais difícil percepção e avaliação. Entretanto, isto foi o que aconteceu: do tronco da árvore da vingança e do ódio, do ódio judaico — o mais arraigado e mais sublime ódio, isto é, o ódio que cria ideais e transforma valores, coisa nunca antes vista na Terra — desse tronco brotou algo extraordinário, um tipo de novo amor, o mais profundo e mais sublime dos sentimentos de amor: — de que outro tronco poderia ele desabrochar?

Entretanto, não se deve pensar que esse amor tenha consistido, essencialmente, na negação daquela sede de vingança, no oposto do ódio judaico! Não. O que se passou, de fato, foi o inverso. O novo amor surgiu desse ódio enquanto coroamento dele, como a própria coroa do ódio — coroa vitoriosa que se expande mais e mais, dotada do mais puro brilho de um sol — e buscava, por assim dizer, o reino da luz e da elevação, o objetivo daquele ódio, na ambição de vitória, troféus e sedução, com a mesma urgência com que as raízes daquele ódio cravavam-se tenazmente nas entranhas de tudo o que fosse maligno e profundo. Jesus de Nazaré, o evangelista vivo do amor, o “Salvador” que traz santidade e vitória para os pobres, doentes e pecadores — não era ele a própria sedução na sua forma mais terrível e irresistível, sedução e desvio para, exatamente, aqueles valores judaicos e ideais subvertidos? (seção 8)

Desta perspectiva, o “amor” cristão forma-se do ódio judaico, como se forma a copa das árvores de suas raízes. Os judeus (e Paulo, especificamente), os odiadores-mores, os fautores daquele que é o “mais profundo e mais sublime ódio” já visto na história da humanidade, eles criaram a ideia de um “salvador”, que ama todos os seus “irmãos” neste e no “outro” mundo. Assim o fizeram para encobrir seu ódio anti-humano e fazer parecer atraente a visão de mundo de inspiração judaica — a visão do homem-deus (Jesus), do Jeová todo-poderoso, do céu e do inferno. Estes destrutivos e niilísticos “valores e inovações” só poderiam ser impostos a uma humanidade odiada. O cristianismo foi, portanto, a maior manifestação do ódio judeu e a maior de todos os tempos.

Na seção 16, Nietzsche resume a sua tese assim:

Em Roma, o judeu foi considerado “culpado de ódio contra toda a raça humana”. E essa sentença estava correta, porque é correto ligar o bem-estar da humanidade futura à vigência incondicional dos valores aristocráticos, o mesmo é dizer valores romanos.

Esses niilísticos valores cristãos — baseados num mítico Deus e numa desconhecível e decerto inexistente vida no mundo do além — tiveram por efeito minar e, por fim, deslocar os superiores valores greco-romanos, que floresceram durante 800 anos e criaram as fundações de toda a Civilização Ocidental. A esta altura, somente a derrubada do judeo-cristianismo e o retorno aos valores clássicos e aristocráticos poderão salvar a humanidade. As palavras entre aspas na citação anterior são aquelas de Tácito, referidas antes, é claro.

Não podemos deixar A Genealogia… sem mencionar rapidamente a fascinante e jocosa alegoria sobre o ódio que faz Nietzsche na seção 13. Nessa passagem, ele compara a condição dos baixos odiadores (judeo-cristãos) com aquela dos fortes e nobres aristocratas (romanos). Os judeus e cristãos são assimilados a cordeirinhos; e os nobres aristocratas, a algum tipo de repulsivo predador (Raubvogel), tal qual uma águia. Os filhotinhos de carneiro pastam inocente e pacificamente no campo, mas vivem sempre no temor do predador, que pode, num átimo, descer do céu e arrebatá-los para cima. Os fracos anhos são odiadores; eles odeiam as aves de rapina. Mas as nobres águias são seres que não abrigam nenhum ódio. Nietzsche explica isso da seguinte forma:

Mas voltemos à vaca fria: o problema com a outra origem do “bem”, do homem bom, segundo a mentalidade da pessoa ressentida para servir a si mesma como justificação de sua condição. Para começo de conversa, o fato de os cordeirinhos ficarem transtornados sob o olhar das grandes aves predadoras não tem nada de estranho, e ninguém pode falar nada contra os caçadores alados só porque capturam os pequenos ovinos. As presas decerto fariam o seguinte comentário: “Essas aves rapinantes são malignas, e qualquer animal sem a mínima semelhança com elas, sobretudo algum que fosse o contrário delas, um cordeiro, por exemplo, esse animal não seria um animal bom?”. Não há nenhuma falha a ser apontada na instauração desse ideal, a não que as águias, olhando lá de cima para baixo, veriam os animaizinhos de forma um pouco sarcástica e talvez dissessem assim, mais ou menos, para si mesmas: “Esses bons cordeiros não nos causam nenhuma irritação. Na verdade, nós os amamos. Nada é mais saboroso do que a macia carne de um cordeiro”.

Os nobres não odeiam; eles governam e dominam. Só os fracos odeiam. Os odiadores fracos procuram, além disso, retratar os bravos e bem-nados da pior forma possível: “maldosos,” “matadores”, “pecadores”… Mas isso é ridículo, evidentemente. O comportamento dos fortes é aquele adequado à sua natureza. Os odiadores podem, então, tentar confundir os fortes, fazê-los mudar de conduta, torná-los “fracos” e “bons” como os próprios odiadores. Ocorre que isso seria mortal para os fortes, assim como consumir grama — tão apetitosa para um anho — seria mortal para as águias. Nietzsche enfatiza esse ponto:

Sem surpresa, o sentimento reprimido de raiva e de ódio que fervilha reconditamente nos fracos tem com essa crença relação que lhe serve muito bem, pois com isso os fracos passam a acreditar com fé incomparável na ideia de que os fortes são livres para serem fracos e as aves de rapina são livres para serem cordeiros. Isso tudo corresponde a uma situação na qual os fracos arrogam-se o direito de culpar as aves de rapina por serem aves de rapina.

Hoje, os odiadores fracos e inferiores — os judeus, os cristãos de inspiração judaica e os lacaios dos judeus que pululam na mídia — envidam grandes esforços para convencer os fortes e nobres de que eles são malignos, intolerantes, racistas, supremacistas…. E, no passo que avançam para a vitória, a humanidade nobre recua para o abismo, que é a catástrofe de sua extinção. Nós devemos resistir ao avanço deles com todo o nosso poder.

Os discursos de ódio no século XX

Dotada de riqueza cada vez maior, de poder financial, e com a longa experiência histórica de 2 mil anos que lhe aperfeiçoou o sentimento e a prática do ódio, a judiaria organizada começou a postular a adoção de sanções legais contra os seus oponentes. Com a torrente imigratória judaica na passagem para o século XX, talvez não deva surpreender que a advocacia judaica tenha se empoderecido e se apoderado dos EUA. Nas duas primeiras décadas, surgiram grandes grupos de apoio aos judeus, incluindo o American Jewish Committee (1906), a Anti-Defamation League (1913), o American Jewish Congress (1918) e a American Civil Liberties Union (1920). Todos esses grupos eram, de facto, bancas criadas para dar combate ao discurso de ódio, embora ainda não existisse o arcabouço legal correspondente naquela época. O foco deles estava na assim chamada “difamação de grupo” [group libel], um novo tipo penal inventado especificamente para favorecer interesses judaicos.

Entrementes, além do oceano, no território que seria a União Soviética. os judeus faziam ainda maior progresso. O ascenso dos bolchevistas judeus por volta de 1900, incluindo Leon Trotsky e o quartum judeu Vladimir Lenin, levou nova preocupação relativa ao antissemitismo para o Império Russo. Quando eles tomaram o poder na Revolução de Fevereiro de 1917, logo passaram a agir com o objetivo de melhorar as coisas para os judeus. Pinkus (1990) explica que esses bolcheviques “promulgaram um decreto anulando todas as restrições legais aos judeus” em março de 1917.[11] Ele acrescenta isto que não chega a ser nenhuma novidade: “Mesmo antes da Revolução de Outubro [1917], Lenin e o Partido Bolchevique eram contrários ao antissemitismo. Lenin atacou-o severamente em várias ocasiões”. Já em julho de 1918, o Conselho dos Sovietes publicou decreto (embora sem cominação) afirmando que “o movimento antissemitista e os pogrons contra os judeus são ameaça mortal contra a Revolução” e que todos os trabalhadores soviéticos estavam convocados “para lutar contra essa praga com todos os meios possíveis”.[12] O próprio Lenin continuou a insistir na propaganda pró-judaica; numa alocução notável em março de 1919, ele dizia:

O antissemitismo significa disseminar a animosidade em relação aos judeus. Quando a maldita monarquia czarista vivia seus últimos dias, ela tentava incitar os camponeses e operários ignorantes contra os judeus. A polícia czarista, de maranha com os terratenentes e os capitalistas, organizava pogrons contra os judeus. Esses senhores da terra e capitalistas buscaram desviar o ódio de trabalhadores e camponeses, torturados pela privação, na direção dos judeus. […] Justamente os mais oprimidos e ignorantes são os que acreditam nas calúnias e mentiras que se contam sobre os judeus. Isto é uma sobrevivência dos tempos medievais, quando os padres queimavam hereges presos a um pau, quando campônios viviam na escravidão e quando as pessoas eram esmagadas e não podiam se expressar. Essa ignorância antiga, feudal, está ficando para trás; os olhos do povo estão sendo abertos.

Não são os judeus, os inimigos do povo trabalhador. Os inimigos dos trabalhadores são os capitalistas de todos os países. Entre os judeus encontram-se trabalhadores e são a maioria. Eles são nossos irmãos e são oprimidos pelo capital, assim como nós; eles são nossos camaradas na luta pelo socialismo. […] Infame é o maldito czarismo, que perseguiu e torturou os judeus. Infames são todos os que fomentam o ódio contra os judeus e outras nações.

Quando Joseph Stalin (não era judeu) ascendeu ao poder nos anos vintes, ele julgou interessante o expediente de continuar cooperando com os judeus soviéticos e, de forma geral, ele lhes defendeu a posição. Em consequência disso, aquela década foi uma espécie de “idade de ouro” para os judeus; aquele tempo assistiu à ascensão de tipos como Lazar Kaganovich, Yakov Sverdlov, Lev Kamenev, Karl Radek, Leonid Krasin, Filipp Goloshchekin e Yakov Agranov — todos judeus de alta posição na hierarquia soviética.[13] Em parte devido ao domínio do governo pelos judeus, o antissemitismo continuava sua percolação nas massas russas. Deu-se então que, “em 1927, foi decidido que medidas drásticas seriam tomadas para combater o antissemitismo”.[14] Várias formas de propaganda foram empregadas, incluindo livros, panfletos, peças de teatro e filmes; a campanha publicitária culminou na severa responsabilização penal daqueles acusados de ódio antijudeu, que podiam ser até sentenciados à pena de morte. Em escrito de 1931, Stalin confirmou isso:

O antissemitismo é vantajoso para os exploradores, serve-lhes de para-raios para desviar as descargas da classe operária contra o capitalismo. O antissemitismo é perigoso para a classe operária, é um falso caminho alternativo que a afasta da direção correta e a conduz para a selva. Por isso os comunistas, enquanto internacionalistas consistentes, só podem ser inimigos jurados, irreconciliáveis do antissemitismo. Na URSS, a lei comina pena extremamente severa contra o antissemitismo, por se tratar de fenômeno profundamente hostil ao sistema soviético. Sob a legislação da URSS, militantes antissemitas estão sujeitos à pena capital.

A Idade de Ouro judaica na União Soviética durou até o final dos anos trintas, quando Stalin começou a desinflamar o poder judaico, aparentemente correspondendo ao que se passava na Alemanha nacional-socialista.[15]

Mas as políticas filossemíticas dos soviéticos (e bolchevistas) dos anos vintes e trintas não foram esquecidas por Hitler. Ele e Goebbels eram incansáveis críticos do “bolchevismo judeu” como a maior ameaça à Alemanha e à Europa — no que estavam certos. Goebbels, especialmente, tinha percebido o crescente impulso dado às leis contra os “discursos de ódio” e “crimes de ódio” em pró dos judeus, tanto na URSS quanto no Reino Unido; para ele, essa era a prova de (a): um profundo e iminente levantamento popular contra os judeus e (b): um abuso da autoridade judiciária dos judeus. A legislação contra o ódio é sinal de desespero; ela indica que o jogo se aproxima de seu final. Em 19 de abril de 1943, no seu diário, Goebbels escreve reveladora anotação:

Os judeus na Inglaterra agora reclamam proteção legal contra o antissemitismo. Sabemos o que é isso, nós passamos por isso antes, e foram tempos de conflito. Mas essa coisa não lhes dá muita vantagem. Nós sempre soubemos como encontrar brechas nas leis de proteção; além disso, o antissemitismo, uma vez aflorado do seio do povo, não pode ser abatido pela lei. Uma lei contra o ódio antijudeu marca, geralmente, o começo do fim para os judeus. Nós iremos garantir que o antissemitismo na Inglaterra não esfrie. Em qualquer caso, uma guerra de longa duração é a melhor matriz para o antissemitismo.[16]

No mês seguinte, no ensaio que publicou intitulado A guerra e os judeus, Goebbels comentou a situação jurídica na URSS, quanto à lei de Stalin referida acima, que estava ainda em vigência treze anos depois:

Nós recebemos, com muita frequência, notícias dando conta de que o antissemitismo está em ascensão nas nações inimigas. As acusações que se fazem aos judeus são bem conhecidas; são as mesmas que se fazem aqui. O antissemitismo nas nações inimigas não resulta da propaganda antissemítica, que a judiaria combate duramente. Na União Soviética, os judeus aplicam a pena de morte.[17]

A situação das leis concernentes ao discurso de ódio contra judeus, Goebbels considerava importante e assim pensou até o fim. No seu último grande ensaio, Os criadores das desgraças do mundo (1945), ele ainda nos advertia da importância da lei soviética:

O capitalismo e o bolchevismo têm as mesmas raízes judias — são dois galhos da mesma árvore e dão o mesmo fruto. A judiaria internacional manipula ambos no intento de suprimir nações e colocá-las a seu serviço. A profunda influência judia na opinião pública das nações inimigas e das muitas nações neutras mostra-se muito patente, justamente por isso, nos jornais, nos discursos e nas rádios, não se fala disso.

Existe lei na União Soviética que pune o “antissemitismo” — este, na verdade, em português claro, significa a educação pública sobre a Questão Judia — com a pena de morte. Qualquer estudioso dessas matérias vê sem nenhuma surpresa aquele destacado porta-voz do Kremlin, falando do ano-novo, dizer que a União Soviética não descansaria até que essa lei estivesse vigente em todo o mundo. Em outras palavras, o inimigo afirma claramente que seu intento nesta guerra é colocar a total dominação das nações da Terra por parte da judiaria sob a proteção da lei, servindo a pena de morte para tolher a simples discussão desse infame propósito. Isso se passa com pouca diferença nas nações milionocráticas [nações ocidentais].

Até o amargo fim, esse tema ainda inquietava Goebbels. Numa de suas últimas anotações no seu diário, ele escreveu:

Os judeus já estão inscritos para a Conferência de São Francisco [sobre as políticas para depois da Guerra]. Eles vão reclamar, principalmente, a proscrição do antissemitismo no mundo todo, o que é sintomático. Como seria de esperar, depois de terem cometido os mais terríveis crimes contra a humanidade, os judeus já se deleitam agora, quando podem proibir a humanidade até mesmo de pensar sobre tudo o que fizeram.[18]

E, de fato, eles lograram êxito, pelo menos em parte. Os diplomas legais do Pós-guerra Volksverhetzung e Verbotsgesetz, alemão e austríaco, respectivamente, representam a mais constrangedora capitulação judicial aos interesses judaicos já vista no Mundo Ocidental.

A esta altura, vemos claramente as origens da legislação sobre os discursos de ódio no século XX: ela consistiu num engendro dos judeus e de seus aduladores (como Stalin), tanto nos EE. UU. como na URSS, para submeter qualquer incipiente oposição à estrutura de seu poder. Tão determinados estavam os judeus a combater qualquer resistência à autoridade judaica, que se dispunham até mesmo a matar os seus opositores.

E na atualidade

Com o crescente predomínio da influência judaica no governo americano ao longo das últimas cinco décadas, a qual também prevalece na Europa, chamados para maior restrição e punição de comentários antijudaicos pelas leis dos discursos de ódio vão-se fazendo mais estridentes. O governo dos EE. UU. — ou, pelo menos, os republicanos — tem até aqui, majoritariamente, resistido às pressões, mas as grandes plataformas digitais assumiram posição filossemítica na questão. O Facebook e os seus Instagram e Twitter, a Google e o seu YouTube, todos se arvoram em censores dos discursos de ódio, especialmente aqueles da variante antissemítica. A Google modificou seus algoritmos de busca como forma de desclassificação e censura da nova mídia digital a que atribuem a propagação de ofensas e “ódio”. Tudo isso é perfeitamente compreensível, dado o grande número de judeus na direção dessas enormes corporações da tecnologia telemática: Mark Zuckerberg, Sergei Brin, Larry Page, Larry Ellison, Michael Dell, Sheryl Sandberg, Safra Katz, Susan Wojcicki, Steve Ballmer, Brian Roberts, Marc Benioff, Craig Newmark, Jeff Weiner…

Paralelamente à censura tecnológica das grandes corporações, as organizações advocatícias judaicas — como a SPLC e a ADL, continuam a explorar a indústria judiciária das indenizações. Essas bancas recorrem ao aparato institucional da Justiça para mover processos a torto e a direito contra os “odiadores”, a quem “denunciam” por violação da honra e de outros direitos das “partes” de sua clientela. A SPLC dispõe em seu portal de uma seção dedicada ao “antissemitismo e discursos de ódio”, como também faz a the ADL — coisa “normal”, eis que abolir a liberdade de expressão é a raison d’etre desses aparelhos da censura politicamente correta. Quando a militância censorina judaica não aciona a Justiça por si mesma para silenciar os críticos, ela intervém como parte interessada em processos judiciais de terceiros. A censura dos tribunais, somada àquela das grandes empresas do vale do Silício, serve ao propósito da implementação de facto das políticas pró-judaicas quanto aos discursos de ódio, fenômeno que salta aos olhos nos EE. UU., pelo menos.

Conclusão

Mas passemos ao fecho de nossa exposição: eu comecei este trabalho com aquela nossa discussão sobre a vacuidade lógica e a incoerência do conceito de discurso de ódio. É evidente, no entanto, que para muitas corporações poderosas e acedentes à influência judaica esse conceito mostra-se interessante. Os grandes oligopolistas, da velada perspectiva deles, que nem às paredes confessam, obviamente, veem a simplicidade da coisa toda, em termos mais básicos e práticos, ou seja: discursos de ódio são os discursos que os judeus odeiam. Sim, eles podem alegar que odeiam o discurso anti-islâmico ou o discurso antinegro, mas assim fazem apenas para desviar a atenção popular do alvo verdadeiro de seu ataque: o discurso de crítica aos judeus. Os judeus não são tão estúpidos a ponto de promover somente leis judaicas do que seria uma legislação exclusivamente “antiantissemítica”, pois a legislação não exclusiva disfarça o poder exclusivo deles. As leis descaradamente pró-judaicas são coisa do passado. Atualmente, as leis que mais lhes interessam são aquelas vazadas numa novilíngua de aparência universalista, a qual favorece, pelo menos em teoria, outros grupos “oprimidos”. Os judeus e a quinta-coluna a serviço deles querem parecer justos para gozar de unanimidade — quando, na realidade, devotam extremo desprezo a todos os grupos não judeus (de novo, o “ódio da humanidade” de Tácito e Nietzsche). Então, fica a lição: discurso de ódio é o discurso que o judeu odeia.

Agora, considere o seguinte: se você odeia o que eu digo, quem é o odiador? Eu ou você? Não sou eu, é você! O fato de você não gostar do que eu falo não faz de mim uma pessoa odienta. Essa pessoa é você. E se acontece de você ser um campeão, um mestre na história mundial do ódio, então o ódio é todo seu.


Referências

[1] Reeditado em Goebbels on the jews (2019; T. Dalton, ed), p. 199. Este e muitos outros livros citados abaixo podem ser encontrados em www.clemensandblair.com.

[2] Fique registrado aqui que não sou um negacionista. Eu acredito que houve um Holocausto na metade do século XX: isso foi chamado de Segunda Guerra Mundial, e 60 milhões de pessoas morreram em consequência desse conflito, inspirado e instigado pelo que fizeram os judeus aqui e na Europa. O total de judeus mortos terá sido de 500 mil, conforme os mais abalizados revisionistas. Para aprofundamento nessas questões, o leitor dispõe de meus livros The jewish Hand in the world wars (2019) e Debating the Holocaust (4. ed. 2020).

[3] Eternal strangers (2020; T. Dalton, ed), p. 16.

[4] Emilio Gabba, “The growth of anti-Judaism,” in The Cambridge history of judaism (vol. 2, 1984; Cambridge University Press), p. 645.

[5] Eternal strangers, pp. 19, 21, e 25, respectivamente.

[6] On the jews and their lies (2020, T. Dalton, ed; Clemens & Blair), p. 53.

[7] Eternal strangers, p. 68.

[8] Eternal strangers, pp. 70-71.

[9] The history of the decline and fall of the Roman Empire (1788/1974, vol. 2; AMS Press), página. 3. Veja também Eternal strangers, p. 59.

[10] Eternal strangers, p. 78.

[11] Benjamin Pinkus, The jews of the Soviet Union (1990; Cambridge University Press), p. 84.

[12] In Pinkus, p. 85.

[13] As semelhanças com o regime de Biden saltam aos olhos; sugiro ao leitor que leia o meu recente artigo “Confronting the judeocracy”.

[14] Pinkus, p. 86.

[15] Depois da guerra, o expurgo stalinista dos judeus de alta posição foi acelerado, resultando numa década de antissemitismo sob patrocínio do Estado, que só terminaria com a morte de Stalin em 1953.

[16] Goebbels on the jews, p. 199.

[17] Ibid., pp. 206-207.

[18] 4 April 1945, in Goebbels on the jews, p. 255.

* Dr.Thomas Dalton escreveu ou editou muitos livros e artigos sobre política, história e religião, focando especialmente o nacional-socialismo na Alemanha. Seus trabalhos incluem uma série de novas traduções de livros como Mein Kampf, Eternal stranges (2020), The jewish hand in the world wars (2019) e Debating the Holocaust (4. ed., 2020). Esses títulos estão todos disponíveis no ciberendereço www.clemensandblair.com. Os seus artigos poderão ser lidos na ciberteca pessoal do autor, aqui: www.thomasdaltonphd.com.

Fonte: The Occidental Observer. Autor: Dr. Thomas Dalton. Título original: On the True Meaning of Hate Speech. Data de publicação: 5 de julho de 2021. Versão brasilesa: Chauke Stephan Filho.

A teoria crítica da raça: uma arma do arsenal intelectual judeu

Não se enganem sobre isto: nós continuaremos a atacar os homens brancos, os vivos e os mortos, e também as mulheres brancas, até que o constructo social chamado de “raça branca” seja destruído não “desconstruído”, mas destruído.
(NOEL IGNATIEV. In: Race Traitor)

A promoção dos “Estudos da Branquidade” deve ser percebida como nada menos do que ato de extrema agressão, violento até, contra a raça branca.
(ANDREW JOYCE. In: Whiteness Studies)

Para ser efetiva, a engenharia social deve passar despercebida.
(MICHAEL JONES. In: Logos Rising)

No começo deste ano, meu irmão propôs-me, subitamente, uma questão: “O que é a teoria crítica da raça?”. A pergunta me deixou entusiasmado, porque provava que essa perniciosa teoria genocida e antibranca estava começando, finalmente, a entrar no radar da consciência dos brancos. Desde o dia da interrogação que fez o meu irmão, pulularam como cogumelos as histórias sobre a Teoria Crítica da Raça (TCR), com muita crítica a essa tendência intelectual antes tão misteriosa.

Entretanto, a hora do espanto foi quando observei que ninguém ou quase ninguém dos tais críticos havia associado a TCR ao ativismo étnico judeu.

Embora a teoria já tivesse aceitação desde longa data nos círculos universitários, ela agora penetra ambientes corporativos e governamentais, insinuando-se também no meio militar, onde passou a ser promovida desde que Joe Biden tomou posse como presidente. Quanto a mim, não de hoje sei desse fato que é a ligação da TCR com a “elite hostil”, para quem a teoria é ferramenta de engenharia social. Na nomenclatura sociológica de The Occidental Observer, a expressão “elite hostil” designa os poderosos judeus e organizações judias que controlam os Estados Unidos e a maior parte do Ocidente. De modo geral, entretanto, os nossos escritores tratam o tema da TCR de perspectiva diversa, fazendo-o sob a influência dos chamados “Estudos da Branquitude”. Ao contrário deles, eu relaciono a “Teoria Crítica da Raça” com a atual discussão sobre a guerra étnica que os judeus movem contra os brancos.

A TCR, na verdade, enquadra-se perfeitamente no que Kevin MacDonald chama de “Cultura da Crítica”, uma categoria na qual figuram os “gurus” judeus que verbalizam o ataque talmúdico com o objetivo principal de completar a destruição dos gentios ― literalmente! Eu sei disso porque estive muito próximo do palco onde se representava a farsa que foi a introdução da TCR nas escolas de pós-graduação nos anos noventas, quando vivi a infelicidade de ter um farsante desse tipo de dramaturgia como meu “professor”. O espetáculo brutal de que participei teve o lado positivo de me permitir sondar e conhecer mais profundamente os seus produtores judeus. Com efeito, terminada a triste representação, senti que tudo fora para mim duro processo de aprendizagem, mas valeu a pena: agora eu posso compartir com os meus leitores as lições que aprendi.

Eu vou começar a contar essa história falando de um escritor australiano, agora obscuro, chamado  Robert Hughes (1938–2012), que já foi descrito como “o mais famoso crítico de arte do mundo”. Em 1993, saturado de tanta política identitária, ele publicou o livro Culture of Complaint: The Fraying of America [Cultura da denúncia: a desintegração dos Estados Unidos], pela Editora da Universidade de Oxford. Nesse livro, ele atacou frontalmente a Indústria das Queixas, então em vertiginosa ascensão, dando exemplos e mais exemplos de como grupos militantes minoristas, sobretudo de mulheres e negros, atribuíam todo tipo de pecado à minoria branca, contra quem falavam mais do que o homem da cobra, hostilizando-a por meio de espúrias denúncias judiciais e manifestações de rua. Eu me lembro de que o livro dele atraiu bastante a atenção da imprensa da época, com muitos jornais tomando o partido do autor australiano, tal era a insatisfação com a “cultura da denúncia”.

O que me deixou frustrado, entretanto, foi o fato de o estudo de Hughes não haver ido além da própria denúncia, o fato de ele não ter conseguido aprofundar sua análise para chegar ao nível do que se pode chamar de “metadenúncia”, substrato de onde partem todas as denúncias como simples consequências. Por exemplo, Hughes não percebeu que a narrativa do Holocausto obteve tanto sucesso como meio de favorecer os interesses judeus que outros grupos ficaram ansiosos para também gozar do mesmo artifício tão interessante.

Em 1993, a indústria da denúncia começava a gostar do jogo e crescia para logo depois acabar dominando tudo, tanto que já na minha “pós-graduação” tive de suportar a experiência horrível que referi acima. Então se passou que a simples denúncia foi ganhando vulto, foi se tornando coisa muito mais perniciosa, muito mais ameaçadora. Desde sempre, porém, o sentido das denúncias era um só: combater a raça branca.

Depois de muito sofrimento, finalmente terminei a pós-graduação, muito abalado emocionalmente, muito judiado, mas com o diploma na mão. Almas mais robustas dirão que, se não morri, então devo engordar, mas já apanhei demais e não vou bancar o fanfarrão. Ao contrário, tento ser discreto e trabalho aturadamente, fazendo o que posso para manter a resistência. O jogo do judeu é bruto, e eles não aceitam perder.

Alguns anos depois, eu me empenhava com afinco na elaboração de alentado trabalho versando acerca do poder judaico nos Estados Unidos. Nessa ocasião, um professor de história, formado em Harvard, com título de Ph.D., me aconselhou a “dar a devida atenção ao trabalho de Kevin MacDonald”. Eu fiz isso — e a experiência de ler Kevin MacDonald mudou a minha vida. A trilogia deste autor, culminando com The Culture of Critique: An Evolutionary Analysis of Jewish Involvement in Twentieth-Century Intellectual and Political Movements, caiu do céu para mim, quando mais eu precisava; a partir daí, eu estava pronto para dar a devida atenção ao que o Mestre tinha a dizer.

Logo de cara, eu percebi a semelhança entre o título do livro de Hughes (Culture of Complaint) e aquele do livro de MacDonald (Culture of Critique), mas o livro de MacDonald tem muito mais importância do que o de Hughes, porque MacDonald foi mais feliz ao centrar o foco do seu estudo, precisamente, no judeu. Na verdade, se os brancos sobreviverem à guerra étnica descrita por MacDonald, The Culture of Critique fará o seu autor figurar no panteão da civilização ocidental. Então as futuras gerações de brancos conhecerão o nome de Kevin MacDonald como o de um semideus, herói de sua raça, e ele a todos parecerá alguém da própria família, assim apresentado desde as lições escolares de História. Amém.

Aqui eu suponho que o nosso leitorado conheça o básico do Culture of Critique e do livro posterior, Cultural Insurrections, assim eu já salto à frente para referir outras realizações e enfrentamentos subsequentes de nosso herói. A ciberteca The Occidental Observer é criação dele. O TOO teve origem como rebento da publicação anterior denominada The Occidental Quarterly, uma revista digital acadêmica. Anteriormente, em 2008, MacDonald tinha publicado um artigo intitulado “Promoting genocide of Whites? Noel Ignatiev and the Culture of Western Suicide”, no qual ele analisa os artifícios vocabulares desse professor judeu de Harvard, já falecido, usados para tornar mais sutil a expressão de sua vontade de exterminar brancos. Ignatiev foi o fundador da revista Race Traitor, que tem por divisa a caridosa frase “Trair o branco é ser leal à humanidade”. Este eslógão lembra, imediatamente, as palavras infames da judia Susan Sontag, ao escrever que

A verdade é que Mozart, Pascal, a álgebra booleana, Shakespeare, o governo parlamentar, as igrejas barrocas, Newton, a emancipação feminina, Kant, Marx, o balé de Balanchine e tutti quanti não redimem a civilização branca da desgraceira em que transformou a história do mundo. A raça branca é o câncer da humanidade […].

Situando a inteligente manipulação das palavras por parte de Ignatiev na categoria das ideologias judias desconstruídas no seu Culture of Critique, MacDonald escreveu:

Nossa interpretação é que as visões de Ignatiev resultam de competição étnica. Sendo um judeu esquerdista, ele é parte de uma longa tradição de oposição ao interesse e à identidade dos brancos — a  cultura da crítica, que se tornou a cultura do suicídio do Ocidente. E como sói acontecer com tantos judeus fortemente assumidos, seu ódio dos povos e da cultura do Ocidente aflora inflamado.

Recorrendo ainda às categorias constantes em Culture of Critique, MacDonald conclui que

Ignatiev é mais um intelectual judeu de longa série remontando a Franz Boas, à Escola de Francforte e a uma miríade de outros que agora mestreiam na  cultura suicida do Ocidente. Ele pode se chamar de traidor da raça, mas não faltam razões para acreditar na sua forte atitude de lealdade para com o seu próprio povo e de hostilidade para com o povo e a cultura do Ocidente, posturas de longa história típicas dos judeus altamente comprometidos consigo mesmos. Para ele, a traição da raça consiste em algo de fácil e natural ocorrência; trata-se do leite materno na formação de um judeu.

Como que por maldosa ironia do destino, o professor judeu que me atormentou durante a minha pós-graduação, como também fez com outros colegas brancos, tinha muitas semelhanças com Ignatiev, a começar pelo biótipo, mostrado na foto abaixo:

O judeu Noel Ignatiev (1940 – 2019) “ensinava” na Universidade da Pensilvânia que a solução final para os problemas sociais consistia no “extermínio da raça branca”.     (Créditos: Pat Greenhouse /Globe Staff.)

E quando MacDonald escreveu que “Gente como Ignatiev, sem dúvida de aguçada consciência de identidade e interesse étnicos, nunca mediu esforços para alcançar o objetivo de patologizar qualquer sentido de identidade e interesse étnicos dos povos europeus e euro-descendentes — e de nenhum outro”, ele indicava atributos que eu notaria em grau superlativo no professor-opressor da minha pós. Isso a que estávamos sujeitos nos anos noventas é o mesmo que se passa agora por imposição da TCR: os novos autos de fé — agora sutilizados, as leituras obrigatórias sobre o “privilégio branco”, a completa falta de contraditório ou debate ou questionamento. Nosso querido professor sujeitava à humilhação os meus colegas brancos, e eu tinha de assistir a esse triste espetáculo durante as “aulas”. Certa vez uma moça chegou a chorar, depois de repreendida de modo acabrunhante. Mulher chora mesmo — pode pensar o leitor malicioso, mas o doutrinador judeu conseguiu também marejar os olhos de estudante do sexo masculino, no maximante da minha indignação. O “curso” foi um horror.

Embora MacDonald não tenha empregado a expressão “teoria crítica da raça”, por referência ao assédio de Ignatiev, ele estava, de fato, tratando disso mesmo. Melhor ainda, MacDonald penetrou a falaciloquência de Ignatiev, devassando o seu real intento, coisa que outros fariam no TOO, desde então, seguindo o exemplo de MacDonald. Logo voltaremos a este ponto, mas antes eu gostaria de fazer uma rápida digressão para não perder a boa oportunidade.

O caso é o seguinte: quando eu trabalhava na redação da minha dissertação, depois de haver cumprido todos os créditos e sido aprovado nos exames, um outro professor judeu me deu um livro, o qual ele tinha recebido de alguém que dele esperava alguma eventual contribuição crítica. O professor não quis comentar nada e cedeu para mim o exemplar novinho, cuja capa era como mostramos abaixo:

Escrito em 1997 pelo professor de Direito Stephen M. Feldman, o livro, como visto, intitulava-se  Please Don’t Wish Me a Merry Christmas: A Critical History of the Separation of Church and State [Por favor, não me deseje feliz Natal: história crítica da separação entre a Igreja e o Estado]. A expressão “história crítica” no subtítulo já indicava que se tratava de mais um lançamento do projeto the Critical America Series, da NYU Press, que já publicou miríadas de títulos, dos quais os leitores podem desfrutar em seus momentos de lazer. Ah, eu devo mencionar detalhe dos mais significativos logo no começo da Introdução. O autor abre o texto dizendo “Eu sou judeu”. Com essa cabalística proclamação começava mais um ataque da “cultura da crítica” contra o homem ocidental e a sua mais celebrada efeméride.

“Estudos da Branquitude”: o olhar crítico de Andrew Joyce

The Occidental Observer foi extremamente feliz ao somar à plêiade de seus articulistas o talentoso  Andrew Joyce, de cujo engenho redacional deu prova o seu artigo inicial no TOO, publicado em 2012, no dia de São Patrício [17 de março], intitulado Limerick “pogrom”: Creating Jewish victimhood. Em 2015, entretanto, ele publicou o que pode ser considerado uma extensão do livro de MacDonald de 2008, no qual este devassa a brutal campanha intelectual de Ignatiev. Em “Jews, Communists and Genocidal Hate in ‘Whiteness Studies’”, abeberando-se na fonte de MacDonald, Joyce mostra que “Ignatiev não se preocupou tanto em disfarçar o desbragado ódio que a sua ‘disciplina’ incita contra os brancos e sua cultura”. Em citação indireta de MacDonald, Joyce notou que

Ignatiev et caterva inventaram uma história que eles contam da seguinte forma: era uma vez certa corja de malvados que se reuniu na calada da noite e criou a categoria chamada “branco”, que consideraram exclusiva deles, não podendo gente de outra cor fazer parte dela. Aí esses bandidos estabeleceram leis para favorecer toda a canalha da bitola deles, aí dominaram a economia e a política de maranha com outros brancos, aí inventaram teorias científicas sem pé nem cabeça para justificar a boa vida deles, dizendo que eram mais inteligentes e operosos por causa de condições naturais de caráter biológico que desigualaram a humanidade. Aí eles fizeram de tudo contra todos para continuarem no bem-bom, ainda com mais animação. E continuam fazendo isso até hoje, como as bestas humanas superiores.

Tudo o que Ignatiev escreveu contém mensagem inusitada, formulada em linguagem extremamente agressiva… Nos seus textos, sombrios e dramáticos, Ignatiev prega a “supressão da raça branca”, o “genocídio dos brancos” e quejandas “providências”. Quando pressionado, ele diz que houve um mal-entendido, que a coisa não é bem assim, que não quis dizer que as pessoas que se dizem brancas devam ser mortas. Segundo sua explicação, ele apenas deseja destruir o conceito de branquidade. Com isso ele mostra não ter pela raça branca nenhum desapreço, certo?

O próprio Joyce responde a essa pergunta:

Nem por isso. Na verdade, Ignatiev morde e assopra. Quando pode, só morde. Estando completamente afinado com sua identidade racial judaica, ele segue, ao mesmo tempo e de forma ostensiva, a linha politicamente correta de que raças são apenas “constructos sociais”. Quando pressionado, ele alega ser pouco mais do que um igualitarista radical, batendo-se contra todas as hierarquias sociais, mas especialmente contra aquelas nas quais ele imagina que os brancos estejam na posição superior.

A exemplo de MacDonald, Joyce também percebe facilmente o ardiloso jogo de Ignatiev. Joyce escreve: “A linha do partido de Ignatiev é toda ela dirigida contra o branco, o objetivo é fazer com que os brancos acabem pensando que não são brancos — para o bem e a elevação espiritual deles, é claro. Assim, enquanto os estudos do negro, da mulher, do chicano etc. colimam desenvolver e sustentar suas identidades relativas e agendas sociais, os chamados ‘estudos da branquidade’ objetivam extinguir totalmente qualquer senso de identidade e de consciência quanto a interesses grupais”. Essa diferença é muito importante.

Por volta de 2015, muito do que Joyce escrevera era familiar para mim. Eu tinha assimilado as lições desse meu mestre e me lembro muito bem delas.

Por exemplo, Joyce informava que a mulher de Herbert Marcuse, o membro da Escola de Francforte, “estivera quase sempre ocupada com a promoção de sua ideologia nas oficinas chamadas de ‘Desaprendendo o Racismo’ e com a inculcação de adolescentes brancos, que ela aliciava para que apoiassem o multiculturalismo, aderindo ao seu grupo ‘New Bridges’, com sede em Oakland”.

Mais um exemplo: Joyce referiu também outra mulher judia, Ruth Frankenberg, que em 1993 “explicava” o dogma de sua disciplina sobre a branquidade. Joyce explica essa “explicação” nos seguintes termos:

[O dogma] gira em torno do princípio segundo o qual a raça nada mais é do que fluxível constructo social, político e histórico. Ela argumentou que os brancos podem dizer que não são racistas, mas não podem dizer que não são brancos. Ruth Frankenberg postula que os brancos são todos implicitamente racistas em virtude da posição “dominante” que ocupam na sociedade ocidental e encarece a necessidade de reflexão crítica para subverter a ordem das coisas que fazem possível a condição da superioridade branca. Os “estudos da branquidade”, para Frankenberg, assim como para seus predecessores,  não eram senão método para convencer os brancos de que eram opressores, tivessem eles, ou não, consciência e desejo disso, tivessem eles, ou não, tomado parte, pessoalmente, em qualquer ato de opressão.

Eu estava lá, eu ouvia essas coisas nos anos noventas. E hoje toda essa narrativa está de volta, ainda com mais força, com mais apoio institucional. Agora, na era de [John] Biden, o grande público sofre a pressão ideológica que sofri naquele tempo. Isso me deixa angustiado.

Joyce tinha, já então, outras boas coisas a dizer. Por exemplo, a citação de Savitri Devi extraída de The Lightning and the Sun [O raio e o Sol]. Nessa passagem ela elucida muito bem a forma embelecada com que os judeus disfarçam a sua agressão para engabelar as vítimas:

Inconspícua, gradual, mas implacável: a perseguição é econômica e cultural, ao mesmo tempo. Os subjugados sofrem sistemático cancelamento de quaisquer possibilidades, sempre discretamente; o impiedoso condicionamento das crianças, tanto mais horrível quanto mais impessoal, indireto, mais aparentemente “suave”; a inteligente difusão de mentiras mortificantes da alma; a violência sob a capa da não violência.

“A violência sob a capa da não violência” — sim, mas também pode prevalecer a violência propriamente dita, no caso de os brancos se tornarem impotentes ante a maré montante da cor. Esta situação, com efeito, já se configura na disparada da brutalidade antibranca, conforme mostram as estatísticas da criminalidade inter-racial. Daí a ocorrência de incidentes como aqueles compilados na AmRen.

Foram dinâmicas de manipulação constrangedoras como aquelas que me fizeram sentir tanto desconforto, anos atrás, quando eu era um isolado e impotente estudante de pós-graduação. Naquela altura, eu não conhecia nenhum Kevin MacDonald ou Andrew Joyce que me desse a conhecer o contexto da situação, que fortalecesse minha autoconfiança para a reação ante os manipuladores. Eu era mortificado, mas como diz E. Michael Jones na epígrafe deste ensaio, “Para ser efetiva, a engenharia social deve passar despercebida”, e eu não a percebia mais ampla e criticamente, por falta de referências, de contravoz à voz da alteridade articulada pelo professor como ciência de aceitação universal obrigatória. O programa de doutrinação multiculturalista devia passar despercebido. Aparentemente tratava-se de um “curso”, a inculcação passava por ser “aula”. Quem contestaria abertamente os “ensinamentos” de um professor?

A advertência de Jones não me era completamente compreensível, mas eu sofria com o duro efeito do que ele referia: a sutileza da socioengenharia como condição de sua efetividade. Atualmente, tanto quanto naquele tempo, o processo mental de dissolução étnica continua muito efetivo. E isso me dá medo.

Desde a pós-graduação, o meu objetivo tem sido o de compreender a engenharia social e compartir com outros do meu entendimento, o que venho tentando incansavelmente, nas salas de aula e nos meus artigos. Agora estou me sentindo muito bem na companhia de homens como Andrew Joyce. Este sintetizou o seu conceito dos “Estudos Brancos” de forma emblemática nesta declaração:

Os programas “educacionais”  da ADL, a extinção de nossos limes nacionais, o desrespeito à nossa identidade racial confirmam o lento processo de genocídio de nosso povo, aparentemente pacífico, porque prescinde de ferro e fogo. Suas implicações, porém, são e serão de aterradora violência. Os “estudos da branquidade” não constituem parte de nenhuma disciplina acadêmica, no verdadeiro sentido dessa expressão. Trata-se, na realidade, de um ato de agressão interétnica.

Joyce voltou a examinar o envolvimento judeu nos estudos brancos (bastante aparentados à teoria crítica da raça, vale lembrar) em 2020, ao escrever “Review of Robin DiAngelo’s White Fragility” [Crítica de Fragilidade Branca, de Robin DiAngelo]. Diz Joyce que esse livro “é pesada e explicitamente influenciado pelo pensamento judeu e pelos pioneiros judeus num campo por onde passa o caminho de DiAngelo para a fama e a fortuna”.

Joyce encontrou evidência concreta do patrocínio judeu a DiAngelo na bibliografia do livro dela. Na relação, ele diz,

estão muitos nomes deparados na minha pesquisa dos “estudos brancos” (ou seja, antibrancos, não custa lembrar). Quase todas as figurinhas carimbadas do racismo judeu antibranco constavam lá, protuberantes da página para molestar os olhos, assim como a visão de parentes desagradáveis numa reunião de família. No inventário, radiavam sua luz negra tipos como Noel Ignatiev, George Lipsitz, Ruth Frankenberg, Michelle Fine, Lois Weis. Outros de seus patrícios davam-lhes apoio, a exemplo de Thomas Shapiro, David Wellman, Sander Gilman, Larry Adelman e Jay Kaufman. Tais são os prógonos e tutores intelectuais de DiAngelo …

Assim é como a coisa costuma ser. Temos aí um padrão que se repete muito frequentemente. E isso não ocorre por acaso. Tudo é feito de caso pensado pela manutenção da mentalidade antibranca na cabecinha emoldurada do próprio branco. O nome desse fenômeno: literatura etnomasoquista.

A teoria crítica da raça nas notícias da atualidade

Um caso muito interessante a propósito da nossa discussão é o do tenente-coronel Matthew Lohmeier. Este oficial foi expulso da Aeronáutica pelo “crime” de escrever, de manifestar suas opiniões sobre a introdução da TCR nas Forças Armadas. Cá entre nós, no presente clima político, o homem estava procurando sarna pra coçar, quando quis publicar livro com o título antissocial de Irresistible Revolution: Marxism’s Goal of Conquest & the Unmaking of the American Military [Revolução irresistível: os conquistadores marxistas & a dissolução das Forças Armadas americanas], mas isso mesmo é o que o cara fez. Em artigo saído no ciberjornal Revolver News, tratando dessa questão, nós lemos o seguinte: “Lohmeier foi a programas de rádio para promover seu livro e, como resposta, foi demitido do Pentágono. De acordo com o DoD [Departamento de Defesa], suas declarações causaram ‘perda de crédito e confiança em sua capacidade de comando’”.

O artigo continua: “Vistas da perspectiva de dezenas de milhões de patriotas americanos e da nossa própria, as ações do Cel. Lohmeier elevam-no ao pináculo da coragem e da guiança”. Eu subscrevo. Entretanto, o coronel tem lições a aprender comigo e com MacDonald. Pensemos na seguinte questão: quando uma expressão como “teoria marxista da raça” é usada por um autor, ele o faz consciente de que tal expressão, na verdade, significa “teoria judaica da raça”? A resposta parece ser negativa. E aí está o problema. Consideremos as seguintes palavras de Lohmeier:

Sempre me perguntam “Como foi que isso aconteceu?” ou “Quando foi que isso aconteceu?”. As pessoas querem saber, por exemplo, como o povo americano, suas instituições — principalmente o sistema educacional e, agora, as agências federais, as Forças Armadas, inclusive — se transformaram em câmaras de ressonância da narrativa marxista, em corpos aliados do movimento comunista. Com efeito, como os americanos pudemos tão levianamente questionar ou desconsiderar a grandeza do ideal americano, fazendo-nos vítimas das táticas da subversão? Por que não fomos capazes de perceber a nossa deriva para o marxismo? Duas foram as formas como isso se passou: gradualmente e, depois, subitamente.

Obviamente, quem leu The Culture of Critique sabe “como isso aconteceu”. Quem ouviu os arquivos de aúdio de The Daily Shoah sabe “como isso aconteceu”. Quem leu as histórias de Andrew Anglin em The Daily Stormer sabe “como isso aconteceu”. Mas, sinceramente, eu acho que o Cel. Lohmeier não faça nem ideia de “como isso aconteceu”. Alguém pode fazer o favor de mandar este meu texto para ele?

Quem haja acompanhado a “evolução” das universidades americanas, nas últimas três décadas, terá notado que seu viés esquerdista acentua-se a cada ano. Sobretudo os estudantes de Política, Direito e Administração confirmarão esse processo. Não é de estranhar que o avanço esquerdista tenha demorado mais para alcançar as Forças Armadas, e que nestas tenha havido alguma resistência, alguma consciência do que se passa. Essa forma de reação foi indicada por Lohmeier: “Há crescente percepção de que o partidarismo político que grassa nas Forças Armadas é da esquerda radical”. Sim, meu caro, é da esquerda radical.

Outro aspecto da questão: será que Lohmeier vê a introdução da TCR nas Forças Armadas como alguma coisa danosa em termos gerais ou ele a vê como arma intelectual judaica especificamente antibranca? Provavelmente ele saiba do conteúdo antibranco dos programas oficiais nas FF.AA., provavelmente saiba que a TCR é um cavalo de Troia. Afinal, o homem já criticou as tentativas de “descentralizar a branquidade”, uma expressão bem típica da novilíngua dos “Estudos Brancos”.

Mas isso é pouco, é preciso ir além. Na presente altura, ainda se discute se a TCR é apenas antidemocrática, até mesmo racista — mas de uma forma geral, ou se é especificamente antibranca. Ora, essa discussão já devia estar superada. A teoria crítica da raça (TCR) é racismo antibranco. Bem o percebeu o autor codinominado “Washington Watcher II”, que escreve para VDARE. Um de seus textos intitula-se “Fight Against Critical Race Theory — But They Still Flinch From Calling It Anti-White Racism” [Luta contra a teoria crítica da raça; eles ainda não a chamam de racismo antibranco]. Interessa notar o subtítulo: “eles ainda não a chamam de racismo antibranco”. Parece inverossímil: eles têm medo de dar o nome de teoria racista antibranca a uma teoria racista antibranca! O nosso analista Washington Watcher II sabe que os bambambãs do conservadorismo são contrários à TCR porque, conforme a crença esquisita deles, “as raças não existem”. Ele afirma que “os bestalhões conservadores, que poderiam ser chamados de cocoservadores, promovem a constrangedora ideia de que a TCR seria perversa por prejudicar os não brancos”. Sim, é mesmo difícil de acreditar, mas ele tem razão. Nossos agradecimentos a Washington Watcher II pelo esclarecimento dessa distinção, bem enfaticamente. Com efeito, na sua conclusão, ele faz um apelo aos leitores: “Repitam comigo: a TCR não é só racismo; A TCR é racismo antibranco”.

Conclusão

Chegamos, assim, ao ponto de onde avistamos a TCR como isso que ela é, de fato — ou seja: arma intelectual do racismo antibranco. O antirracismo consiste, pois, em racismo antibranco. Ocorre, entretanto, fato curioso, ainda mais elucidativo: a TCR, mesmo enquanto arma para a guerra cultural antibranca, ou melhor, por causa disso mesmo, tem sido distribuída por longa série de mentores judeus por mais de meio século, e disso pouco se fala. Tal situação explica-se por ser essa mais uma operação da campanha de judeus para exterminar os brancos. Não o fazem pela primeira vez. Precedentes históricos de atentados genocidas antibrancos perpetrados por judeus não faltam: a era bolchevique na Rússia, o Holodomor na Ucrânia, as várias estratégias “frias” documentadas por MacDonald no seu The Culture of Critique. Uma “estratégia fria” é, por exemplo, o favorecimento da imigração ou o abatimento da formação de famílias brancas. Este é o ponto que me esforço por enfatizar.

As consequências disso tudo são imensas. Vale lembrar a advertência que nos fez MacDonald em artigo de 2008 no TOO. Dizia ele, então, que a demonização dos brancos (ou da “branquidade”) era só o primeiro passo e que o segundo passo seria o genocídio dos brancos. Concordo em gênero, número, grau e caso. Aqui no TOO, tenho chamado atenção para esse risco há mais de doze anos.

Para terminar, eu vou sintetizar a discussão acima em linguagem bem simples, apenas referindo rapidamente as análises, às vezes longas, sem mais detença. Em 10 de junho de 2021, Andrew Anglin publicou artigo sob o título “Psychoanalytic Journal Publishes Paper Calling “Whiteness” a “Malignant, Parasitic-Like Condition” [Revista de psicanálise publica trabalho chamando a “branquidade” de condição maligna e parasitária]. Este texto sobre a “malignidade dos brancos” era a versão escrita das imprecações antibrancas de Aruna Khilanani, a psiquiatra de Nova Iorque de origem paquistanesa que, durante atividade “pedagógica” para a Universidade de Yale, em 6 de abril de 2021, dissera sonhar o sonho de “descarregar uma pistola na cabeça de todo branco”. A resposta de MacDonald: “Expressions of Anti-White Hatred in High Places: Aruna Khilanani at Yale” [Manifestações do ódio antibranco nas altas esferas: Aruna Khilanani em Yale]. MacDonald afirma aí que “a judiaria foi condição necessária para a criação dos Estados Unidos enquanto país multicultural” e que “não chega a surpreender a condição de Khilanani como exemplário da influência da teoria crítica da Escola de Francforte, a fonte da teoria crítica da raça”.

Evidentemente, Anglin conhece o trabalho de Noel Ignatiev e suas teorias da “disciplina” dos Estudos da Branquidade, podendo reconhecer, num piscar de olhos, sua importância para as confissões da psiquiatra não branca:

Toda essa coisarada teórica dizendo que a “branquidade” não é o mesmo que “ser pessoa branca” é só tapeação. Ninguém acha que isso faça sentido, até quem diz que faz sentido sabe que não faz sentido. Na verdade esses teóricos falam de gente branca, simples assim.

Eles querem aniquilar a raça branca.

Recentemente, nós vimos a psicóloga paquistanesa — os psicólogos, novamente! —  Aruna Khilanani dizendo que deseja matar gente branca, aleatoriamente. Ela não disse que queria matar os brancos “contaminados de branquidade”, mas sim os brancos, ou seja, qualquer branco.

Com essa conversinha deles sobre a tal abstração da “branquidade” eles procuram se proteger sob fino véu semântico para mais segura e discretamente seguirem com a pregação do genocídio dos brancos.

Isso me faz lembrar das predições de Tomislav Sunic em seu livro de 2007, Homo Americanus: Child of the Postmodern Age [Homo americanus: uma criança da Era Pós-moderna]. Ele diz aí que “a eliminação de milhões de cidadãos tidos por supérfluos será uma necessidade social e, talvez, até mesmo ecológica para o melhor ordenamento da futura sociedade americanizada”. MacDonald, nos anos em que escrevia Stalin’s Willing Executioners [Os agentes testamentários de Stalin], isto é, os judeus, identificou os setores sociais que poderão ser o alvo, ou seja, “que reunirão os atributos para a sua condenação ao extermínio, segundo a sentença dos homólogos americanos da elite judaica que tiranizou os brancos na União Soviética”. Mais sobre esse particular:

É fácil imaginar quais setores da sociedade americana teriam sido considerados demasiado retrógrados e supersticiosos e por isso condenados ao extermínio por aqueles que, nos Estados Unidos, cumprem o papel que foi o da elite judia na União Soviética — aqueles que aportaram na Ellis Island em vez de seguirem caminho para Moscou. Os descendentes daquele povo muito antiquado e devoto, agora mais conscientes das ameaças contra si, crescem em influência nos “Estados vermelhos” [Estados de maioria republicana], onde eles têm tido muita importância nas recentes eleições nacionais. A animosidade judia para com a cultura cristã, sendo esta profundamente enraizada na maior parte dos Estados Unidos, chega a ser proverbial.  Como Joel Kotkin indicou, “ao longo das gerações, a atitude dos judeus americanos em relação aos conservadores religiosos vem combinando sentimentos de medo e desprezo”. E como Elliott Abrams observou, a comunidade judia americana “aferra-se ao que no fundo é uma visão negativa dos Estados Unidos, vistos com terra eivada de antissemitismo, sempre a pique de explodir de raiva contra os judeus”. Essas posturas judaicas de antagonismo podem ser notadas, por exemplo, na acusação que faz Steven Steinlight aos americanos — a vasta maioria da população — que aprovaram as restrições à imigração na legislação dos anos vintes. Diz Steinlight que esses nacionais eram uma “multidão de insensatos”. Quanto às leis de imigração seletiva, afirma que eram “malignas, xenofóbicas, antissemíticas, abjetamente discriminatórias, um vasto fracasso moral, uma política monstruosa”. No final das contas, a visão negativa que os judeus de suas antigas vilas na Europa Oriental tinham em relação aos eslavos e sua cultura, visão que levou tantos judeus a se tornarem agentes testamentários do socialismo internacional, não é muito diferente da visão atual que os judeus dos Estados Unidos têm da maioria dos americanos.

Em 10 de junho de 2021, Anglin fez advertência similar, e suas palavras são a chave de ouro com que eu fecho este ensaio:

Estamos a ponto de assistir a um processo de seleção social em larga escala que se pode comparar a um abate sanitário. Nós temos falado do “genocídio branco” em termos de imigração massiva, feminismo antirreprodutivo etc., mas essa forma de genocídio “frio” está ficando “quente”.

A nossa gente deve estar alerta. Os sinais do perigo estão em toda parte.

Um banho de sangue é iminente.


Fonte: The Occidental Observer. Autor: Edmund Connelly. Título original: Critical Race Theory as a Jewish Intellectual Weapon. Data de publicação: 21 de junho de 2021. Versão brasilesa: Chauke Stephan Filho.

 

“Was ist Weiße Identität?” on the White Date website

Tom Sunic has been a regular contributor to TOO for as long as we have been in existence. An early article of his, “White Identity in Postmodernity,” posted on April 23, 2009, has been translated into German as “Was ist Weiße Identität?” on the website White Date which aims to bring together and encourage Whites to date other Whites. This website, which is in English, is well worth perusing, and includes a photo gallery of White babies resulting from their efforts. I couldn’t resist posting this one:

WhiteDate-Baby Nr. 1 – She’s a Lady.

Her parent writes, “I am deliriously happy to announce the birth of our first WhiteDate BABY! Hopefully, there will be many more to come. We are waiting for the parents to get back to us to receive a 250,- British Pound donation (approx. 300,- US Dollars) for this first child generously offered by an anonymous supporter in the UK.”

Since Bill Regnery is on all our minds right now, it’s worth nothing that he wanted to start a White dating site but it never got off the ground. I’m not sure exactly why it failed, but recall it being greeted with intense hostility by the media whose main goal, as Edmund Connelly has documented, is miscegenation. White dating and especially marriage with children is certainly a goal we should all support.

A maldição demográfica: Satã e a esquerda mentem

Se o caro leitor aprecia livros divertidos e ao mesmo tempo inteligentes, dou um conselho tão bom agora quanto o era mais de dois séculos atrás: leia o livro The Monk [O monge]. Tendo por autor um adolescente altamente talentoso chamado Matthew Lewis e primeiramente publicada em 1796, este que é um dos maiores romances góticos lampeja inteligência e sabedoria. Entre outras qualidades, o livro consiste numa ilustração das mais claras sobre tema perene: a mentira como abre-alas do mal. Satã seduz antes de assaltar, aparecendo sob disfarce até que possa revelar sua verdadeira e feia natureza.

Deslumbrado pelo mal

O monge que dá nome ao romance, homem piedoso, mas moralmente mazelado, um abade espanhol de nome Ambrósio, acaba sendo seduzido pelo demônio e cai em perdição. Quando um falso amigo invoca Satã em favor de Ambrósio, o abade é ludibriado por inteligente disfarce. Na sua aparição, Satã mostra-se como lindo serafim dotado de membros de um branco ofuscante e “cabelame de seda”. Ele vem “cercado de nuvens cor-de-rosa” que exalam deliciosos perfumes. Ambrósio deixa-se encantar “ante a visão tão diferente do que esperava” e “se abstrai no gozo da cena, maravilhado pela contemplação do Espírito”. (The Monk, vol. 2, ch. 4)

A primeira edição do livro O Monge, de Matthew Lewis

Houvesse Satã se mostrado na sua real e medonha forma, Ambrósio teria arredado, retirando-se do caminho do mal. Ao contrário, Ambrósio foi seduzido e levado a cometer pecado mortal. Mas quando Satã sentiu que sua presa estava dominada, desvestiu-se do indumento fantasioso. Na invocação solitária que lhe fez Ambrósio, Satã vem num “redemunho de enxofre” e dá a ver “toda a fealdade que carrega como fardo de seu fado, desde a sua queda do Céu”. Ele tem a pele negra, suas unhas ameaçadoras são garras afiadas e, seus cabelos, “serpentes vivas” que se contorcem, soltando “silvos pavorosos”. (The Monk, vol. 3, ch. 5)

Visões róseas da harmonia racial

Agora Ambrósio vê a feia verdade, mas já tarde demais. Ele fora iludido a cada passo, e brevemente terá chegado ao fundo do vórtice de sua danação. Bem, esse é o romance gótico de 1796, mas não consigo deixar de associar essa história à atual política ocidental. No passado recente, os brancos foram seduzidos pela esquerda com visões róseas da “harmonia racial” e das sociedades culturalmente “enriquecidas”. Por exemplo, muitos milhões de brancos votaram no maneiroso e cheio de lábia Barack Obama, na sincera esperança de que ele faria dos Estados Unidos uma nação pós-racial, onde só as cores da bandeira septicolor importariam, onde a culpa branca e o ressentimento negro de fomento estatal desapareceriam, e todo o mundo fosse “se dar bem”.

Entrem para a Igreja dos Malditos !

Como recompensa por sua boa-vontade, os eleitores brancos de Obama foram agraciados com o Black Lives Matter, merecendo ainda a intensificação da demagogia, da propaganda e do crime contra si mesmos. A sedução esquerdista está chegando ao fim, e o esquerdismo começou a retirar o seu disfarce. A redenção pós-racial já deixou de ser oferecida aos brancos, que agora são acusados de depravação inata. Em outras palavras, cessaram as emanações odoríferas de Satã, que agora lança de si gases sulfurosos. Na American Renaissance, Gregory Hood descreveu a mudança da sedução para a condenação num excelente ensaio intitulado “Anti-Racism: The Church of the Damned” [Antirracismo: a igreja dos condenados]. Ele escreve que “O antirracismo é uma igreja que não oferece a salvação. Ser branco significa pertencer ao número dos malditos, não importa o que se faça”. A população branca dos Estados Unidos sofre o assalto de sumos sacerdotes esquerdistas que em seu culto da morte “apregoam uma eterna culpa branca a ser expiada por toda a eternidade”.

O culto esquerdista da morte elevou-se na maré da imigração não branca nos Estados Unidos e noutras nações ocidentais. E quando a esquerda operava para abrir as fronteiras, ela mentia sobre o que fazia. Por exemplo, Kevin MacDonald mostrou que a Immigration Act [Lei da Imigração] de 1965, a qual escancarou as fronteiras dos Estados Unidos para os não brancos, foi a culminação de campanha de longa duração (décadas), promovida por judeus etnocêntricos no afã de diluir (e eventualmente destruir) a maioria branca cristã americana. Mas, assim como Satã não revelou sua real natureza e intenções para Ambrósio, também os patrocinadores judeus dessa lei não revelaram sua real natureza e intenções aos brancos dos Estados Unidos.

“A estabilidade étnica dos Estados Unidos não será comprometida”

Ao contrário, eles contrataram alguns góis para que fossem seus testas de ferro e cabalassem a aprovação da lei, contando mentiras sobre a catástrofe demográfica que estava para se abater sobre os Estados Unidos. O senador americano de origem irlandesa Teddy Kennedy respondeu aos críticos daquela lei de 1965 nos seguintes termos:

Eu quero fazer um comentário sobre … o que a lei não fará. Primeiro: nossas cidades não serão submergidas na torrente de milhão de imigrantes a cada ano. Conforme o projeto de lei, a taxa de imigração permanecerá substancialmente a mesma de hoje […]. Segundo: a presente composição étnica do país não será desarranjada […]. Ao contrário das acusações de certos setores, o Congresso não inundará os Estados Unidos de imigrantes de nenhum país ou área, de nenhuma das mais populosas e pobres nações da África e Ásia. Em última análise, não se prevê que o padrão étnico da imigração sob a lei proposta venha a sofrer qualquer mudança sensível, como alguns críticos querem dar a entender. Terceiro: a lei não permitirá o ingresso de subversivos, criminosos, analfabetos, doentes mentais ou pessoas com doenças contagiosas. Como observei logo antes, a nenhum indivíduo que possa se converter num problema social […] será concedido visto de imigrante.  As acusações nesse sentido são emocionais, são irracionais, não têm base na realidade. Esses que atacam a lei não estão correspondendo às obrigações da cidadania responsável. Eles geram ódio de nosso legado cultural. (Cf. So Much for Promises — Quotes Re 1965 Immigration Act, VDare, 9th August 2006)

O senador Robert F. Kennedy, irmão de Teddy, disse patranhas semelhantes, assim como toda a caterva de esquerdistas e seus inocentes úteis da direita. Em 1965, a esquerda seduziu os brancos dos Estados Unidos; em 2020, a esquerda proclamou a condenação desses brancos. Os brancos foram condenados à despossessão e à perseguição como casta desprezível por não brancos ressentidos, cujos rancores de inveja têm aprovação oficial.

O chocante, sentimental e desonesto romance gráfico Illegal (2017)

Mas a sedução e as mentiras ainda estão sendo usadas pela esquerda, como o leitor pode ver no romance gráfico para crianças recentemente publicado Illegal (2017). O título é irônico e faz referência a uma famosa citação do ativista judeu Elie Wiesel sobre migrantes ilegais: “Nenhum ser humano é ilegal”. Escrito por dois brancos irlandeses, Eoin Colfer e Andrew Donkin, e ilustrado pelo italiano Giovanni Rigano, também branco, Illegal conta “a história de Ebo e Kwame [dois irmãos negros] e sua torturante viagem do Norte da África para a Europa em busca de uma vida melhor”. Em outras palavras: é tudo propaganda para a abertura das fronteiras e a danação demográfica da Europa. É claro que o livro ganharia o maior prêmio na categoria “Melhores livros para crianças e adolescentes”, da Biblioteca Pública de Nova Iorque e, na categoria “Melhor ficção para adultos”, o prêmio da Biblioteca Pública de Chicago em 2018. Esquerdistas gostam de acreditar que são pensadores sofisticados, mas Illegal apela a sua real natureza de narcisistas refutadores da realidade. Na verdade, por exemplo, a maioria daqueles que procuram “refúgio” na Europa é de homens jovens e arrogantes, numa idade em que costumam formar sua gangue de estupradores e cometer seu primeiro crime.

De olhos grandes e narizinho chato, Ebo quer a ajuda do leitor.

Na fantasia de Illegal, entretanto, o herói é um pré-adolescente chamado Ebo, cujos “grandes olhos, bochechas rechonchudinhas e narizinho de botão” poderiam ter sido extraídos diretamente de um artigo científico intitulado “How cute things hijack our brains and drive behaviour” [Como as coisas engraçadinhas sequestram nosso cérebro e condicionam o comportamento] (2016). Sim, Ebo tem um irmão mais velho, alto, forte, um jovem adulto chamado Kwame mas, é claro, os autores matam Kwame por afogamento durante a travessia do Mediterrâneo, e Ebo teve de continuar sozinho sua “torturante viagem”. Em resumo, o romance é chocantemente sentimental e desonesto. E ele levanta uma desconfortável questão. Será por mera coincidência que por trás de tão enganosa propaganda estão dois irlandeses, como aqueles dois irlandeses da família Kennedy que promoveram fraudulentamente a lei de imigração de 1965 nos Estados Unidos?

   “Ajudem-me, salvadores brancos!”: os grandes olhos de Ebo apelavam para os de cima.

Não, infelizmente não é coincidência. Os católicos irlandeses são minoria inimiga dos protestantes saxões, servindo sempre de aliados providenciais para a hostil elite judia, tanto nos Estados Unidos quanto na Inglaterra, situação análoga àquela das ressentidas minorias antirrussas de georgianos e letões na URSS sob controle judeu. A Revolução Bolchevique e sua precursora na França do século XVIII são outros exemplos de como a esquerda se vale de sedutoras mentiras antes de revelar sua real, repugnante natureza. Na França como na Rússia, os revolucionários prometeram “Liberté! Égalité! Fraternité!”, para então criar tiranias que se banharam no sangue de seus próprios povos.

Lucrando e lacrando com o ódio: os pernósticos, autocomplacentes autores irlandeses e o ilustrador italiano de Illegal querem certificado de sua superior condição moral.

Mas os esquerdistas perderam estatura intelectual e ambição desde os dias de Robespierre e Lenine. Livros tais quais Illegal e Anti-Racist Baby, este de Ibram X. Kendi, não são sérios nem arrazoados minudentemente à maneira de Marx em O Capital (1867). Os esquerdistas de hoje abandonaram o intelecto pela emoção, como se vê em Illegal. Com as imagens do pequeno e engraçadinho Ebo, pretende-se disparar circuitos cerebrais primitivos para contornar o intelecto. Um grupo de psicólogos explica isso nos seguintes termos: “Bebês furam a fila do processamento no nosso cérebro. Eles passam à frente de qualquer outra coisa na mente, o que torna difícil que sejam ignorados. Eles também prendem nossa atenção até mesmo antes de serem reconhecidos como bebês. Eles têm esse condão por sua graça, seus grandes olhos, as bochechas gordinhas e o narizinho de botão”.

O bebê antirracista de Ibram X. Kendi

O desespero de mulheres e crianças também “fura a fila do processamento cerebral”, por isso os esquerdistas usam tantas mulheres e crianças não brancas nas suas enviesadas reportagens sobre a enchente migratória. Mas creio também que essa atitude empática dos esquerdistas quanto aos não brancos tenha correlação com a preocupação deles com o bem-estar animal, que envolve os mesmos circuitos neuronais ligados à emoção. Por exemplo, comparem-se as três imagens abaixo, extraídas de veículos de propaganda esquerdista, como o jornal The Guardian:

A propaganda esquerdista explora a dor em faces femininas.

As imagens apelam à mesma sentimentalidade irracional esquerdista, implicando postura maternalística de haute em bas para com migrantes, mas também para com “Xita, a macaca sagui” [no original: Rondon’s marmoset] atropelada por um carro enquanto fugia de um incêndio florestal no Brasil, em outubro de 2020. Aliás, a mulher migrante que carrega o bebezão também estava fugindo de um incêndio, desta vez num campo para migrantes na ilha grega de Lesbos, em setembro de 2020.

Buscando o poder, alimentando o narcisismo

A Inglaterra está a milhares de quilômetros de Lesbos, mas The Guardian, de perspectiva favorável, reportava o seguinte: “Aumenta a pressão sobre o governo do Reino Unido para que ele acolha alguns milhares de pessoas desabrigadas em consequência de devastador incêndio que destruiu um campo para migrantes na ilha grega de Lesbos”. Esses homens adultos que “procuram asilo” vêm das menos progressistas e mais misogínicas e homofóbicas culturas da Terra, mas os esquerdistas não se importam com isso. Como   tenho apontado com frequência, aos esquerdistas interessa conquistar o poder e alimentar o próprio narcisismo, não lhes interessa entender o mundo ou melhorar a vida daqueles que supostamente são o objeto de seu desvelo.

E como os esquerdistas conquistam o poder e alimentam o narcisismo deles? Eles mentem, como mostrado acima. Teddy Kennedy alegava que “a disposição étnica” dos Estados Unidos não seria transtornada pela lei da imigração de 1965. Não deu outra: ele mentia. Eoin Colfer e seus amigos retrataram os migrantes como crianças engraçadinhas em Illegal. Eles também mentiram.

Sejam todos advertidos, pois: a esquerda mentirosa leva o Ocidente para a maldição demográfica, da mesma forma inexorável como Satã conduziu Ambrósio, literalmente, para a sua maldição em O monge.

Fonte: The Occidental Observer. Autor: Tobias Langdon. Título original: Demographic Damnation: How Leftism Lies to Open the Borders. Data de publicação: 19 de dezembro de 2020. Versão brasilesa: Chauke Stephan Filho.

 

Não examinado, não questionado, não desafiado:   o poder judeu na admirável Inglaterra nova

Ehud Sheleg. Quem que é esse? CFI. Hem? O que é isso?

A grande maioria do povo na admirável Inglaterra nova não tem nem noção da resposta a essas perguntas, porque a mídia dominante não publicou absolutamente nada sobre essas questões muito importantes durante as eleições gerais realizadas recentemente.

O maior lóbi da política britânica

Mas esta revista digital é a The Occidental Observer, o Lar do Ódio, e aqui nós não sonegamos informações sobre esses interessantes e graves assuntos.

Sir Ehud Sheleg (nascido em 1955), judeu de Israel, é o possível fraudafioso [nota do trad.: fraudador + mafioso] de opções binárias e atual tesoureiro do Partido Conservador. Ele sucedeu o judeu sul-africano Sir Mick Davis em 2019 e admitiu explicitamente no Jewish Chronicle que coloca os interesses de Israel acima dos de outros países.

E o que é CFI? CFI é a sigla para representar a organização denominada Conservative Friends of Israel [Amigos Conservadores de Israel], que na mesma publicação Jewish Chronicle foi descrita como “o maior lóbi no Palácio de Westminster”, ou seja, na política britânica.

Os góis prostram-se ante a judiaria: Sajid Javid, Priti Patel e Boris Johnson na CFI

Essa entidade, a CFI, controlada por um outro judeu, injustamente obscuro, chamado Lord Polak, foi responsável por ciceronizar a mulher e política inglesa de origem indiana chamada Priti Patel numa série de reuniões secretas e sem registro oficial com políticos de Israel em 2017 (e provavelmente fazia isso desde muito tempo antes). Patel teve de renunciar ao seu cargo no governo de Theresa May por causa de seus esquemas escusos para favorecer governo estrangeiro, mas não se aflija, caro leitor: ela deu a volta por cima ao ser nomeada para cargo ainda melhor e mais importante quando Boris Johnson substituiu May em 2019. Pois é, os quatro políticos mais importantes da Grã-Bretanha — o meio-judeu Boris Johnson como primeiro-ministro, o paquistanês islâmico Sajid Javid como chanceler, a indiana hinduísta Priti Patel como ministra do Interior e o judeu Dominic Raab como ministro do Exterior — são devotados amigos e obreiros de Israel.

A “especial e preciosa” conexão judeo-monárquica

Na verdade, essas figuras não são realmente as mais importantes da política britânica. Ehud Sheleg e Lord Polak são de fato importantes enquanto tesoureiro do Partido Conservador e diretor do CFI, respectivamente. Mas Sheleg e Polak não foram submetidos a nenhum exame sério por parte da mídia dominante. Se algum jornalista se atrevesse a questionar o papel desses judeus no coração do partido dirigente da Grã-Bretanha, ele acabaria sendo denunciado como antissemita e banido da vida pública. Os dogmas são simples: primeiro: os judeus são filantropos de grande santidade sem interesses próprios, mais assim ainda em relação a Israel; segundo: os interesses de Israel são, em todo caso, idênticos àqueles da Grã-Bretanha, dos Estados Unidos, da França, da Alemanha et al.

A rede reservada: organizações judias controlam a política britânica (BICOM = Britain-Israel Communications and Research Centre)

A exortação seguinte tem sido repetida com frequência: “Lembrem-se todos dos valores judaico-cristãos! Porque, afinal, esses valores estão na base da Civilização Ocidental”. A verdade é que ocorre aí uma contradição em termos, e a expressão “judaico-cristãos” é especialmente idiota, mas, mesmo assim, ela pode se tornar popular durante o que resta do mandato de Boris Johnson. Nesse caso, o chefe da torcida organizada será o ingênuo e estúpido herdeiro do trono inglês. Confirme na transcrição a seguir:

Príncipe Charles enaltece a “especial e preciosa” conexão entre a comunidade judaica e a Coroa.

O príncipe de Gales pronunciou o discurso transcrito abaixo em cerimônia de homenagem à comunidade judaica no Palácio de Buckingham:

É com grande alegria que lhes dou as boas-vindas ao Palácio de Buckingham nesta noite, quando se aproxima a Festa de Chanucá, para juntos celebrarmos a contribuição de nossa comunidade judaica à riqueza, à saúde e à felicidade do Reino Unido.

Em todos os momentos de nossa vida, em todos os campos onde aplicamos nosso esforço [N. do trad.: “endeavor” (esforço) no original, ao que o articulista pergunta: “Por que a pronúncia americana?”. A forma inglesa de “Endeavor” seria “Endeavour”], nossa nação não poderia dispor de mais generosos cidadãos, nem de mais leais amigos. Daí a minha felicidade por esta oportunidade de lhes dizer “Obrigado!”, embora os Amigos merecessem muitíssimo mais, por tudo o que fizeram e continuam fazendo por este país, aqui e nas maiores instituições internacionais, tanto quanto nas comunidades locais de todo o mundo.

Frequentemente eu defino o Reino Unido como uma “comunidade de comunidades”, a qual se enriquece pela diversidade de seus grupos constituintes, cuja totalidade é tão maior do que as suas partes. […]

Por isso é que esta época do ano [dezembro], tão especial para cristãos como também para judeus, enseja o momento ideal da celebração desta noite — porque a importância da Unidade na Diversidade está no próprio coração de nossos valores enquanto sociedade. Ela determina o que é o nosso país e quem somos nós.

A conexão entre a Coroa e nossa Comunidade Judia é alguma coisa especial e preciosa. Tenho mesmo razões particulares e pessoais para dizer isso, pois calaram fundo em mim, desde garoto ainda, as comemorações alusivas à minha Família nos cultos semanais que se realizam há séculos nas sinagogas britânicas. E enquanto vocês se recordam da minha Família, nós nos lembramos de vocês e os enaltecemos. […]

Ainda que de forma pouco equivalente, venho tentando retribuir por vários meios os benefícios que nos dão a comunidade judia. Eu compareço a encontros da Kindertransport Association ou recepciono esses eventos, o que também faço pelos sobreviventes do Holocausto e pela National Holocaust Memorial Day Trust — de que sou patrocinador. Eu colaborei para a construção do Centro Comunitário Judaico em Cracóvia, onde fui privilegiado pelo ato que me foi concedido de afixar uma mezuzá numa porta). E quando me foi oferecido o título de patrono da World Jewish Relief, aceitei imediatamente.

Se me permitem dizê-lo, Senhoras e Senhores, vejo isso tudo como retribuição mínima da minha parte, um verdadeiro contracâmbio a todas as bênçãos imensas trazidas pelo povo judeu a esta terra e, de fato, a toda a humanidade. Nas escrituras hebraicas, pelas quais recebemos muitos dos fundamentos éticos de nossa sociedade, está escrito, lá no Livro do Deuteronômio, esta edificante exortação: “Escolha a vida!”.

Senhoras e Senhores, a comunidade judia do Reino Unido tem cumprido esse mandamento divino de inúmeras maneiras, e nossa sociedade enriqueceu-se imensuravelmente em consequência disso. Hoje temos a oportunidade de dar graças pela amizade que forjamos e pelos valores que compartilhamos. (Prince Charles praises ‘special and precious’ connection between Jewish community and the Crown, The Jewish Chronicle, 6th December 2019 / 8th Kislev 5780)

Unidade na diversidade: os horrores da Divisão Índia em 1947

O príncipe Charles não é apenas um idiota: ele é um ignorante ou está cego e não quer ver. Por isso nada tem de surpreendente que os judeus usem a expressão pejorativa goyishe kop — “gói tonto” — significando gente como Charles, que se apresenta diante deles para declamar seu besteirol. O bonito lema “Unidade na diversidade!” poderia ter sua fonte de inspiração nas páginas de 1984. Aparentemente Charles nunca teve a oportunidade de perguntar a seu amado tio Lord Mountbatten sobre a “unidade na diversidade” observada na Índia britânica em 1947, quando Mountbatten era o vice-rei. Centenas de milhares morreram nas “revoltas comunitárias” de hinduístas, muçulmanos e siques. Muitos também morreram quando Bangladexe conquistou sua independência do Paquistão em 1971. Bengaleses e paquistaneses eram maometanos, mas suas diferenças raciais e culturais bastaram para criar a “unidade na diversidade”, isto é, a guerra, os massacres, a prática organizada do estupro. Embora não haja guerra e massacres (por enquanto), o estupro organizado é marca proeminente da Inglaterra atual. Esta forma de violência manifesta as bênçãos da diversidade que devemos à imigração paquistanesa.

A vingança judaica contra os monarcas do gentio

O próprio Lord Mountbatten serviu de exemplo da “Unidade na diversidade” quando foi abatido num atentado à bomba do Exército Republicano Irlandês (IRA) em 1979. Pois é… A relativamente branda diversidade religiosa e racial do arquipélago Britânico tem custado a vida de muita gente desde há muitos séculos. Por exemplo, Oliver Cromwell cobriu a Irlanda com um tapete de cadáveres católicos no século XVII, mas tal coisa não deve surpreender, atendendo que a revolução republicana de Cromwell fora financiada por banqueiros judeus de Amesterdã. Os judeus odeiam a Igreja Católica e as instituições católicas tradicionais, como a monarquia (tirante os casos de reis-lacaios como Charles). Talvez se explique por esse ódio a execução de Charles I em 1649. Terá sido vingança, resposta dada ao Édito de Expulsão dos Judeus, de 1290, sob Eduardo I.

Eu recomendo ao príncipe Charles que leia o conto fascinante de M.R. James (1862–1936) intitulado The Uncommon Prayer-Book, que trata da deposição de Charles. O príncipe deve aprender alguma coisa sobre a história da Inglaterra e do nefasto papel que nela tiveram os judeus (cf. my discussion). Ser-lhe-ia também proveitoso o estudo do protagonismo judaico na chacina da família imperial russa, os Romanovs, em 1918. Aos judeus não agrada nenhum tipo de monarquia ou aristocracia, a não ser quando o monarca ou aristocrata, por sua dupla condição de imbecilidade e servilismo, possa lhes ser útil.

Com efeito, os judeus têm estabelecido alianças com as elites de não judeus ao longo da história, o que segue acontecendo no presente, e as figuras de Boris Johnson e príncipe Charles são prova disso. Em consequência, outros segmentos da população, traídos, caem na exploração — agora, principalmente, a classe trabalhadora.

Charles poderia ter alguma noção da profundidade de sua estupidez se prestasse mais atenção ao Jewish Chronicle. Suas bajulatórias palavras ao dizer “esta época do ano, tão especial para cristãos e judeus” provam que o príncipe acreditou na mistificação dos judeus para apresentar a Chanucá como se fosse uma importante comemoração judia.

O medonho dezembro

Não é! Trata-se, antes, de festa menor na cultura judaica, mais usada para obscurecer o Natal. Isso o próprio Jonathan Freedland, uma figura altamente etnocêntrica, admitiu no Jewish Chronicle, no mesmo mês do discurso sicofântico do príncipe Charles: “A ocasião de uma eleição pré-natalina não deveria perturbar muito os leitores do JC. As férias não fazem de dezembro o mês mais atribulado dos judeus. Mesmo assim, a perspectiva de uma eleição no mês em que peças de teatro cristãs são encenadas e comidas natalinas são servidas, isso, eu suponho, vai fazer que os judeus sintam um tipo de medo bem próprio deles: o medo dezembrino”.

Freedland fala de “medo” porque ele pensa que tanto um governo trabalhista sob Jeremy Corbyn quanto Boris Johnson com o seu “Brexit” na marra seriam desfavoráveis aos judeus. E o que mais importa na brava Inglaterra nova senão o bem-estar dos judeus? Entretanto, Corbyn foi de longe a maior ameaça, como Freedland ressaltou: “Atentem para o fato de que o Partido Trabalhista de Corbyn tornou-se o primeiro partido do Reino Unido desde o BNP a ser investigado por racismo […]”. A investigação no Partido Trabalhista, conduzida pela Comissão de Direitos Humanos e Igualdade (EHRC), dá mais um exemplo de como a mídia dominante na Grã-Bretanha se recusa a fazer algumas perguntinhas muito interessantes sobre o poder judaico.

O controle judeu

Afinal, não por acaso a EHRC é dirigida por dois judeus: a advogada Rebecca Hilsenrath e o ativista homossexual de direitos humanos David Isaacs. Seria possível que o judaísmo desses dois viesse a influenciar a investigação e suas conclusões? O que é isso?!? Claro que não! Ninguém pode se esquecer de que os judeus são santos exclusivamente devotados ao filantropismo, não tendo nenhum interesse de causa própria (ainda mais em se tratando da demonização do Partido Trabalhista). Mas essa questão nem foi tocada, quando a EHRC foi citada durante a campanha eleitoral. O máximo que a esquerda pôde fazer foi demandar um inquérito similar quanto à islamofobia no Partido Conservador. Mas os tories e seus seguidores nutrem forte cepticismo em relação à validade do conceito de “Islamofobia”. Como o suposto conservador Charles Moore escreveu no The Spectator: “O termo ‘Islamofobia’ deve ser absolutamente refutado. Ao contrário de “Antissemitismo”, trata-se de um conceito falacioso”.

A carinha bolchevique de Rebecca Hilsenrath

Moore é outro príncipe Charles que deveria prestar mais atenção na mídia onde suas próprias palavras são publicadas. The Spectator defendeu firmemente o suposto filósofo Roger Scruton contra acusações de intolerância no começo de 2019. Scruton sofreu a falsa acusação de islamofobia e antissemitismo, mas é claro que esses são dois “conceitos falaciosos”. Uma deputada judia chamada Luciana Berger acusou Scruton de antissemitismo sem nenhuma objeção da parte de outros judeus, e a intervenção do Conselho de Deputados Judeus parece ter sido decisiva para encerrar a participação de Scruton no governo. Scruton acabou sendo readmitido, mas nem ele nem ninguém de seus apoiadores iria depois questionar as injustas acusações de antissemitismo. Afinal, se o fizessem, teriam de admitir a verdade sobre os judeus, mas não estão preparados para isso. Ao contrário, eles se prestam a ser o gói tonto dos judeus, ano sim, ano não, e o poder judaico na brava e nova Inglaterra segue sem exame, sem questionamento, sem desafio. Mas não aqui, no The Occidental Observer, o Covil do Ódio.

Algumas boas razões para otimismo

Não obstante, existem boas razões para o otimismo. Se me fosse dito, no começo de 2019, que milhões de eleitores trabalhistas iriam, finalmente, abandonar o partido que os abandonara desde há muito, eu não acreditaria. Mas tal é exatamente o que se passou, quando sólidas regiões trabalhistas, como Bolsover, Darlington, Sedgefield, Stockton South e Wrexham entregaram-se aos tories nas eleições gerais. Certamente o Partido Conservador não dá a mínima para os seus novos eleitores mas, quando estes forem desapontados, o que será inevitável, começarão a entender quão corrupta e antidemocrática é na verdade a política da brava Inglaterra nova. E eles poderão começar a ganhar consciência do papel central dos judeus nisso tudo.

E se me fosse dito, no começo de 2019, que a expressão “Deep State” e o nome Jeffrey Epstein estariam em toda a mídia americana, eu também não acreditaria. Mas, outra vez, isso aconteceu. As coisas estão seguindo a direção certa. O protagonismo central dos judeus no ativismo antibranco e na corrupção política vai ficando óbvio para cada vez mais pessoas, de forma lenta mas segura. E da compreensão virá a ação.

Fonte: The Occidental Observer. Autor: Tobias Langdon. Título original: Unexamined, Unquestioned, Unchallenged: Jewish Power in Brave New Britain. Data de publicação: 21 de dezembro de 2019. Versão brasilesa: Chauke Stephan Filho.